「07話 『死んだはずの裏切り者』」

 グレイスの家。

 古い賃貸住宅。

 あまり物は置いていないおかげで、散らかってはいない。

 それなのに、

「お、あ、うあ、うあああああああああんっ!!」

 サクリは、何もないところでつまずくようにこける。

 持っていたお盆の上には、三つの茶碗が宙に投げ出される。

 そのうちの一つが、ひっくり返って膝元に落ちてきた。

「……あっつっ!」

 火傷の心配はなさそうだが、シミになりそうなのが怖い。

「ちょ、ちょっとっ!! 大丈夫ですか!? グレイスさんっ!! サクリさんっ!」

「す、すいませぇん。お茶を運ぼうとしただけなのに……」

 サクリもある意味器用にお茶を被っていた。

 どんな転び方をしたら自分の胸元にお茶を溢せるのか。

 シャツが透けているせいで、レースがついた下着が薄ら透けて見えてしまっている。

 だが、そんなこと気にも留めていない。

「あっ、こんなところまでかかってしまって! 今、私が拭きますから!」

 ハンカチを取り出し、四つん這いになる。

 胸元がお茶のせいで熱いのか、無意識にシャツのボタンを外している。だから、その。寄り掛かる体勢になると、見えてしまう。

 パックリと前が開いて、完全に下着が見えてしまう。

 まずいのは、それだけじゃなくて。

 お茶がこぼれてしまった膝元のラインをハンカチで上になぞられると、触られて欲しくないところまで到達してしまいそうになる。

 もう、この人天然とかじゃなくて、わざとやってるんじゃないのか。

「いや、いいからっ! そこはっ!」

「えっ……でも……」

 ビクン、と怯んだ隙に、

「サ、サクリさん! 早くこっちに来て、身体をバスタオルで拭いてください。スケスケです!」

 ミライが叫ぶ。

「はっ、はいっ!」

「服は……そこらへんにおいてください。着替えなら、私の貸しますから!」

「でも、そんな悪いですよ……」

「いいんですっ! そんな姿でグレイスさんのことを誘惑され――いや、風邪を引かれたら困りますから!」

「わ、分かりました!」

 見えないところに行ってほしくない。

 今は二人きりになりたくない。

「――グレイスさん」

「は、はい」

 怒っている。

 何に対して怒っているのかは分からないが、この声のトーンは確実に怒っている。

「あまり先輩に対してこんなこと言いたくないですが、気を付けてくださいね」

「な、なにを?」

「あ、ああいうことです! 先輩はただでさえ女性から言い寄られているんですから! ああいうことをしていると、女性は先輩に惚れます!」

「……いやー、下着姿を見られたからといって、普通その相手に惚れないと思いますけど?」

 発想が飛躍しすぎだ。

 むしろ、嫌われるはずだ。

「やっぱり、見たんですね?」

「うっ」

 誘導尋問だったらしい。

 どこでそのノウハウ覚えたんだ。

 父親からか。

「人は好印象だろうと悪印象だろうと、記憶に残るハプニングで先輩のことを意識してしまう。そうなったら、もう手遅れなんです。私が今までどれだけ『この手紙、あの人に渡しておいて』と頬を赤らめた女性に言われたと思っているんですか。先輩はもうちょっと私の苦労を知るべきですよ」

「す、すいません……」

 そんなもの、もらった覚えがない。

 ということは、全部シャットダウンしているのか。

 だとしたら、こっちが怒るべきなのだろうが、とにかく謝っておいた。

 何が悪いか分からないが、女性が怒ったら何も考えずに謝る。

 誰が悪いかを追求しない。

 それが、男が生きていく上で必要な術だ。

「あ、ありがとうございました……」

 サクリは奥から着替えた姿ででてきた。

「あの、ミライさん、あの、私新人なもので、五年前の事件についてはあまり詳しくしらないんです……。情報もあまり開示されないし……。私から話をしようといったのに恐縮なんですが……。もしよければ、五年前のこと訊かせてもらえないですか?」

 そういえば、そういう話だった。

 ハプニングが起こり過ぎて、すっかり忘れていた。

「はい。私が知っていることなら……」

 そうはいっても言いづらそうだ。

 こちらから話題を振った方がいい。

「ミライさんの親父さんって、憲兵団だったんですよね。しかも、大佐クラスだったとか」

「ええ、そうです。グレイスさんには話していましたっけ?」

「……ああ」

 聴いたことはあるが、調べたことの方が多い。

そのことは言わない方がいいだろう。

 ミライにとっては、気分のいいものじゃないだろうから。

「お父さんとプリズンさんが組んで、五年前の事件の犯人を追っていたんです。プリズンさんに会うのも、五年ぶりですね」

「私もそれは聴いたことがあります。『連続焼殺事件』――その被害者の特徴は、刀剣で斬られたような裂傷と、全身を焼かれる事件ですよね。その凄惨な事件の真犯人は当時十二歳の子どもだったって……」

「そう……です……」

 明らかに気分が悪そうだ。

「ミライ、あまり無理は」

「いいえ、大丈夫です」

 顔が青ざめているが、意地っ張りのミライはまだ話を続ける気のようだ。

 サクリもそれを察して話しかける。

「……でも、捕まったはずですよね?」

「そうです。そして、犯人が最後に殺したのは――私の父親だったんです」

「――っ! なら、どうして今更……!?」

「生きていた、ということですね。もしくは、亡霊として化けてでたとか……」

「生きていたって、妙な言い方ですね。当時十二歳の加害者は『少年保護法』によって守られている。我が国の法律では、十六歳以下の子どもに死刑判決を裁くことはできないはずです……」

「いいえ、死にました」

 ミライは首を振る。


「移動中の護送車が事故を起こして、そのまま崖下に落下したんです」


 サクリが、口を半開きにする。

「ですが、死体は発見されなかったんです。崖の下は入ったら最後、確実に死ぬと言われる樹海で、捜索しようにもできなかった。……私の『スペシャリテ』でも、探し出すことができませんでした」

「たまたま、樹海から抜け出せたってことですか?」

「違うんです、サクリさん。絶対に抜け出せないような迷路になっていたんです。あの樹海を脱出するのは、隕石が落下する確率よりも低いと言われていました。……だけど、彼は……キリアは抜け出すことができる『スペシャリテ』を持っていた」

「……『スペシャリテ』……?」

 恐らく、樹海から抜け出せる唯一の『スペシャリテ』。

 それは、


「テレポーテーション。――つまり、空間転移魔法です」


 瞬間移動ができる『スペシャリテ』……か。

「テレポーテーション? そんなことができる奴が……」

 サクリはにわかには信じられないようだ。

「ええ。犯人を決定づけることになったのも、彼の『スペシャリテ』が、テレポート能力だったからです」

「そういえば、憲兵団の資料でチラッと見たかもしれないです。確か最後の事件は――密室殺人だったと……」

「ええ。鍵は内側からかけられていました。だから、最初は自殺なんじゃないかって言われたんです。だって、密室で死んでいたんですから……」

「でも、じゃあ、どうしてキリアが犯人扱いされたんですか?」

「死体の第一発見者だったんです」

「第一発見者? 鍵を開けずに入ったんですか?」

「いいえ。彼は鍵を持っていました。それで開けたんです。彼の誤算は、自分以外の人間の関係者全員にアリバイがあったことです」

 そんなまさか、とサクリが小声でささやく。

「関係者? それってまさか、犯人も関係者だったんですか――!?」

「そうです。キリアは、私の父を殺した犯人でありながら、私のかつての友人でもあり、家族付き合いもあった――」


「最低の裏切り者なんですよ」

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