五節:あらくねふぉびあ 

 オレンジ色の灯りが照らす一つの小屋。鉄のドアが少し開かれ、銀髪の女が少しだけ目を覗かせ、辺りを窺う。

 しばらく視線を動かした後、顔を出す。前には一匹の蜘蛛が居た。

 ふっくらと膨らむ黄色の腹部。全体の大きさは人ぐらいあり、出糸突起から出す糸を地面に散らしては、黒く細い脚を器用に使い、グルグルと何かに巻き付けていた。

 女は声も出さずに、その光景を静かに見守る。

 しばらくし、一つの大きな繭となったものを蜘蛛が引きずり、どこかへと運び始めた。

 さらに続く坑道の奥へと、その大きな体を揺らしながら暗闇へと姿を潜らせていく。

 後に続く繭からは、だらしなく涎を垂らす男の顔だけが飛び出していた。

 繭が奥へと消えたのを確認すると、女が小屋から出てきた。

 風も無くただ垂れる長い銀髪に、白の半袖と紺のスカート。背中には大型の登山用ザックを掛け、腰には二つのポーチを巻きつけている。

「……やはり餌がいて正解だったな。さあさあ私を導いてくれよ」

 右手に握っていた銃を、スカートで隠していた太もものホルスターに収め、背負っていたザックを地面に下ろし、中から別の銃を取り出した。

 黒く光るスライドを引き、音を出す。

 辺りを見渡した後、スカートから小型の懐中電灯を取り出し、蜘蛛の後を追った。

――――――――――――――――――

 上から落ちる水滴を気にせず、麻祁はただ歩き続ける。

 壁には広場と同じ青白い糸が奥へと続き、足を進めるにつれ、その濃さを増していた。

 足を上げる度、ネチャネチャと粘着質のものが靴底に絡みついてくる。

「ん?」 

 あるものが目に入り、麻祁が立ち止まった。目の前に壁が現れた。

 道を塞ぐ様にしていくつもの木片が、両端の支保から伸び、打ち付けられていた。しかし、そこには規則性などはなく、まるで急ごしらえのように乱雑な並びをしている。

 中央の下辺りには小さな穴が開いており、何かを引きずったように糸が乱れていた。

 麻祁は木の壁に近づき触れる。

「めんどうだな……」

 右のポーチから試験管のようなガラス製の小さな筒を取り出し、数歩離れた後、それを思いっきり壁に向かって投げつけた。

 ガラスの割れる音が響き、液体が木の板を濡らす。

 数秒もせずうちに辺りにオイルのような匂いが立ち籠った。

 麻祁は再び近づき、今度はスカートの中にあったターボライターを取り出し、液体の掛かった木に火を点けた。

 激しく炎が目の前で燃え上がり、顔色を変えるもそれは一瞬で暗くなる。

 現れた道に、麻祁は足下に散らばる炭を蹴り、先へと進んだ。

――――――――――――――――――

 しばらく歩くとある空間へと出た。

 それは先程居た小屋のよりも遥かに広く、まるでトンネルを立てた様に、穴は天高く上へと伸びていた。

 壁には他の場所へと移動する為に組まれた足場が、沿うようにしてぐるりと一周して備え付けられ、そしてその所々には小さな物置のような小屋も立てられていた。

 それらは全てには、あの青白い糸が飾り付けされている。

 下の広場には、採掘用の道具や石などが転がり、その中央には――あの蜘蛛の姿があった。

 麻祁はその存在に気づいた瞬間、歩き出し、銃を構え、撃つ。

 風船が割れるような音が何発か続き、撃たれた蜘蛛がこちらに気付き、振り向く。

 体中から体液を撒き散らしながら、おぼつかない足取りで麻祁に向かい鳴き声もなく突っ込んだ。――しかし、

「邪魔」

蹴り出された足が直撃し、蜘蛛の体は吹き飛ばされた。

 まるで空気の抜けたサッカーボールのような音を上げ、地面に身体を擦らせる。

 仰向けになった姿で、数本足りなくなった脚をバタつかせ、そして動かなくなった。

 全ての脚を閉じ、その場で動かなくなった姿に麻祁は気にも留めず、辺りを見渡した。

「さあ、どこだ……? そろそろ効くはずだが……上か」

 近くに梯子を見つけ、次の足場を目指す為、昇り始めた。

――――――――――――――――――

「………うぅ……うう……」

 体中に寒気がする……。体が自然と震え、とても冷たい。

 意識がぼんやりする中、俺はゆっくりと目を開けた。

 暗い視界、徐々に濁った景色が映りだされる。しかもそれは鮮明ではなく、オレンジ色で薄暗い感じだった。

「……ここは……」

 視界のぼやけが徐々に晴れ、意識がハッキリとしてくる。

――最初に映ったものは真っ暗な闇だった。

 右手を動かそうと力を入れる。だが、右手は動かない。

