第一章

アサギシキ

 暗く深い意識の底から、

「……うっ……?」

俺は目を覚ました。

 自然と開くまぶた。黒と青の入り混じったような色が、ぼんやりと広がっていく。

 徐々に晴れる視界の中、俺は首を傾げた。

 目の前が、妙に黒く霞んで見えるのだ。……まだぼやけているのか……?

 軽く目を擦り、それに視点を合わせてみる。

 グッと近づく視界、

「……ッ!?」

一瞬にして息を呑んだ――瞳だ。

 まるでルビーのような紅く染まった瞳が、俺を睨み付けるように見ていた。

 姿を確認してみるが、瞳の周りは暗く、ハッキリとは見えない。

 その異様な光景を前に、俺は何もせず、ただジッと瞳を見返していた。

 それに対し瞳も、時たま瞬きを繰り返すだけで、そこから動く気配がない。

 互いが見返す中、ふとある物に気付いた。

 瞳の奥、影の向こう側にぼんやりとした薄明かりが見えたのだ。俺は瞳から目を逸らし、その明かりへと向けた。

 黒の霞から、ちらちらと見え隠れしている明かり。どうやら、灰色の棒の先に――あれって……。

 その『正体』が分かった瞬間、俺はすぐさま辺りを見渡した。

 左右に伸びていたのは、真っ直ぐと何処までも続く煉瓦れんがの道。幾つにも重なった木々達がそれを挟み、その先は見えない。

 そして、今座っている俺の背中、そこには瞳の後ろにある物と同じ、灰色の棒が立ち、背を支えてはその先に付けられた灯りで俺を照らしてくれていた。

 ここは見覚えのある景色。俺の身近にある場所――公園?

 ふと見上げてみると、そこには二つの明かりがあった。一つは小さな豆電球。そしてもう一つ……。大きな満月が俺を静かに見下ろしていた。

 蒼白く照り輝く望月が、暗い夜を淡い紺へと変えている。それは今、ここが『外』だという事を教えてくれていた。

 でも……なぜここに? 確か、風呂から出た後、俺はすぐさまベッドに潜り込んだはず……。それに、もし外に出たとしてもなんで公園なんかにいるんだ? 一体何の為に……?

 考えれば考えるほど、覚えていた前の記憶と今の状況がかみ合わず、余計に頭の中でこんがらがっていく。ふと視線を前に向けた時、あの存在がいる事を思い出した。

 そういえば、あれは一体誰なんだ……?

 先ほどから変わりなく俺を見据える紅の瞳。体の辺りは黒く霞み、周りの風景はハッキリ見えるのに、その姿だけは見えない。

 最初目にした時は一瞬驚いたが、今改めて見るとその不気味さがじわじわと伝わって来る。本当に人な……。

 そう考えた瞬間、体中に寒気が走った。

――何故、俺はアレを『人』だと?

 もし誰かがアレを見た時、『人』だと答える者はいるだろうか? 否、今の俺ならこう答える。

「化け物」

 だが、今も俺を見ているあの瞳、あれは確かに人間の目だ。紅く染まるも、獣ではないのが感じ取れる。それじゃ、どうしてあれほど紅いのだろうか?

 充血……、いや、違う。それにしては赤すぎる。まるで絵の具で塗りたくっているような色だ。考えられるとしたら、病気か何か……、そんな病気が存在するのだろうか……?

 見れば見るほど、不気味な目。その目を見続けていると、徐々に自分との距離が縮まっている……そんな気がしてくる。

 今更ながら、俺は身の危険を感じ、その場からすぐに立ち去ろうと足に力を入れた。

「……? あ、あれ……」

 しかし、何度力を入れたところで、思うように足が動かず、その場に居座り続けていた。

 何だ……この感覚は……。

 それは奇妙な感じだった。正座など、普段起きるような痺れだとか、極端に言えば、接着剤か何かくっ付けられたとか、そんな感じじゃない。まるで立ち上がるという動作自体を忘れてしまったかの様に、気持ちだけが先行し、空回りし続けている。

 何かされ……。

「――!? グァッ!!」

 突然、何かが俺の喉を圧迫して来た。

「グッ……」

 力を入れられる度、濁った声が意志に関係なく漏れだす。

 滲む視界の中、俺は咄嗟に右手を出し、喉を押さえるモノを掴んだ。

「……ッ!?」

 その瞬間、驚愕した。

――腕だ。掴んだ手に伝わる、骨と皮。無駄な肉付きがなく、すらりと伸びるそれは、まるで鉄パイプのように細い。

 滲む視界で必死にその元を見る。そして俺は自身の目を疑った。

 その腕の先、『俺の首を絞めろ』と腕に直接的命令を下した元、それはあの紅い瞳だった。

 瞳は俺の近くまで迫っていた。それこそ瞳と瞳が交じり合える距離まで。

 それを直視した俺は一瞬心が捕らわれるも、すぐさま抵抗するように、握り締めた腕に力を入れた。

 しかし、首に掛けられた手は決して緩む事がなく、ただの冷たい感触を伝えてくるだけだった。

「グッ……」

 抵抗も虚しく、俺の体は背中にある街灯を伝うようにして、徐々に持ち上げられていく。

 冷たく太い感触が背中を撫でるように過ぎて行き、それがある場所で止まった時、俺はそれを見下ろしていた。

 ぼやけた下目遣いの視界に、微かに映る紅い瞳。人形の様に何も出来ない俺を持ち上げているこの冷たい手の持ち主は、その瞳を逸らす事なく、じっと見上げている。

 その光景の中、ふとある物が目に入った。それは紅い瞳の後ろに存在し、風もないのに時折なびいては光の波をうねらせていた。

 下目遣いでハッキリとは見えない、だがそれが何なのかはすぐに分かった。

 新たに出現したワード。それに関連する言葉を見つけた瞬間、俺の口から思わずそれが零れた。

「お、おん……な……が?」

「――!?」

 突然、喉に掛けられていた手が離され、支えを無くした俺の体は地面へと落ちた。

「――ゴホッゴホッ!!」

 両足に痛みが走り、そのまま崩れるように俺は棒へともたれ掛かった。狭まった気道に無理矢理押しか――。

「ゴホゴッ!!」

 突如、強烈な圧迫感が腹部を襲った。その衝撃は凄まじく、まるで鈍器のような硬い物で、勢いよく突かれた感じだ。

 衝撃に耐えきれず、喉から口、そして咳に紛れ、胃の中の物が吹き出た。

 焼け付くようにジワジワと痛む喉と腹部に、止みかけていた涙が溢れ出す。

「ゲホッ、ハァハァハァ」

 吐くものが無くなり、嘔吐おうと嗚咽おえつへと変わったその時、

「ハァハァハッ――」

ある音が俺を止めた。

 頭の中で繰り返し響く重たい音。まるで何かがハマったような……。

 その音に自然と目が反応し、正面に顔を向ける。

 瞬間、自然と目が見開き、そこにある情報が無理矢理へと脳に飛び込んで来た。

 穴闇銀制服紅瞳髪黒おん――。

「正解」

 ほくそ笑むような冷たい女の声に、また何かがハマったようなおとがきこ――。

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