第2話 『鮎ですよ♡』
今でもよく覚えている。
ことのはじめは毒殺を試したお宅からだった。
手際よく家族全員が動かなくなるところをソファで眺めていた彼は、いつものように全員がぴくりとも動かなくなってから興味をなくした。五体満足、だというのにやはり二度と動かなくなることの不思議さよとひとりごちて、さあ帰るかと腰を上げたとき、部屋の隅に据え置いてある電話が鳴った。
スマートフォンが普及した今となってはもう滅多にお目にかかれない、FAX機能付きの固定電話である。少し前までは珍しいものではなかったので、この家でも元々あったものを処分せず置いていた、といったところだろう。その証拠のように、電話機にはうっすら埃が積もっていた。
ジー、
唸る機械がA4用紙を吐き出す。受け皿が出されておらず、床に落ちたそれをなんともなしに殺人鬼が拾い上げる。
目を通して、彼の顔色が変わった。
『サトウさんへ』
彼の本名である。
思わずサトウは部屋を見回した。今日の犯行を知られるような愚は犯していない。犯行予告をするロマンは持ち合わせていないし、ネットに書き込むこともしていない。計画は一貫してかれの頭の中だけで組み立てられ、保存され、実行される。文字に残すような真似はしない。
またコピー用紙が床に落ちた。
追ってもう一枚。
サトウはそれをすべて拾い、素早く目を通した。どんな脅しが書いてあるのか、もしやこの家はすでに包囲されているのか、自宅が特定されているならば逃走場所はどこにしようかなどが走馬灯のように頭を駆ける。
どこから漏れた!?
背中に変な汗をかきながら必死で、宛名から先を食い入るように読む……読んで、サトウは、「は?」と涸れた声を漏らした。
いやいや。
自分は頭が悪い。特に文字を読む分野にかけては壊滅的だ。人間の心情とかそういうものを慮るジャンルも絶対的にダメだ(人並みにその能力が備わっていたら、そもそも殺人鬼なんかやってない)。認めよう! 俺は、国語力と呼ばれるものが、ない!
……しかし。
「……なんか、コレ、ラブレターに見えるんだけど」
気のせいだろう。そうに決まっている。
サトウは背後でぴくりともしない仏さんを振り返って確認し、自分の罪の証拠を今一度、しっかりと目に焼き付ける。
そうさ、俺は殺人鬼!
ここは犯行現場!
うぃーん、と音を立てて、目の前のFAXから間断なくコピー用紙が吐き出されていく。
サトウは目を閉じた。
……考えろ。
現実的なのは、コレだ。
『あなたに身内を殺された者です。許せねぇから死んで詫びろ。そこは警察に包囲されているから大人しく出て裁かれて死刑になれ』。
納得できる。
我がことのくせにウンウンと頷いて、サトウは目を開けた。自分の手が持つコピー用紙の中身を改めて読み返す。
『サトウさんへ
ずっと前から好きでした♡』
……もう冒頭からおかしいよな。
ハートマークって、こういう状況でつけるもんだっけ?
『あなたの溢れ出る危険な魅力に胸がドキドキラブハートです♡どうしても胸の高鳴りがおさえきれず、この度ラブレターを出させていただきました。迷惑だったらごめんなさい!』
…………迷惑……っていうか……。
『私があなたのことを知ったのはそう、忘れもしない今から数年前のある場所』
どうしよう、何も特定できない。
数枚手にとって眺めてみたが、その全てがサトウに対する無邪気な賞賛、礼賛、信仰、サトウさんが好きなネット番組毎週見てるからたくさん語れますとかいうさりげない自己PRからサトウさんが先週の2時17分にあそこのコンビニで買っていたジュースのストロー大事に持ってますというさりげなくないストーカー行為の暴露とかが、もはや吐き出されすぎて床を白く埋めつつあるコピー用紙の山にびっしりと、そりゃもうびっしりと熱意を持って! 書いてあるわけで、
どんな手段で人を殺しても悪夢ひとつみないサトウさえ、恐怖とか不気味さとか色んな感情がないまぜになって半泣きになる。今すぐ逃げたい。この部屋から。
が、自分の本名やら行動範囲やら、捜査の役に立たない趣味嗜好までつぶさに書き込まれているこのFAXを放置して逃走するわけにもいかず。
結局、その後紙がなくなるのと同時にきっちり終わったラブレターをすべて回収するまで、震えながらそこにいるしかなかった。
その日は念のため自宅に帰らず、離れたところにあるホテルに部屋をとった。
落ち着いて色々考えてみたら、解せぬことがいくつかある。
まず、あの埃を被ったFAX。
いかにも使われていない風情のFAXだった。普段使わないものに、上限いっぱいまで用紙をセットしておくだろうか?
さらに気味が悪いことに、あのラブレターはきっちり、セットしてあった用紙の枚数分で完結した。
こんな偶然があるだろうか?
本当に偶然ならいい。サトウが恐れているのは、「ストーカーが事前にあの家を訪れてFAXに枚数分の用紙をセットした可能性」だ。
もしそんなことを本当にされていたのなら、それは彼の犯行が事前にすべてバレていたということを示している。
想像するだに恐ろしい。
さらにラブレターの内容は家でやってるゲームや読んでいるコミック、牛乳の銘柄から手を洗うときに使用する石鹸のメーカーまで言及していた。クチコミがいいのは青より赤のパッケージのやつですよとか、余計なお世話である。
これはアカン、と、サトウは心の中で大絶叫した。家の中に監視カメラが仕込んであるのに決まってる。下手すれば盗聴器もだ。ゴミも漁られてるのかもしれない。怖くてもう夜道を1人で歩けない。俺が何をしたって言うんだ! 誰かにこれほど好かれるような行動はした覚えがないし、ツラだって褒められたもんじゃない! 自慢じゃないけども! と、サトウは自虐のような自己弁護を繰り広げる。
結論が出るのは早かった。
このふざけたラブレターを出した相手が誰であろうと、そのまま捨て置くわけにはいかない。
息の根を止めてやらなくては。
さもなくば、俺に明日はない。
しっかり決意して寝入った次の日、そのホテルのフロントにサトウ宛の手紙が届いた。ピンクの封筒にハートのシール。
中にはピンクの便箋が入っていた。
『サトウさん、この宿の名物は朝食バイキングに出る鮎ですよ♡』
サトウは無言で膝から崩れ落ちる。
早くも心が折れる音がした。
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