七節:少女

 麻祁が先に足をつける。しばらくし、龍麻も梯子から降り、地面に足をつけた。

「なあ、なあ! やばいんじゃないのか!?」

 一人慌てた様子で麻祁の背中を追いかける。

「早く逃げないと来るって!」

 大きく手を振り、呼びかける。しかし、歩く背は振り返らない。

「なあ! 絶対にやばいってこれ!! あれ見ろよ!!」

 さらに声を上げ、壁を見た後、その場所を指さした。

 壁や鉄柵、梯子から電球まで、ありとあらゆる場所に張り巡らされた白い糸、その全てが青く灯り、あの光を走らせていた。

「あの時と同じだろこれ! 仲間を呼ぶ奴! 早く逃げないとここに集まってくるって!!」

 未だ止まる気配のない背中を、龍麻が必死で止めようと言葉をかけつづけるが、麻祁は何一つ反応を返さない。

 二人は広場の中心まで移動すると、その場所で足を止めた。

「こんな場所で何するんだよ! 早く出な――!」

「さっきから一人うるさい奴だ。問題ないと言っただろ? それより早くその口を閉じろ、その声で集まってくる」

 麻祁が右手に持っていた銃から弾倉を抜き、残りの弾数を確認すると、再び弾倉を戻し、今度は背中のザックを地面に置いた。

 中を漁る麻祁の元へ龍麻が駆け寄り、耳打ちをするかのように小さな声で話しかけた。

「……問題ないってどうしてだよ! 全部倒したのか?」

「全部倒せるわけないだろ。どれだけの数がいると思っているんだ」

「それじゃ――」

 龍麻が続きを口にする前に、麻祁が立ち上がり振り返った。

「ここに来る前、木で作られた壁を見た。誰かがこの入り口を塞いでいたらしい。それを燃やしてできた灰で足下にあった糸を崩しておいたから、いくら光で連絡しようにもあの信号は届かない。板と壁の接地部分まで糸は張れないからな。つまり、帰り道からの増援なんて気にしなくていいんだよ」

「他の穴から来るかもしれないだろ!? あいつらの巣なんだし……あっちこっちに道を作ったりしてさ!?」

「道は一つしかない。わざわざあの道を選んでお前という餌を運び入れたんだ。そんな面倒を選ぶのだから、他なんてないさ。まあ、蜘蛛が岩盤を掘れるなら話は別だがな」

「ん……」

 返す言葉を失い、ばつの悪そうな表情を龍麻が見せる。

「それじゃどうしてこんな所に? 蜘蛛も来れないなら逃げたっていいんじゃ……」

「――待つ」

「……待つ……はぁっ!?」

 龍麻にとってはそれは想像外の言葉だった。

「待つって何を待つんだよ!?」

「あの子」

 立つ左指に、龍麻は釣られるように顔を上げた。

 頭上に開く大きな闇。そこには幾重にも枝分かれをし重なる、あの青い蜘蛛の巣が広がっていた。

 まるで血液を運ぶように、脈打つ光が忙しく駆け巡っている。

「あの子って……まさか! あんなの待ってどうするんだよ!? ……助けるとか言うんじゃないんだろうな!?」

「助ける? 助けてもいいが――助かるのか?」

「そ、それは……」

 麻祁の言葉に、龍麻が言葉を詰まらせた。

 頭の中で、あの映像が瞬時に流れる。

 口から溢れ出る子蜘蛛の群れ、土汚れた肌に濁った瞳。

「まあ、何にしろ、私がるのは、ココだ、ココ」

 麻祁が自身の頭を左指で数回叩いた。

「せっかくここまで来たんだ。今捕まえなければ、二度はないかもしれない。少し危険だが、その見返りはある。……それより良いのか?」

「えっ? 何が……」

 突然の問いかけに、龍麻はその答えが見えず、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした。

 麻祁が右手に持つ銃を前に突き出す。

「武器。巣に落ちたとき見てなかったのか? 二匹ぐらい死体が居ただろ?」

 龍麻の反応を待つ。しかし、その表情に変化はなかった。呆れるように大きく息をはいた後、今度は銃先を龍麻に向けた。

「いいか? 今この場所にいるのが、お前と私、そして――」

 銃口を上げる。

「お前を食おうとしたあの子。――だが、それだけだと思うなよ。少なくてもまだ数匹の蜘蛛が取り巻きとしているはずだ。あの餌を運んだ蜘蛛のように、身近の世話をするやつがな」

