スマッシュライフ!

千両

1. 銭狂いと天使が出会った日

第1話 銭狂いと天使が出会った日①

 ――六月一七日(水)。

 有馬ありまタダクニの手には、三枚の『ウルトラジャンボ宝くじ』の券が握りしめられていた。

「……来た……ついに来た……」

 スマートフォンの画面に映し出されている前後賞合わせて三億円の当選番号と見比べ、頬を引っ張るのはもう何度目だろうか。タダクニの身体は喜びで痙攣けいれんしたかのように打ち震え、目には涙すら浮かべていた。

「ふはははははっ! とうとう来たぞ、俺の時代が! 苦節一六年、とうとう春が来たのだ!」 

 はたから見ればイカレたとしか思えない気色悪い高笑いを上げると、既に彼の頭の中では今後の人生プランが着々と組み立てられていく。


「さて、どうするか。古来より大金に魅了され欲という名の大海原おおうなばらに飛び込んだ連中は皆、欲におぼれて破滅していった。俺は奴らの二のてつは踏まん! 堅実に資金を運用し実のある人生を送らねばな。株やギャンブルに手を出す気はない……が、預金したところで鼻クソみたいな金利にしかならねえしな。いっそ物価の安い国に移住というのも手だが、目立った動きをして親父や爺さんハイエナどもに嗅ぎつけられるのはまずいな……。やはり不動産あたりが鉄板だろうか。駐車場……いや、国立大学付近の土地を買ってアパート経営でもすれば安定したサイクルの家賃収入が見込めるか? まあ、何もせずに年四〇〇万使ったとしても七五年は暮らせる計算だ。質素倹約を心がければ一生ぐうたら生活をエンジョイできるわけだ。素晴らしい! 見える! 見えるぞ! 俺の理想郷ユートピアが!! まさに人生バラ色、ふはははははっ!」

 こうしてここにまた一人、新たなクソニートが生まれようとしていた。


 ――六月一八日(木)。

『おどりゃとっとと起きんかいッ! このボケカスアホンダラ!』

 部屋にけたたましい罵倒ばとうが響き渡る。

 その発生源は腹にデジタル時計が内蔵されたクマのぬいぐるみで、ラリったテディベアのようなふざけた面構えをしている。

「う……うーむ……」

 タダクニはほぼ無意識に布団から手を伸ばし、手探りでスイッチになっているクマの頭頂部を思いきりぶっ叩くと、

「ウボァー」

という何とも間の抜けた断末魔をあげてぬいぐるみは沈黙した。

 この不快な罵倒ボイスを発する目覚まし時計は数年前に父親の旅行土産に貰った物で、以来ずっと使い続けている。こんな愛嬌の欠片もない代物をわざわざチョイスしてくるのは嫌がらせ以外の何ものでもないだろう。最初の二、三日はさすがにイラついて叩き壊すところだったが、今ではすっかり慣れてしまっていた。

 もっとも愛着は道端の石ころほども抱いてはいないので、壊れたらスマートフォンのアラームを代わりに使うだけだ。

「ふわ……あぁぁ……」

 大きな欠伸を一つすると、タダクニは頭をぼりぼりと掻きながら布団から身を起こした。

 二階の自室の窓から外を見ると、とても梅雨入りしているとは思えないほどどこまでも澄んだ朝の青空が広がっている。昨日のローカル局の天気予報では今日は終日大雨になると言っていたのだが、ダーツでも投げて決めていたのだろうか。


 制服に着替えて登校の準備を終えると、所々軋む階段を下りて茶の間へ向かう。

 有馬家は古い木造の二階建てで、家の周囲は塀で囲まれており、そこそこの広さの庭もある。外見は一軒家というより旅館に近く、実際、タダクニが生まれる前は小さな旅館を経営していた。そのため、今は使われてない部屋がいくつも余っており、普通に住むにはかなり広い。

