紫煙遊園地

 気付けば僕は廃墟の中を歩いていた。

 そこは最初、どこかの街の成れの果てかと思ったけれど、よくよく見れば回転木馬の死体や、風船だったであろう薄汚れたカラフルなゴムの皮が転がっている。そして顔を上げれば月に照らされて錆びて今にも朽ち果てそうな観覧車が瓦礫の向こうに見えた。僕はそれを見て、今が夜だということに気付いた。


 何かに呼ばれている様な気がして、あの観覧車を目指す。割れたガラスを踏みつけた時、ジャリっと綺麗な音がした。それはまるで頭の上で僕を見下ろしている星が溜息を漏らしたみたいだった。きっと悲しいのだろう。その音を置いてけぼりにして、歩いていく。


 観覧車の前は開けた空間になっていた。それは、何かの劇場みたいだった。昔見た、イタリアの郊外にある石の劇場によく似ていた。その劇場の真ん中あたり。崩れた岩に女の子が座っていた。白いワンピースを着ていて、髪の長い女の子だった。

 女の子は空を見上げている。

 しばらく見とれていると、こちらを向いて「やあ」と笑った。


「やあ、こんなところで何をしているの?」

「星を見て居たんだよ。ところで煙草は吸えるかい?」

 女の子はどこから取り出したのか、煙草を咥えていた。僕にも一本差し出している。

「吸えるよ。ありがとう」

「それは良かった」

 静かに笑ってマッチで自分の煙草に火をつけたあと、僕に向かってその火を差し出す。

「やっぱりマッチで火をつけた方が美味しいよね。……その煙草を吸い終わったら、君は目を覚ましてしまうんだろうね」

 そうか、やはり夢なのか。と思った。

「それじゃあ、君は僕の妄想ということになるのかな」

 女の子は煙草を咥えたまま空を見上げている。見上げたまま答えた。

「……ちょっと違うかな。ここはね、物語達の成れの果てなんだよ。言い方を変えれば、君が送るはずだった物語の成れの果て。君が選ばなかった物語の成れの果て。選べなかった物語の成れの果て」

 夜空から目を離さずに、女の子は一気に答える。その答えはとても抽象的だったけど、なんとなく分かってしまった。目覚めが近いせいかもしれない。女の子は僕の顔を見ると、話を続けた。

「ほら、ここは遊園地だったんだ。とても楽しい場所だった。どの乗り物に乗っても面白くて、しょうがない。でも今は廃墟だ。君は一つの乗り物しか選べなかった。それに乗ってあの空へ飛んで行ってしまったんだよ。君はこの劇場を見つけられなかった。だから私は君に出会うことなく、ここで夜空を見上げてるんだ」

 口に咥えた煙草がもうすぐフィルターにさしかかろうとしていた。女の子に何か言ってあげたかったけど、言葉が出てこない。

「それはきっと悪いことじゃないし、君が背負うものでもないけれど。寂しいからたまには思い出してね」

 そう言って女の子の目から涙がこぼれる。僕の咥えた煙草はもうこれ以上燃えるところはないのに、彼女の咥えた煙草はまだ全然燃えていなかった。

「今度は、この物語で会えると良いね」

 次の瞬間、僕の口から煙草が落ちた。




 目を覚ますと、そこはいつもの自分の部屋だった。

 机に突っ伏して眠ってしまったらしい。

 机の上には高校の時の友人からの手紙。そこには、あまり学校に来ていなかったクラスメイトが亡くなったこと、その女の子の葬儀があるから地元に帰って来いということが綴られていた。

 その子のことはあまりよく覚えていない。顔もぼんやりとしか思い出せない。

 でも確か、一度だけ一緒に煙草を吸ったことがあったような気がする。

 それは授業を抜け出した屋上だった気もするし、どこかの公園だった気もする。ただ、その一回きりだった。何を話したかも覚えていない。

 どうしてそんな彼女の事を覚えていたかと言えば、一つ彼女に教えてもらったことがあるからだった。


 僕は煙草を手に取りマッチで火をつけると、手紙の返事を書き出した。

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