第8話 「こうなったらもうヤケだ」

最も破られにくいことで有名な形状のカギを鍵穴に差し込む。カギの形状と内臓されている情報が一致すると、音声認識開始のランプがともる。

サトウはできるだけ小声でもごもごとパスワードをしゃべる。壁に耳あり障子に目ありだ。どこであのストーカーが聞いているかわからない以上、必要な手続きはすべて迅速に、簡潔に、慎重に行わなくては。


開いたドアの間にさっと体を滑り込ませる。

後ろ手で押した扉は、閉まると同時に自動でロックが下りる。


ふう……、とサトウは満足げな息をついた。


外観の古さを裏切らない旧時代の戸建てに、最新のセキュリティを搭載するのは本当に骨が折れた。玄関だけではない。フジノの助言に従って各部屋の窓にもセンサーをつけ、外から開けた人間にトラップが発動するようになっている。それらがすべて破られたときのため、あちこちに糸を張ったり狭い庭の芝生を結んでみたり落とし穴を掘ってみたり、涙ぐましい原始的な努力さえしている。

その甲斐あって、サトウの家はもはや盤石のセキュリティを誇る立派な要塞と化しているのである。

ちなみにその出費に関しては、トホに巨額の生命保険をかけてから葬ることで賄う予定でいる。


うん、と肩を回しながらスニーカーの紐を解く。そろそろ次の仕事にとりかかってもいいかもしれない。最近、ようやく心身ともに健康になってきた自覚がある。家の守りを盤石にした分、トホに怯える時間が大幅に減った。


やっぱり、プライバシーって大切だなあ。


サトウはほっこり微笑んだ。不愛想・無頓着と殺人者の悪い特徴をそのまま持っているこの男が、ここまで和やかな表情を浮かべるのも珍しい。そのままゆるキャラになれそうなほど幸せな足取りで居間へ続く扉に手をかけたサトウは、


……待てよ。


以前体験したトラウマもののシチュエーションが脳裏によぎり、思わず手を止めた。

この扉の向こうでカメレオンの頭をした女が座っていた、あの日のことを。

ぞく、と首筋が軽く泡立つ。

いやいや、とサトウは自分に言い聞かせた。

癪だが、確かにあの時のトホの言い分は正しかった。音声ロックのパスを「ひらけゴマ」などと安易なものに設定した自分が悪いのだ。

大丈夫。今は大丈夫!

あれからパスワードはきっちり変更した。最高の難易度を誇るパスワードだ。なにせ変更直後は、サトウ自身でさえ口にするのが難しかったのだから。設定した本人も悪戦苦闘するものを、他人があっさり破れるはずがない!


意を決して、目の前のドアノブを引き開ける。


―――見慣れた景色が広がっていた。


「……」ふう、とサトウは詰めていた息を吐く。


そりゃ、そうだ。

いるはずがない。


彼の胸に自信が再来する。


ここは要塞。もはや、あいつがここに入ってくることは二度とない!

コンビニの袋を机の上に投げ、椅子に体を投げ出したサトウは至福の気分を味わう。

ちょっとナーバスになりすぎているんだな。

無理はない、不法侵入をああも当然のようにされて、しかも薬剤使って床に転がされたりしたらそりゃ、トラウマにもなるってもんだ。


うんうん頷くサトウ。

今までさんざん刃物や毒物や暴力によって人にトラウマを植え付けてきた男のセリフとは思えない見事な棚上げである。


喉の渇きをおぼえて、サトウはキッチンへ足を向けた。居間とキッチンの間を隔てるのれんをくぐろうとして、わずかに躊躇する。


なんか、人の気配がする……。


思った瞬間、のれんの向こうで音がした。


「!!!!」

尾を踏まれた猫のごとく、サトウは全身を緊張させてその場からとびのいた。

髪まで逆立てんばかりに緊張し、かれは我が家ののれんの奥を凝視した。


いる!

絶対いる!!

いないはずがない!!!


「で、」声はどうにか裏返らなかった。「出てこい!」


―――台所は沈黙している。


胸を突き破りそうなくらい心臓が鳴っている。サトウはしばらくのれんを睨み、睨み、睨み、



「……ん……」


沈黙に耐えきれずそっ、と中を窺えば、中は無人。

ぽたん、と蛇口から垂れた水滴が小さく音を立てた。


「……」ふう、とサトウは詰めていた息を吐く。


そりゃ、そうだ。

いるはずがない。


彼の胸に自信が再来する。


ここは要塞。もはや、あいつがここに入ってくることは二度とない!

冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ラッパ飲みするサトウは至福の気分を味わう。

ははは。まったく俺は心配性だなあ。もう心配はないってのにー。


ペットボトルを冷蔵庫に戻し、サトウはしばらく無言になった。


……。

ダメだ。


なんか、どうしても、安心できない。


何をしてても不安になる。


「こうなったらもうヤケだ」


呟いて、サトウは木の階段をきしませながら二階へ上がった。自分の部屋、トイレ、物置を順番に見て回って、クローゼットの中やベッドの下まで念入りにのぞいて、再び一階へ降りてくる。一階もまたトイレ、居間、キッチン、風呂場を見回ってトホがいないことを確認し、


「……」ふう、とようやくサトウは安堵の息を吐く。


そりゃ、そうだ。

いるはずがない。


彼の胸に自信が再来する。


ここは要塞。もはや、あいつがここに入ってくることは二度とない!


よかったよかった。

どうやら今日は本当にいないみたいだ。


本日何度目になるかわからないため息をつき、サトウはぐったりと椅子にかける。だらしなく手足を投げ出し、目を閉じ、多幸感に包まれながら全身の力を抜いたその時、



パ―――――――――――――!



騒音が耳を貫いた。



パパパッパパパッパ!! パパ―――ッ!!



……何かが激しくクラクションを鳴らしている。

一瞬で薄れた多幸感を悲しみながら、サトウはうっすらと目を開けた。


無言で立ち上がり、カーテンを開く。

目の前の道路を走りすぎていく何かが目によぎった。目で追いきれずに、通り過ぎてから二度見する。


フルフェイスメットで自転車にまたがる少女が、こっちにぶんぶん手を振りながら向こうの角に消えていった。


「……」


そして、もう一度向こうの角からこっちへ戻ってきた。

どういうこぎ方をしているのか、猛烈なスピードでやってくる。走る自転車の後ろには竿が立ててあり、そこにとめられてはためく何かがバタバタと……


って。


サトウはわが目を疑った。







アレ、俺のパンツに見えるんだけど。







思った瞬間、サトウは窓にへばりついた。ガラスに顔を押し付けて必死に見る。とにかく見る。間違いない。よくある紺の地に白い縞模様、履き古して破れた裾とかヨレヨレのゴムのところとか、もう確認せずともソレはサトウのパンツなわけで、


サトウは絶叫した。


「てめええええええええええええええええええええ!!!!」


その日、トホは戻ってこなかった。













次の日、

『街中を疾走するパンツの目撃談多数!? ~新たな都市伝説現る~』


ネットニュースに載った自分のパンツを見て、サトウは声を押し殺して泣いた。

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