 立てつけの悪い引き戸を強引に開けて畳敷きの茶の間に入ると、奥の台所では制服にエプロン姿のシズカが既に昼食用の弁当をせっせと作っていた。

「あ、おはよう。お兄ちゃん」

 ストレートロングの黒髪をなびかせながら振り向くと、シズカは柔らかに微笑んだ。

「おーす」

 軽く手をあげて応えると、タダクニはそのまま台所に入って冷蔵庫から食パン一枚とバター、牛乳を取り出す。

「さっき、お母さんから電話あったよ」

「ふーん。で、親父たち今どこだって?」

「群馬だって。今度ももう少しかかるみたい」

「またえらく遠くまで行ったな。これで日本はあらかた制覇したんじゃねえか?」

 続いて冷蔵庫の隣の戸棚からコップ(プリンのガラス容器)を取り、茶の間に戻ってちゃぶ台の前の座布団に腰を下ろすと、食パンをトースターにセットする。

「こないだは北海道まで行ってたもんね」

「次はいよいよ国外って感じだな。毎度毎度よくやるよ」

「ふふ、そうだね」

 有馬家には祖父母を含めて九人の大所帯が住んでいるのだが、現在家にいるのは長男タダクニ、次女シズカ、三女ユウキ、次男ヒロキの四人だけだ。

 長女のミハルは今年から大学に進学して一人暮らし。父母と祖父母が家を空けている理由は、平たく言えば夫婦喧嘩である。

 事の発端は、祖父がオークションで出された某ミスタージャイアンツのサイン入りバットを祖母のへそくりを持ちだして競り落としにいったことだ。その度し難い所業に激怒した祖母は父母に愚痴ったのだが、巨人ファンの父は当然祖父に味方し、対して母は「ふざけんな」と祖母側についた。

 めでたく二対二のタッグマッチの完成である。

 このようなろくでもない夫婦喧嘩が有馬家では度々勃発ぼっぱつするのだが、いざ戦闘となると愛するはずの夫に対し羽虫でも払うが如く平気で刃物や鈍器を振るってくる女性陣に男性陣は常に惨敗。ただひたすら逃げるしか道がなく、追走劇はたいてい県外にまで及ぶのだ。

 近所ではこの騒動を『有馬事変』『有馬家の乱』などと呼んでおり、もはや年中行事となっている。


 トーストが焼き上がるまでの間、タダクニはちゃぶ台の上に置いてある朝刊でも読むことした。隣にはテレビのリモコンもあったが、タダクニは電気代がもったいない(どうせ誰かがつけるのだが)という理由でナイター中継以外に自分からつけることはほとんどない。

「う~……おはよ~……」

 手を伸ばして新聞を掴もうとすると、パジャマ姿のユウキがひょこっと顔を出してきた。

 いつもはぱっちりとした大きな瞳は今は寝ぼけ眼になっており、肩にかかるくらいのボブカットの髪は寝癖で跳ねまくっている。シズカとは双子の妹で、顔は似ているが大人しく家庭的なシズカと違って活発で人懐っこい印象の少女だ。

「おう」

「おはよう、ユウちゃん」

「あれ、ヒロキは~?」

 ユウキは酔っ払いのようなふらついた足取りでタダクニの向かいに座ると、眠たげな両目を擦りながら聞いてくる。

「ヒロキならもう朝練に出たわよ。もうすぐ県大会だしね」

 手慣れた所作でフライパンを小刻みに動かながらシズカが答える。

 次男のヒロキは中学三年生でバスケ部に所属している。先日、見事地区大会を優勝し、今は次の県大会へ向けて日々猛練習に励んでいる。

「いーなー、ウチはもう負けちゃったし。二回戦で全国常連校なんて運悪すぎるよー」

 しょんぼりした顔で言うと、ユウキはテレビのリモコンを取ってテレビをつける。が、特に見たい番組があるわけでもなく、適当にチャンネルを変えて朝のワイドショーに落ち着いた。


粕駄署かすだしょの警察官がまたやりました。昨日、現金三〇〇〇万円を強奪した銀行強盗を追い詰めるも、説得中に犯人と意気投合して一緒に逃亡しました』


 タダクニ達が住む粕駄町かすだちょうの警察署の不祥事が流れていた。

 粕駄町かすだちょうは人口約三万の地方都市だ。

 全国住みたくない都市アンケートでは始まって以来、他の追随を許さない五三年連続ぶっちぎりの一位。住民の三割はチンピラで、何かにつけて暴動を起こす民度の低さが特徴となっている。

 そんな粕駄町の警察はニュースで取り上げられているように更にタチが悪いのだが、統計データでは意外にも治安はそこまで悪くなく、犯罪発生率も低い。

 これは住民の防衛能力が高く自ら犯罪者を撃退することが多々あるのと、警察が全く仕事をしないためそもそも件数自体がカウントされないからである。

 これら一部の特殊な事情にさえ目をつぶれば至ってごく普通の町で、これといった名物も特産品もない。強いて一つ挙げるならば、一年前に町長が近年のエコブームの煽りを受けて町中まちじゅうに建てまくった最新式の風車だろうか。

