第2話 銭狂いと天使が出会った日②

 朝食を食べ終え、タダクニはユウキとシズカと揃って家を出た。

 時折、朝っぱらからガチの殴り合いを繰り広げている住民やプロペラの破片が屋根に突き刺さったままの住宅などが見受けられるいつもの通学路を歩いて行くと、少し先の曲がり角から柔らかな長髪をポニーテールにまとめた少女がひょっこりと出てきた。

「あ、サヤカちゃんだ! おっはよー!」

 ユウキが声を弾ませながら駆け寄ると、少女は朗らかに笑って足を止める。

 たちばなサヤカ。タダクニのクラスメイトで、彼の三人いる幼馴染の一人だ。見てくれはそこらのアイドル顔負けに整っており、スタイルもスラッとしているが出るところはしっかり出ている。一〇〇人の男がいれば九九人は目を止め発情するであろう。残りの一人は生粋のゲイか、あるいはのどちらかに違いあるまい。

「おはよう」

「よーす」

「おはよう、サヤカちゃん」

 適当に挨拶を交わすと、四人は一緒に歩き始める。

「ねえ、サヤカちゃん。今日の部活終わったらパフェ食べに行こうよ。近くに新しい店が出来たんだって!」

「あー、ごめんね。今日はちょっと用事があるから、部活終わったらすぐに帰らないといけないの。また今度ね?」

「そっかー、残念」

 サヤカとユウキは女子バスケ部に所属している。一応は先輩と後輩の関係ではあるが、昔からの付き合いで姉妹のように接してきたので、部活動以外の場ではいつもこんな感じだった。

 ちなみにタダクニも男子バスケ部に所属していたのだが、理由から既に退部している。

「だからお前は金使いが荒過ぎんだよ。ちったあ節約しろ、節約」

 言いながら、タダクニは自然な動作で路上の飲料自販機の返却口に手を滑り込ませる。既に億万長者となったタダクニだが、常日頃の行動が既に条件反射となっているのだ。

「相変わらずせこいわねえ。やめなさいよ、恥ずかしい」

「しょうがねえだろ、体が勝手に動くんだよ――ん?」

 タダクニは急に足を止め、注意深く周囲を見回し始める。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「いや、どっからか金の気配が……そこだ!」

 言うや否や、目にも止まらぬ速さでタダクニは手近な建物を駆け上ると、そこから壁を蹴ってさらに跳躍し、高さ八メートルはある街灯のてっぺんに向かって手を伸ばす。

「はっ!」

そのまま華麗に三点着地を決めた彼の左手には、一枚の紙切れががっしりと握られていた。

「おお、漱石さんではあーりませんか! お懐かしゅうございます!」

 満面の笑みを浮かべてタダクニは手にした旧千円札に頬ずりする。どうやら風にでも飛ばされたのか街灯に引っかかっていたらしい。

「相変わらず金が絡むとすごいわねえ、あんた……」

 街灯を見上げながらサヤカは呆れたように呟く。

 普段街灯などには気も留めないだろうし、ましてお札が引っかかってるなどタダクニ以外の誰も気が付かなかったわけだが、驚くべきは彼の観察力ではなく高さ八メートルまで瞬時に到達できる身体能力の方であろう。

「これも日頃の行いがいいからだな。きっと天からのご褒美に違いない」

「どこがだよ! ちゃんと交番に届けろよ!」

 何の躊躇いもなくポケットに千円札をねじこむタダクニに、ユウキが突っ込む。

「アホ言うな。ここの警察に届けたってあいつらがネコババするだけだ。見てみろ、あれを」

 そう言ってタダクニがあごをしゃくって差した方向には、朝っぱらから缶ビールを呑みながら交番内で花札賭博に興じている警官達の姿があった。

「うっ、確かに……」

 堕落しきった国家権力を見せられ、ユウキは何も言い返せず黙ってしまう。

「だろ? あんなポリ公どもなんかより俺の輝かしいぐうたら生活のための資金にしてあげた方が漱石さんだって喜ぶってもんだ」

「あんただって大して変わりゃしないわよ。ほんと、昔からお金と楽する事しか頭にないんだから」

「うるせえな! ほっとけってんだ!」

 呆れるサヤカにタダクニは怒鳴り声を上げるも、強く否定もできなかった。

 生まれてこのかた一六年、事実タダクニは如何に楽して稼ぎ働かず生きるかということしか考えたことがなく、そこに恋の悩みだの思春期だの中二病だのといったものが入り込む余地は一切なかった。

 その証拠に、いくら妹や幼馴染とはいえ美少女三人に囲まれながら登校するというシチュエーションは健康的な男子高校生なら常時発情状態なのだろうが、タダクニにとっては全く関心がなく、むしろ札束に囲まれている方がよほど興奮するのだ。

 以前、理想の女性のタイプを聞かれたら「余命いくばくもない金持ちの婆さん」と真顔で答えて周囲をドン引きさせたほどである。もし赤貧の美少女と裕福なブサイクのどちらかと結婚しなければならないのなら即答で後者を選ぶ、有馬タダクニはそういう男だった。