「そ、それって……」

 その言葉にに気づかされた龍麻が急ぎ顔をあげた。

「すぐに集まる――来た」

 麻祁の声に合わせるように、散らせていた視線を同じ場所に向ける。

 広がる闇の中、豆電球に照らされたそこに何かの影が揺らめいた。

「武器……俺にも何か武器はッ!?」

 両手を広げ、麻祁に求める。しかし、銃を両手で握りしめるその姿から渡す気配などない。

 麻祁は平然とした態度で言葉を返した。

「あるわけないだろ? 探してこい。私は自分の身を守る為の物しか持ってない」

「そ、そんな……あの殺虫剤は! あれで!」

「あんな小さいもので大きなのが殺せるわけ無いだろ? 一時凌ぎだよ。そこらへんに道具があるだろ? 拾ってくればいい」

 麻祁が左手で遠くの壁を指す。そこには、穴を掘る機材から足組み用のパイプなど様々な物が乱雑に置かれていた。

「く、くそッ!!」

 反論する間もなく龍麻は走った。

 去る背中に視線を向けることもなく、麻祁はただ闇を見続けていた。

「はぁはぁ……武器、ぶきッ!!」

 壁際に辿り着いた龍麻が、首を激しく動かす。

 あらゆる物が置かれた資材の山から、武器になるものを探し始める。

 何かの機械に、何かの工具に、何かの資材に――パイプ。

 迷わず金属製のパイプを両手に握り締めた。

「……ッ!!」

 響く銃声。それに反応し、体が自然と音の方へと振り返った。

 広場の中心、そこに立つ麻祁が銃口を上に向け、間隔を空けては引き金を何度も引いていた。

 放たれた弾丸を龍麻が目で追いかける。しかし、その先は暗く、何も見えない。

 すぐに視線を戻し、麻祁の方へと駆け出す。その時だった――。

 妙な香りが鼻腔をくすぐった。それは臭くもなく、甘くもない、なんとも例えようのない匂い――。

 その瞬間、

「――ぶっ!!」

走っていた龍麻が突然仰向けに倒された。

 受け身もなくそのまま地面にぶつかった衝撃で、僅かに周囲の土が跳ね上がる。

「な、なに……?」

 訳も分からず頭の中が迷走する。無意識の視界に入ってくるもの、それは暗闇で青く光る糸だけだった。

 急ぎ上半身を起こし、片手をついては腰をあげ――背を強く引かれるような感触が全身に伝った。

 また引かれ、体が一瞬後ろに動く。

 振り返り、確認する……。

「な、なにッ!!?」

 ――背中から白い糸が伸びていた。

 その瞬間、体が強く後ろへに引かれ、再び仰向けに倒された。

 抵抗する間もなく倒された背と頭に強い衝撃が走る。

「――ッ!!」

 思わぬ出来事に思考が遅れ、体を起こせない。

 砂利をする音と共に体が上へと引かれる。

 止まっては、引かれ、止まっては、引かれを何度も繰り返す。

「くそっ……」

 龍麻は頭を振るい、上半身を起こしては糸の先へと顔を向けた。

 そこには一匹の蜘蛛が壁に張り付いていた。

 ハート型の腹部から伸びる糸で龍麻を捉え、器用に脚を使っては体を引き寄せている。

 引きずる跡を地面に残し、尚も確実に距離を縮めていく。

 状況を理解した龍麻はすぐさま足に力を入れ、這うような形で蜘蛛とは反対側へと手を伸ばした。

 だが、背を捉える糸は切れず、どれだけ留まろうとしても、手足は下がる一方だった。

「くっぐぐぐぐ……あさ、あさぎー!!! たすけー!!」

 離れた場所にいる麻祁の名前を叫ぶ。

 その声に反応し、麻祁が振り向く。その光景を視認した後、何も言わずにザックを下ろしては、中から中折れ式の銃を取り出した。

 銃を持ち替え、側面にあるボタンを押し、中央で折る。

 ポーチから弾を取り出し装填した後、銃口を上げ、壁に向かって引き金を引いた。

 ポンっと空気の弾く様な音が鳴り、放物線を描いて落ちる弾丸は壁に張り付いていた蜘蛛に直撃した。

 蜘蛛が足場の上に落ちると同時、垂れる液体が糸を伝い――切れる。

「いっつ!!」

 抵抗していた龍麻の体が勢いよく離され、前かがみのまま地面に顔を沈めた。

 流し目でその光景を見た麻祁は、中折れ式の銃をその場に投げ捨て、ザックの横に置いていた銃を再び拾っては、また撃ち始めた。

 後ろから龍麻が息を切らせながらも駆け寄ってくる。

「はぁ、はぁ、ひ、酷い目にあった……」

 よれよれのその姿に、麻祁は視線を向けることもなく、

「壁に近寄るからそうなる。自業自得」

ただ撃ち続けていた。

 その言動に龍麻の口は自然と下がり、しばらく閉じることはなかった。

 撃ち続ける銃の上部が下がり、弾切れを知らせる。

