狼男と脈打つ霊具

「――ぅん?」

 は無機質なコンクリの地面とは違った。

 柔く包み込まれるような冷たさを背中で感じ、優己は目覚めた。

 上体を起こすと、正面に人一人通れる程度の十分な割れ目があり、そこから月明りが差し込んでいるのが見えた。

 ポケットからケータイを取り出す。LEDライトを点灯させると、ささくれ立った木肌が照らされた。

 慎重に見回してみる。

 朽ち木と腐葉土の醸し出す、嗅ぎ慣れないニオイ。

 どうやら自身が、巨木の内部が腐って空洞化した“ウロ”の中にいることに気づき、唖然としていると。

「……おい」

 すぐ隣で大きな人影が動いた。

「うぁああっ……ぁあっだぁっ!?」

 飛び上がった拍子、後ろの壁に頭を強打した。

「イッタぁ……っ」

「騒がしいやつだ」

 そこにいたのは、片膝を抱えて窮屈そうに座る大男だった。彫りの深い顔立ちに無造作な短髪。黒シャツは色あせ、ジーンズには意図的なものではなさそうな損傷ダメージが窺える。

 おもむろに口を開いた。獣を彷彿とさせる犬歯が覗く。

「おい、お前……」

「ちょちょちょ、待ってください! 違うんです! 僕、プレイヤーじゃないんですぅっ!」

「知ってる」

「信じられないと思いますけど、僕、普通の人間なんです。話すと長くなるんですけど」

「だから知ってる」

「いい加減なエンマ大王って人のせいで、霊能力がついちゃって、それで」

「知ってると言ってるだろうっ!」

 男がウロの内壁を拳で叩く。優己は肩を竦ませた。

「知ってるって……?」

「ああ……ニオイが違うからな」

 男は鼻をフンと鳴らした。

「おれたちプレイヤーは借體しゃくたいという仮初の肉体を与えられた。いわばニセモノだ。極めて精巧に作られた、人の肉の形をしたものでしかない。他の奴らは知らんが、おれは違和感しか感じん」

 男は自身の掌を見つめる。厚い表皮には無数の擦り傷が窺えた。

 穿つような視線が優己に移る。

「だが、お前は違う。だ。なのに、おれたちのことを知ってる。なぜだ? お前は何者だ?」

「えっと、それ、さっき言おうとして」

「あ?」

「ごめんなさい!」

「あと……」

「?」

「照らすな。眩しい」

「あ」

 咄嗟にLEDライトを向けたままだった。

 それから優己は、なるべく平静かつ丁寧に事情を説明した。緊張で舌がもつれた箇所もあったが、男は野次ることもなく聞き入ってくれた。

「――なるほど……生身のガキがこんな血生臭いゲームに巻き込まれるとはな。流石に同情してやる」

「そりゃ、最初は不安で仕方なかったですけど、今は違います。いろんな人が僕を支えてくれてますから」

「フン」

 無愛想な男ではあるが思いの外、話が通じる人物ではないかと優己は感じた。そこで最も気になっていることについて尋ねることにした。

「あの……ところで、何で僕、ここに連れてこられたんですか?」

「カムイだ」

「カムイ?」

 男が顎で指し示す。ウロの入り口には、体を丸めて眠っているらしい例の野犬がいた。

「あの犬、ですか?」

「違う、と呼べ。誇り高き狼犬おおかみいぬの子孫だ。犬と呼ぶな!」

「ご、ごめんなさい……あの、もしかしてカムイって、あなたの“霊具”だったりします?」

 男は目を見開いた。

「だったら何だ?」

「いや、その、びっくりしたというか。霊具ってなんでもありなんだなぁって」

 霊具とは、プレイヤーが生前に最も愛用し、特別な思いを抱いた道具だと臥月が説明していた。

 しかしカムイのような生物も、その定義に含まれているとは思わなかったのだ。

 仏頂面で威圧的な男だが、犬と呼んだことをたしなめるなど、カムイに対しては並々ならぬ情を抱いているらしい。

 動物好きに悪いものはいないと聞くが、彼はその例に漏れないのか?