 世間話をしながらしばらく通学路を歩いていると、やがてタダクニ達の通う私立熊風くまかぜ高校が見えてきた。

 熊風高校は同じ敷地内に虎雷こうらい高校という別の高校がある珍しい学校だ。なので、朝の通学路には熊風と虎雷の二種類の制服を着た生徒達が多く見られる。

 この二つの学校は昔から何かと争っており、非常に仲が悪いことで有名だった。元々は一つの学校だったのだが、数十年前に色々と騒動があって分裂し、それから二校の長い長い因縁の対決は始まった。

 こちらが授業料を下げれば携帯キャリア会社並みの早さであちらも下げ、あちらが学力向上に精を出せばこちらはスポーツに力を入れる。ならばとパンフレットの内容をねつ造すれば、なにくそと卒業生に有名人の名前を勝手に書く。といった具合で、切磋琢磨せっさたくまと言えば聞こえはいいが、毎日のように醜い争いを水面上で惜しげもなく繰り広げている。

 とはいえ、そのおかげで授業料は公立並みに安く、勉強もスポーツも両校とも県内では上位に食い込んでいる。

 そんな熊風くまかぜ高校と虎雷こうらい高校だが、巷では『双子校』と呼ばれている。その理由は同じ敷地内に建っていることもあるが、中央のグラウンドを挟むように左右対称に同じ形の校舎が向かい合っているからだ。

 上から見るとコの字の形をした校舎は、AからCの三つの棟に分かれており、タダクニとサヤカのクラスである二年E組の教室はB棟の四階、ユウキ達一年生の教室は二階にある。

「どうしたんだ、こいつ?」

 教室へ着くなり、死んだように机に突っ伏している幼馴染の森川もりかわマサヒコの姿がタダクニの目に入った。ただモテそうだからというだけの理由で染めた茶髪に、全身から負け犬オーラが滝のように溢れ出ている男である。

「うむ、それがなんでも熱を入れていたアイドルに交際相手がいたらしくてな。見ての通りへこんでいる」

 隣に立っているもう一人の幼馴染、本望ほんもうウガチに訊いてみると、実にくだらない理由だった。

 ブサメンという言葉を体現したようなマサヒコとは対照的に、こちらは実家が古武術の道場を開いている影響なのか、やや古風な口調と精悍な顔立ちから武士を思わせるイケメンだ。

「世の中何もかも腐ってやがる! もう俺は何も信じねえぞ!」

 がばっと軽そうな頭を起こすと、マサヒコは両手を天井に掲げて声高に叫んだ。

「あ、裸の美女があそこに」

「なにっ!? どこだどこだっ!」

 タダクニの指差す方をマサヒコは電撃の如き速度で振り向いた。が、そこはガラス窓で、四階の教室から見渡せる外の景色以外には何もなかった。

「ちくしょう!」

 マサヒコは掲げた両手を机に打ち下ろして悔しがり、再び突っ伏してしまう。

「朝から騒がしいわねえ」

 そこへ自分の机にスクールバッグを置いてきたサヤカがやってきた。

 彼ら四人は幼稚園からの付き合いで、奇妙な事に小中高とほとんど同じクラスだった。

「まあ、気持ちはわからんでもない。私も好きな俳優が結婚した時は己の未熟さ故に心がかき乱れたことがあったものだ」

が結婚しようがどうだっていいんだよ! 、お前にゃ俺のこの張り裂けそうな胸の痛みは分かんねえよ!」

 本望ほんもうウガチは周囲からは『ガチホモ』と呼ばれている。

 平凡な男児ならばブタゴリラだのガチホモだのあだ名をつけられようものなら、登校拒否になり一生引き籠っているだろう。ただし、この蔑称べっしょうともいえるあだ名は別に彼の名前をからかってつけられたわけではなく、むしろ彼自らそう呼ばせていた。

 そう、彼は正真正銘の同性愛者なのである。

 今は茶髪が市民権を得ているのと同様に、同性愛者も認められつつあるが、未だに偏見や差別も多い。彼はそんな時代を憂いており、同性愛はなんらおかしいことではないということを身を以て証明して社会に広めるため、そして『ガチホモ』という言葉を胸を張って言えるようにしたい。

 そんな思いを込めて自ら『ガチホモ』を名乗っているのだ。が、初対面の人間がその崇高な意図を汲み取れたことは今までに皆無である。

「ピュアなハートが傷ついた俺には癒しが必要だ。っつーわけで、明日の写真は買いまくるからよろしく頼むぜ、タダクニ!」

「写真?」

 サヤカが訊ねると、タダクニは慌ててマサヒコの口を両手で塞いだ。

「な、なんでもねえよ、あはははは」

 そうやって誤魔化すように笑うと、小声でマサヒコをたしなめる。

(バカ野郎! 本人の前で言うなってあれほど注意しただろ)

(わ、悪い。ついうっかり口が滑っちまった)

「?」

 そんな二人をサヤカは怪訝そうに見ていると、助け舟とばかりにタイミング良く朝のホームルームを告げる予鈴が鳴った。

「おっとチャイムだ。早く席に着かないとな!」

「おお、そのとーりだ! さー今日も張り切って勉強するぞー!」

 わざとらしく声をあげてタダクニは逃げるように自分の席へと向かい、マサヒコも後ろの棚から授業中に読む教科書という名のマンガ(クラスの男子の共有品)を見繕みつくろい始める。

「なにあれ?」

「わからんが、まあタダクニ達も色々あるのだろう。さて、我々も席に着くとしよう」

 どうもに落ちなかったが、サヤカも自席へと戻ってバッグから教科書を机の中に移し始めた。

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