 当初はこれで町の電力を全てカバーすると息巻いていたのだが、安定した風が吹く平野部ならともかく街中まちなかに建てたところでろくな効果は見込めない。しかもそこら中に設置したために低周波音による被害やプロペラに巻き込まれて切断された鳥の死骸があちこちに散乱し、トドメと言わんばかりに大型台風が町を直撃。吹き飛ばされたプロペラの破片が流星雨の如くあちらこちらに降り注ぎ、町民達の怒りはリミットブレイク。暴動で町役場は全焼した。

 今では風車はそのまま放置されて単なるオブジェと化しており、町民からは『翼の折れたエンジェル』などと呼ばれている。


「全く、この町の警官はろくなのがいねえな。おっ、昨日も巨人が勝ってたのか。これで三連勝か、いいねえ」

 新聞を手に取ってスポーツ欄に目を通すと、嬉しいニュースにタダクニは口笛を吹いた。昨日は色々と揉め事があって試合も結果も見れなかったのだ。

「ふーんだ。私はホークスファンだから関係ないもーん」

「けっ、この異端児め。いいか、日本人口の半分は巨人ファンなんだぞ」

「んなわけないじゃん、バーカ。あ、そうそう、今度新しいゲーム出るんだけど、『ブルードワーフ』でまた〇時販売するんだって! だからタダクニも付き合ってよ」

「やだよ、めんどくせえ」

「えー、いいじゃんかー。ねえったらー!」

 ユウキは頬を膨らませて視線で訴えてくるが、タダクニはそれをしっしと片手で払いのける。

 『ブルードワーフ』は誰得な肥満中年のイラストが描かれた看板が目印の大手ゲームショップだ。タダクニもテレビゲームはするがソフトの値段が高いために、借りることはあっても自分で買ったことは一度もない。

「どうせ二、三か月もすりゃ半額になんだろ。そん時に買えばいいじゃねえか」

「そんなの遅すぎるよー」

「大体、お前は小遣い入ったらそうやってすぐに遊びに使うけどよ。貯めて貯めて将来の楽でハッピーな暮らしに回そうとか思わねえのか?」

「えー、だって楽しめる時に楽しめなきゃ損じゃん。タダクニこそお金貯めてばっかで全然使わないけど、少しは遊ぼうとか思わないの?」

「俺はおっさんになってまで働きたくねえからな。一刻でも早く働かずにごろごろしながら暮らせる生活を手に入れるために、今のうちに貯めるだけ貯めてるだけだ」

 もうその必要もないんだけどな、とタダクニは心の中で付け足す。なにせバラ色の未来へのプラチナチケットは既に手の内にあるのだ。

「うわ、ダメ人間の台詞だ」

「うるせえよ。つーか、お前、シズカが弁当作るまでに着替えねえとまた遅刻すんぞ」

「あっ、やっばーい!」

 タダクニに指摘されて、ユウキはようやく自分がまだパジャマ姿なことに気が付き、

「お弁当の残り物、ちゃんとっといてよー!」

そう言い残すと、バタバタと慌ただしく二階へ駆け上がっていった。

「忙しい奴だな、全く」

 タダクニは焼き上がったトーストにバターを塗り始めると、エプロンで手を拭いながら台所から出て来たシズカが声をかけてきた。

「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?」

「本当に宝くじの事、みんなに言わなくていいの?」

 シズカはタダクニが三億円の宝くじに当たった事を知っている唯一の人間だ。

というのも、元々そのくじはシズカに頼んで買ってきてもらったものなので、彼女は影のMVPと言ってもいいだろう。

 しかしながら、家族はおろかMVPとも三億円を山分けしようという博愛精神などタダクニは微塵みじんも持ち合わせていなかった。

「……いいか、妹よ」

 タダクニはシズカの両肩にそっと手を置き、優しく諭すように話しかける。

「もしこの事がばれたら母さん達はともかく、親父と爺さんは間違いなく合法的な手段で俺の息の根を止めにかかってくるはずだ。家族が血みどろの醜い争いを繰り広げるのを見るのはお前も心が痛むだろう?」

「いつも見てるから別に痛まないけど、お兄ちゃんがそう言うんなら……」

「おお! わかってくれたか、妹よ!」

 タダクニはシズカをオーバーなリアクションでがっしと抱きしめるが、その光景は全く感動的には見えなかった。

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