 男をまじまじと観察してみる。すると伸ばした右足の異変に気付いた。布地が破け、奥には乾いた血痕のようなものが垣間見えたのだ。

「あの……右足、ケガしたんですか?」

「質問が多いぞ」

「すみません。僕もほら、右足ケガしちゃって。今日、空手の稽古してたんですけど」

「訊いてないことをベラベラ喋るな」

「稽古の前に準備体操したんですよ。そしたら、最初の動きで足捻っちゃって」

「だから訊いて……」

「準備体操の準備体操が足らなかったねって」

「……」

「……ああ。その」

「ふふ、ん」

「えっ?」

「最近のガキは軟弱だな」

「えっ? ちょ、今笑って」

「このケガは……二日前の戦闘で負ったものだ、折れてまともに動かん」

 何かをごまかすためか、男は訊いてもいない負傷の理由を語り始めた。

「でかく、速く、硬い……強大な敵だった。何とか逃げられたが、思い出すだけで忌々しい……次は必ず仕留める」

「隠人の治療は受けてないんですか?」

「この借體は借り物でニセモノだが、己の肉体には違いない。そこで自己治癒力に委ねることにした。奴らは気に食わん。他人は信用しない」

 優己はハッとカムイを見た。

「もしかして……同じ右足をケガしてる僕を見て、ここまで連れてきたのかも。ケガを直してもらおうと思って……!」 

「カムイのやつめ、余計なことを」

 優己はウエストポーチに手を伸ばす。

「この中に消毒液や包帯とか色々入ってるんです。簡単な治療ならできるかもしれません」

「さっきの話を訊いていなかったのか? おれはもう、誰からも施しを受けたくない」

できるんです。やらせてもらえませんか?」

「だから、おれはっ」

「クゥン……」

「……カムイ?」

 いつの間にか、男の傍らにはカムイが寄り添っていた。甘えるように体を預け、上目遣いで見つめている。まるで彼をなだめ、労わるような仕草だった。

 男はしばし黙考していたが、観念したように息をついた。

「……カムイが望むことなら仕方ない。さっさとしろ」

「は、はい! あの、一つ訊いていいですか?」

「しつこいガキだな。まぁいい、なんだ?」

「あなたの名前を教えてくれませんか?」

 男がしかめっ面を浮かべても、優己は続けた。

「この子の名前を教えてもらったのに、肝心のあなたのことを知らないのはおかしいと思って」

 優己のまっすぐな視線に耐えられなくなったのか、男は顔を伏せて答えた。

「……千光士丈せんこうじたけるだ」

「すごい! かっこいい名前ですね! 丈さんって」

 男――丈は途端に険相を深め、ウロの内壁を爪で引っ掻いた。

「……ガキ。調子に乗るなよ。おれは名前を教えてやったが、呼べとは言ってないぞ。さっさと忘れて、お前のやるべきことをやれ」

 歩み寄れたかに見えたが依然、丈の強硬な態度は崩れなかった。

 その迫力に息を飲みつつ、優己は作業の手を進めた。






「――はい、終わりました」

 優己は額の汗を拭った。

 丈の右足は、やや歪ながらも厳重なテーピングが施されていた。

「下手くそだな」

「すみません。母の見様見真似ですけど、あのままにするよりかはずっといいかなと思います」

「まぁ……幾分かマシになったのは確かだ。なぜ、おれにここまでする?」

 優己は道具をポーチに戻しながら、伏し目がちに答える。

「正直、最初は誘拐されたのかと思って、すごく怖かったんです。でも、いざ丈さんと話してみたら、僕の話をちゃんと訊いてくれたし、案外悪い人じゃないって分かったから。顔は怖いけど」