 次に左手を動かし、そして両足にも力を入れた。しかし、思うように動かすことは出来なかった。

 まるで接着剤か何かで固定されているような感覚だ。

 首を下に向け、体を確認する。

「な、なんなんだこれは……」

 俺は思わず目を疑った。

 体中に白い糸が巻き付き、俺自身がまるで繭のようになっていた。

 再び右手に力を入れてみるも、ただ気持ちと力が入るばかりで、絡みつく繭を解けそうにない。

「どうなってんだよこれ! クソッ!! ほどけってクソ!! って、まさか……」

 自分の置かれている状況、場所、その事に気づいた時、血の気が一瞬で引いた。

 目の前に広がる闇、しかしよくよく見ると所々に小さな灯りがいくつもあった。

 明かりは近くの物を照らす。それはいくつもの支保に、そして網状の足場を――。

 もしかして……張り付けにされている?

 急ぎ自身の周りに目を向ける。そこは青白い糸がいくつも張り巡らされた場所だった。

 まるでベッドのように敷き詰められたその場所には、俺以外にもいくつかの繭があり、そこからは白い何かが飛び出していた。

 他にも、下に向かって今にも落ちそうにブラブラと揺れる、白い棒状の何かもあった。

「天井!? 張り付けられているのか!?」

 ふと蘇る記憶、俺はあの時、誰かに後ろから襲われ、そして首を刺された。その瞬間に見えた何かの昆虫の脚。

 足先は尖り、小さな毛がいくつも生えていた。

「クモ……くッ! 馬鹿デカい蟷螂に続いて今度はクモかよ!! どうなってんだよこれ!!」

 大声を上げ叫ぶも、誰の答えも返って来ず、自分の声だけが響く。

「このままどうしろってんだよ!」

 今すぐここから逃げ出したい気持ちが高まっていく。

 しかし、青白い糸が絡み付くせいで、体どころか、手足さえも自由が効かないでいた。

 さらには、もしこの繭を解いたとしても、そのまま真下へと向かって落ちる結果しかない。

 どうこう足掻いても助かる保証はない。

「麻祁……あの女が、あの女のせいで俺は…………お、おんな……?」

 首を激しく振り正面を見た時、ふと奇妙なものが入り込んだ。薄ぼんやりとする明かりに隠れるように濃い影が見える。

 目を細めて見ると、そこには一人の少女の顔があった。

 長い髪に色白のまだ小学生ぐらいの小さな子だ。その子は俺とは違い天井に腹を向け、うつ伏せの様な状態でいた。円らな瞳でその子もこちらを見てくる。

 俺はすぐさま声をかけた。

「もしかして君も……?」

 その言葉に少女は瞬きを一回し、何も言わずじっと見てくる。

「すぐにここから抜け出さないと……って、俺も捕まってる状態か、ああ!! どうすればいいんだ!」

 改めて思わされる自分の状態。その子を助けようにも同じく動けないのに、気持ちだけが先を行っていた。全く情けないものだった。

 しかし、目の前にいるのはまだ中学生になっていない子……。どうにか助けだしたい。

「大丈夫だから、安心し……て……」

 何とか安心させようと声を掛けていた途中、思わずその言葉が止まった。

 少女の顔がやけに鮮明に見えたのだ。それは勘違いや気のせいなんかじゃない。薄暗いオレンジの僅かの明かりでも、先程とは違いハッキリと見える、

「君、ま、まさか動けるなんてこと……何ッ!?」

 ぬっと伸ばされる右手。それは俺の前まで伸び、そして今度は左手が伸びてきた。

――少女がこちらに向かって這ってきてる。

 その速度は遅く、俺の動きを窺うようにゆっくりと距離を詰めてくる。

 薄明かりに照らされる表情、そこには感情というものはなく、ただ俺の目に合わせ一点だけを見つめて来る。――そしてそれは俺の前に来た。

 色白でありながら頬の所々が土に汚れ、まるで人形のように表情の無い幼げな顔が間近に迫る。

「な、何なんだ……一体なにがした――」

 言葉を失い、目が自然と見開く。

 少女が口を開けた。その小さく可愛らしい口を誰よりも大きく俺の前で。

 暗闇の中、そこで何かが蠢いていた。いくつもの塊がそれぞれが自身の意思で歩きまわっている。

 それは――小さな蜘蛛。

 開かれたことにより、口元からはいくつもの子蜘蛛が溢れだし、下へと落ちていく。

 少女は顔に子蜘蛛を這わせながら、口を開けたまま、俺の口元へと手を伸ばし近づいてきた。

 俺は心の底から叫んだ。

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