緑の執事

志鳥かあね

第1話 素敵な侵入者?

 冬も終わりに近づいている夜、いつものようにバイトを終えた俺は古びたアパートに戻った。

 少し肌寒いがだいぶ暖かくなってきたので、この時季では薄手のジャケットで間に合う。

 錆が出てボロボロになっている金属の階段を登っていく。歩くたびに軋む音が鳴った。


 今日はうっかりミスをし、怒鳴られたせいで酷く疲れた。店長は俺には毎日と言っていいほど厳しい気がする。


 だらだらと重だるい身体を揺らしながら、歩みを進める。手には好物のハンバーグ弁当が入ったコンビニの袋。自宅である202号室の部屋に着いた。

 ぼんやりと顔を上げると前面の小窓から明かりが漏れている。

「あれ?」


 一瞬、お隣さんと間違えたかと簡易シールで貼ってある表札を見るが中曽根なかそね――俺の苗字だ。


 生活費を切りつめている中で、電気代をふいにしたと落ち込みながらも、ドアを開けようと鍵を差し時計回りに回す。だが、すぐさま異変に気付いた。

 鍵が開いている!?


 急いでドアノブに手をかけ、勢いよくドアを開け……たい衝動に駆られたが、冷静な俺は落ち着きを保つ。

 少々戸惑いながらもゆっくりと音が鳴らないよう、慎重にドアを開け部屋の様子を覗いてみる。ふわっと温かい空気が顔にかかった。

 暖房が入ってる!


 電気などは付いているが、今のところ人の気配は感じられない。

 開いたドアから見える部屋は綺麗に整理され、特に荒らされた形跡は無いようだ。


 いや、ちょっと待て! 俺の部屋は元々こんなに綺麗なはずがないじゃないか!

 服は毎日、脱ぎっぱなしにしてるし、ごみも結構溜まっていたはず。それに朝食に食べた、大好きな得盛り激安カップ麺だってそのままだったはずだ。

 ちなみに納豆キムチ味が俺のナンバーワンだ!


 もう一度シール表札と部屋番号を見るが、やはり自分の部屋のようだ。

 一体何が起こっているんだ……。

 不安を拭えなかったが、このままじっとしていてもしょうがない。

 その時は誰かを呼ぶとかそういう事は頭になかったのだ。俺は後に後悔することとなる。


 恐る恐る、温かい部屋の中へと足を踏み入れた。武器になりそうなものはないかと、玄関に置いてあるビニール傘を手にとり、まずはじっくりと部屋を見る。

 フローリングの六畳間。他は台所と浴室兼、トイレがある間取り。まあ、隣の部屋も同じような構造だ。

 部屋にはクローゼットなどはないし、一見すると誰も居ない。隠れられる場所と言えば……。


「そこか!」

 俺は勢いよく浴室兼、トイレの扉を開け、傘を構えた。

 だが誰も居ない。これは一体どういう現象なのか、とても謎めいている。


 まず服類はハンガーにかけられており、他も収納ボックスに片づけられ、綺麗に整頓されている事。もちろん俺がいつも着ている服だった。

 敷きっぱなしにしていたはずの湿った布団は三つ折りにされ、部屋の隅にあるし、床の端には大事な物入れである小タンス。その上はいつも白っぽいほこりがついていたはずだが、今はその汚れもない。

 テーブルには各種小物が整頓され置かれていた。


 なんだこれは?

 もしや各地を渡り歩く、ボランティアの可愛いメイドさんが現れ俺の部屋を綺麗にしていってくれたのか?


 そんなたわいない事を悶々と想像していたその時、ベランダのカーテンがわずかに揺れた。

 ぞくりと背筋に寒気が走った。


 ベランダの存在をすっかり失念していた……。部屋を出る時は開けておいたカーテンが今は閉まっているではないか。

 片手に傘を構えつつゆっくりと近づき、カーテンに手が触れた時、勢いよくカーテンが開いた。


「あ、おかえりなさいませ」

 驚きのあまり身体と顔が硬直してしまった。

 俺の眼の前には想像していた可愛いメイドさんではなく、スーツ姿の男が立っていた。静かにお辞儀をしてくる。

「お、お、お前は何者だ!」

 威嚇するために、傘の先を向けた。大きな声を出そうとしたが、その声が震えていたのは言うまでもない。

「申し遅れました。私、葉月宗司はづきそうじと申します」

 男は動じない様子で少し微笑んで言った。姿恰好は黒っぽい深緑色のスーツに清潔そうに整った短い黒髪。

 年は俺と同じ二十代半ばくらいだろうか? いかにも真面目君というイメージが沸いた。


 だが、勝手に部屋へ侵入した者は危険人物に決まっている。

 見た目を綺麗に装い、優しく近寄ってくる奴は何かをしでかす悪であるとおおよそ検討はついた。

 声を出さずに、じっとその葉月と名乗った男を睨む。するとその表情に反応したのか男は両手を開いた。

 手には危険なものなど何も持ってないことをアピールしているのだろうか?