「フン。お前の、その度胸だけは買ってやる」

 言葉とは裏腹に、丈の不機嫌な面構えがわずかに緩んだ時。

 突然カムイが起き上がり、ウロの外へ向かって吠え立てた。

「ヴルルルル……バウバウッ!」

「きたか」

「えっ?」

 優己が耳をそばだててみると、遠くの方から自分を呼ぶ声が聞こえる。

「優己ーっ! どこだーっ!」

「優己くーんっ!」

「いないならいないって言ってーっ、優己くーんっ!」

 耳触りの良い、三人の声。優己は不安から解放される心地を感じた。

「剛兄……みんな、探しに来てくれたんだ」

「思っていたより、遅かったな」

「え?」

に迎えに来させたんだ。向こうは複数のようだが関係ない……狩りの時間だ」

 丈は壁伝いに体を起こした。右足をかばうようなぎこちない動きを見て、優己は手を差し伸べる。

「あの、大丈夫で……」

「人の心配をしている場合か?」

「えっ?」

「もうお前に用はない。さっさと失せろ。カムイ!」

「バウッ!」

 丈の目配せを受け、カムイが動いた。優己の襟首に噛み付くと、そのまま外へと引きずり出そうとする。

「あわわわわ……っ!」

 抵抗やむなく、ウロから引き離されていく。それを見送る丈と一瞬、目が合う。その表情からは、どこか物憂げな印象を受けた。

 不意に首にかかる力が抜け、地面に投げ出される。

「アッイタタ……ッ」

「優己っ!」

 彼の元へ、血相を変えた剛我たちが集う。数時間会っていないだけにも関わらず、その顔ぶれにどこか懐かしさを抱いた。

「優己君、大丈夫!? ちょっと待って、右足ケガして……」

「えっ? これは……」

「もとからだ、バカ」

「あ。そっか」

「他に怪我はしてない?」

「だ、大丈夫です……」

 ふみかと竜真に両腕を抱えるように支えられ、立ち上がる。ふと、正面から覆うような影が差した。優己と丈を隔てるように、剛我が立ち塞がったからだ。

「よう、テメェか。犬っころを使いに寄越しやがって。オレの弟が世話になったみてぇだな。お礼させてくれや」

「ふん……」

 相まみえる両者。身長百八十を超える剛我に対し、丈は百九十近い上背である。備える筋肉量も、丈が一回りほど多く蓄えている。

「その筋肉は見掛け倒しか? じゃなきゃ、ガキを誘拐するなんざ卑怯な手を使う理由がねぇもんな」

「どうとでも言え。今のうち、何か弟と話しておくんだな。最後の会話になる」

 一触即発の睨み合いが続く。

 固唾をのんで見守る優己たちの脇を、一人の人物が横切った。

「盛り上がっているところ悪いが、まだ戦闘は始められないぞ」

 現れたのは隠人、首藤臥月だった。今回はエンマへの土産は持たずの登場である。

「なんだ、お前かよ」

「久しぶりだな、十文字剛我」

「前口上はいいから、さっさと始めろ」

「そう急かすな。ここは場所が悪い。幸い、近くに絶好の戦場がある。ついてこい」

 剛我の心情を汲む素ぶりもなく、臥月はそそくさと歩き出す。

「お前ら、ちょっとそいつ貸せ」

「え、ちょ、うわっ!?」

 優己は、剛我の左肩に軽々と担がれた。そのまま臥月の後を追っていく。残りの一同もそれに続いた。

「おい、優己。あいつに妙な真似されなかったか?」

「うん、大丈夫。あの人……丈さんっていうんだけど、見た目ほど怖い人じゃないよ」

「あ? 寝ぼけてんのか。誘拐されたんだぞお前」

「あの、その誘拐っていうのがちょっと間違いというか」

「はぁ?」

「監禁や誘拐事件における、被害者が犯人に対して好意的な心理状態に陥ることをストックホルム症候群と呼ぶそうです。今の優己君はそれに近い状態なのかもしれません」

「あ、竜真君がまた難しい言葉使い出した」

「いや、ほんとに大丈夫……」

 優己は最後尾を歩く丈に目をやる。

 右足を浮かせ、健常な左足で飛ぶように歩いていた。その傍らに、顔色を窺うようにカムイが並んでついてきている。

「カムイ、心配するな。問題ない」

「クゥン……」

 その様子を憂いを湛えた目で眺める優己に、ふみかと竜真は不思議そうに顔を見合わせた。

 歩き出して十数分後、ようやく臥月推薦の戦場――ゴルフ場に到着した。

「ここならば、お互い全力を出せるだろう。では、六稜忌暈を最大展開し……」

「ちょっと待て」

 剛我は忌々しげに丈を指し示す。

「こいつ、優己を誘拐したんだぞ? “一般人に危害を加えるクソ野郎は失格”だとか何とかいうルールのはずじゃなかったか? どうなんだ、おい?」

「誇張するな。失格ではなく、霊具の没収だ」

「それだよそれ。さっさと没収しろよ」

「あぁ、だから、ちょ、ちょっと待って」

 優己が慌てて静止する。

「あの、臥月さん。僕、大丈夫ですよ。特にケガとかしてないし。あぁ、この右足は関係ないですから……」

「おいおい、まだそんなこと抜かしてんのか。お前、どっちの味方だよ?」