 麻祁はすぐさまポーチから弾を取り出し、慣れた手つきで弾倉を取り替えた。

 火薬の匂いが強さを増す度、足下に落ちる薬莢が道を作る。

 数発の音が聞こえた後、それを最後に構えていた手を下ろした。

 龍麻が辺りに目を配る。そこにある景色は以前よりも一転していた。

 土に寝る幾つもの死体は身を縮ませ、壁に付けられた足場からは液体が絶え間なく滴り落ちていた。

 視線を上へと向ければ、そこにはまるで飾りのように、糸を出したままの死体が数匹揺れ動いている。

 異様な空気が包み込む静寂の中、龍麻が口を開いた。

「……お、終わったのか……?」

 両耳を塞いでいた手を離し、辺りを見渡す。

「これ以上何も来ないなら、これで終わり。……まあ、まだ一体いるけど」

 弾倉を抜き、残りの弾数を確認する麻祁の横で、

「……ああ」

闇に目を見開かせていた龍麻が後ずさりした。――その光景、その姿、それは異様なものだった。

 二人の前に姿を現す一人の少女。暗闇から見せるその姿は、まるで吊るされた人形のようだった。

 指先の伸びる両手、両足には力がなく、上に向けられた顔からは何重にもなる白い糸が飛び出していた。

 ゆっくりと降りてくる少女と地面の距離は徐々に狭まっていく。

「ど、どうするんだよ!? もう降りてくるぞ!!」

「どのぐらいの速度だ?」

「そく……えっ!?」

 思わぬ言葉に、龍麻の顔が自然と麻祁の方へと向けられた。

 作業をしていた麻祁は龍麻の言葉を待たずに、顔を上げる。

「……遅い。あれなら問題ない」

 スライドを引き、両手で銃を握る。

「撃たなくていいのか!?」

「今撃っても仕方ない。あんな場所で止まったら、どう回収するんだ? 降りるまで待っていればいい。終わる時はすぐに終わるから」

 麻祁の言葉から、数十秒も経たずして、少女が地面へと足をつけた。

 それは、崩れるようにではなく、まるで、空から降り立つように――。 

 少女は二人から数メートル離れた場所に立っていた。

 吐き出していた糸をよだれのように垂らし、荒れた長髪を目元に絡ませている。――少女に動く気配はない。

「どうす――」

 龍麻の声、その矢先――麻祁が撃った。

 数発の発砲音。龍麻が驚き、すぐさま少女に顔を向ける。が、その視線が麻祁の背と被った。

 放たれた弾丸は少女の両足を撃ち抜き、赤い鮮血が飛び散る前に地面に崩した。

 近づいた麻祁は銃を捨て、両膝をつける少女の顎下を左手で押し、仰向けに叩きつけた。

 鈍い音の後、指に力を入れ、頬を押し、口を無理矢理開ける。

 中からは大量の子蜘蛛が溢れ出し、麻祁の指にへと絡みつく。

「宿主が悪すぎたな。お前達より脆い」

 スカートのポケットに右手を入れ、中からスプレーを取り出すと少女の口にへと無理矢理押し当てた。

 空気の抜けるような音と共に、噴出口から煙が吐き出され、少女の耳と鼻から大量の子蜘蛛が溢れ出る。

 駄々をこねるように両手をバタつかせる少女。その動きは徐々に鎮まり、そして動かなくなった。

 麻祁は少女を押さえつけたまま、顔を見る。

 溢れ出た子蜘蛛の全てがその動きを止めていた。

 一匹たりとも動く気配のないその場所に、耳から一匹の赤黒い小さな蜘蛛が飛び出てきた。

 ヨタヨタとまるで酔っ払いのような動きで、その場を逃げるようにして土を這う。

 それを見つけるや否や、麻祁がすかさずポーチを開け、中から試験管を取り出し、土ごとそれをすくった。

 蓋を閉め、試験管の中にいる砂に紛れた赤黒い小さな蜘蛛を確認した後、それをポーチへと収めた。

「ど、どうなった……うっ……」

 麻祁の後ろから龍麻が顔を覗かせる。その瞬間、口元に手を当てた。

 目にしたのは、足元で血溜まりを作り、口と耳の辺りに無数の茶色の物体を塗りつけている少女の姿だった。

 覗き見る龍麻にその濁った瞳を見開かせている。

「はい、これ持って」

 突然麻祁が龍麻に向かい青の袋を渡してきた。

 それはザックの中から出されたものだった。

 青い袋にはジッパーが付けられており、反対側には肩に掛けるようベルトも取り付けられている。その大きさは、大人一人分ぐらいが収まる。

「ま、まさか……」

 その袋の使用方法に気付いたのか、龍麻が表情を引きつらせた。

 首を横に振り、断ろうとしても、麻祁のある言葉がそれを止める。

「それじゃ私はお前を捨てて帰る」

 渋々龍麻はそれに従うしかなかった。

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