「まあ、落ち着いて下さい、いきなりカーテンを開けたら驚きますよね」

「か、カーテンの問題じゃないだろ!」

 まあカーテンが突如開いたのは一番驚いたが……いや、そもそもお前がいる時点で全てが驚きだろうが!

「私は怪しいものではございません、明良あきらさま」

「怪しい奴は怪しくないって言うのはな……」

 おい待て。

「……何故俺の名前を知っているんだ!」

 やはり怪しい! 俺の個人情報を調べあげたのか?

 そもそも家に入ってくるということは郵便物なども調べあげられているはず。

 俺はさらに睨みを利かせ、持っていた傘をぐっと両手で握りしめた。

 そうしている間にスーツの葉月と名乗る男は話し始めた。

「当たり前でございます。中曽根家の御曹司である明良さまのことはしっかりとお父上様から伺いましたので……」

 その言葉を聞いて唖然とした。

 先程までの警戒していた俺の張りつめた神経の糸はぷつりと切れたようだった。


 俺の名は中曽根明良、24歳のフリーター。

 だが、今や大企業である中曽根グループ社長の息子なのだ。

 親父とは反りが合わず、将来のことで色々と一悶着あり今までの生活が嫌になってしまった。

 だから俺は大学にも途中で行かず、家を飛び出し一人暮らしを始めることにした。

 給料はあまりいいとは言えないが、なんとか見つけ雇ってもらえたバイト。そして友人に頼んでなんとか入れたボロアパート。

 今まで頑張ってきたはずなのに、こんなにもあっさりと見つかるとは。


「そうか……で、何しに来たんだ? 俺は家には戻らないぞ!」

 俺は持っていた傘を下げ、葉月に吐き捨てるように言った。

「大丈夫ですよ、私はただ明良さまの面倒を見るようにと来ただけですので」

「へ!?」

 おもわず変な声を上げてしまった。葉月は笑顔を見せ、そう柔らかい声色で言った。

「面倒を見るって……どういうことだ?」

「ですから、お世話をさせていただくという――」

「ふざけるな!」

 葉月の声を途中で遮り、叫んだ。

「親父とは関係ないだろ! 出ていけよ!」

 俺は葉月の手を掴もうとしたが、葉月は先程とは打って変わり、眉を上げ目を見開いた。

「そうもいきません! 最近のあなたの行動には目に余るものがあります」

「なんだと、一体どこで見ていたんだよ!」

「あなたのことはお見通しですよ」

 葉月の鋭い眼光と淡々とした声色に、冷や汗が出た。


 いままでの行動を把握されてたということか? くそ、親父め。

「とにかく、本日からあなたの専属執事としてお世話をさせていただきますので、よろしくお願いしますね」

 柔らかい声と優しそうな表情の素振りをみせ、にっこりと葉月は微笑んだ。

「はあ!? ふざけるなよ!」

 どこかの可愛いメイド姿の女の子がやってくるならまだ許せるが、こんな野郎の世話になんかなりたくない!


「出て行け!」

「出て行きません」

 俺の威勢に負けず劣らず、葉月はハッキリとした声でボリュームをあげてくる。

 こうなったら……。


「警察呼ぶぞ……」

 そうだ、そもそも最初から警察を呼んでおけばいいのだ。

 俺のドスを利かせた低い声に葉月は少し押し黙ったが、すぐさま軽く返答した。

「それは困りますね。ですが、そうとなればあなたもこの家から出て行くことになりますよ」

 葉月は少し真顔に近い表情になった。

「なんだと?」

「こちらのアパートの買取なんて容易いので、簡単にあなたを出て行かすこともできます。さらに今勤めていらっしゃるアルバイトも場合によっては解雇させることだってできます」

 淡々とした口調で語っているが、表情が段々と奇妙に感じてくる。

 恐ろしいことを聞いた。

「ふ、ふざけんな! 俺は親父の手のひらの上で踊ってるのかよ」

「まあ、そういう事になりますかねー」

 今度はのほほんとした雰囲気の笑顔を浮かべている。ころころと雰囲気が変わる葉月はやはり奇妙に思えた。


 だが、俺はかなり頭にきていた。うっかりこの男に手が出そうになったが、呼吸を大きく吸いゆっくり吐いて冷静になろうとする。

「わかった、好きにしろ」

 俺は投げやりに吐き捨てるように言い、床にどすっと座り胡坐をかいた。


 せっかく出てきた居心地の悪い実家。それに比べて今の俺の家は楽園だ。戻るよりはこいつといる方がまだマシだとその時は思ったのだ。

「物分りがいいのは良い事ですね」

 手をぽんと叩いて、葉月が微笑んだ。

 くそ、全くいつか痛い目あわせてやるぞこいつ!


 そんな訳で、俺はこの葉月宗司という謎の執事との生活が始まった。まさかこんな貧乏フリーターの男に執事が就くとはどういうことなのだろうとひとり物思いにふけるが、しょうがない。

 なんとしてもこの男を追い払う方法を今後考えていこうと決め、明日のバイトのために就寝した。

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