「いやぁ、味方とかそういうんじゃなくて。とにかく危害なんて物騒なこと、ありませんから!」

 優己自身も、なぜここまで丈に肩入れしてしまうのか分からずにいた。

 少なくとも優己を連れ去ったのは、丈を気遣うカムイの独断であり、彼の意思ではない。

 そして、ほんの短い交流が、彼を悪人と断ずることを是としなかったのだ。

 もっとも、そのような事情など、剛我にとっては理解の外であった。

「あー、誘拐で思い出した。優己、お前、とっとと合宿所に戻らねぇとヤベェぞ」

「えっ?」

「お前がいなくなって、大騒ぎだったんだぞ。お袋を早く安心させねぇとな」

「ああ、そっか。でも優己君、その足じゃ一人で帰れなくない?」

「松葉杖もありませんからね。誰か付き添う必要があると思いますが」

 優己は当惑した面持ちで、三人の顔を順番に見回した。

「いやいや、帰ったとしても僕、なんて言い訳すればいいの? 誘拐されたけど帰ってきましたっていうの? みんな信じてくれる?」

 そこから四人は頭を捻り、思索した。残る二人と一匹は蚊帳の外である。

 竜真がそのを導き出すのに、一分もかからなかった。

「――……私が付き添うのか?」

 白羽の矢が立ったのは、臥月だった。訝しげに剛我を見つめる。

「お前しか頼めねぇだろ。オレらが付き添っても、お袋たちにとっちゃ優己一人が帰ってきたことになるんだからな」

 剛我が、優己の頭を撫で回す。

「そしたら事情を訊かれるじゃないですか? 松葉杖落としてるから、散歩や迷子じゃ通用しないだろうし。そこで、結局誘拐されたけど自力で逃げ出したってことにしようかと……」

 優己は、伏し目がちに呟く。

「そ。それでたまたま近くを通りかかった一般隠人の臥月さんが保護して、連れてきたってことにすればいいの。はい、完璧」

 ふみかが指を立て、自信満々に説明を結ぶ。

「これも全ては優己君のため。ご迷惑をおかけしますが、どうかご協力をお願いします」

 竜真が頭を深々と下げる。

「まぁ……以前、『巻き込ませてしまった以上、我々も最大限の配慮はする』と約束してしまったからな。仕方ない、協力しよう」

「別に、他の隠人やつ呼んでくれてもいいんだぜ?」

「それが……他の隠人はあいにく出払っていてな。こんな僻地に来るにも時間がかかる。たまたま私の手が空いていたからいいものを……いいか? 私は歳こそ若いが、霊界では極めて高い地位に」

「いいからさっさと連れてけや。待っててやるから」

 臥月は何か言いたげな様子だったが、すんでのところで飲み込んだ。そこから深呼吸すると、優己に向き直る。

「優己君、行こうか」

 そこには柔和な笑顔があった。大人とは何たるかを垣間見る優己であった。

 コートを脱ぎ、裾を捲ると、威勢良く優己を背負う。一瞬、足がもつれたが、なんとか立て直した。

「臥月さん、大丈夫ですか?」

「ああ。心配するな。では、合宿所へ向かおう」

 そこから数歩進んだところで振り返る。

「君たち、勝手に戦闘を始めるなよ? フリじゃないからな」

「わーってるからさっさと行け」

「優己君をよろしくねーっ!」

「すみません、臥月さん……」

「……」

「クゥン……」

 優己と臥月を見送る一同。その背中が闇の彼方に消えた、間も無くのことだった。

「さて、と」

 剛我が踵を返し、丈の鼻先へと一気に詰め寄る。

「よぅ……犬っころの散歩は済ませたか? クソの始末は? ペットの世話ぐらい、しっかりしろよ」

 露骨な挑発に対し、丈は眉根を寄せる。

「ペットじゃあない。おれの相棒だ」

「ああ、そうだな。躾もろくにされてねぇんじゃ、ペットですらねぇよな」

「貴様……」

 二人の舌戦を、ふみかと竜真が遠目から見守る。

「剛我先輩、相当苛立ってますね」

「そりゃ優己君が絡んだことになると気合が違うよね。逆にあたしたち、冷静になっちゃったかも」

 ふみかはそう言って笑ったが、竜真の胸中は穏やかではなかった。

 対する二人の様子が、次第に熱を帯びてきていたからだ。

「カムイを愚弄するやつは許さんっ!」

「オレの身内に手ェ出しといて、バカ抜かしてんじゃねぇっ! つうか、何だよその右足? どんな間抜けこいたらそうなるんだ、あぁっ!?」

「貴様こそ、右腕に大層なケガをしているようだが? おおかた、不慣れなケンカでもしたんだろう。口だけの男だ、拳の使い方なんぞ知らんのだろうな」

「オレが? 不慣れ? 試してみるか?」

 その左拳の細動を、竜真は見逃さなかった。

「剛我先輩、ちょっと待……っ」

「待つわけねぇだろバカ野郎っ!」

 審判不在。夜のゴルフ場。三対一。何ともイレギュラーな戦闘の口火を切ったのは、剛我の左フックだった。

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