第26話 物書き×奉公人2

戸惑い

無意味な自戒


『先生へ

 先生から、国へ帰るよう言われ、私は筆をとる事にしました。先生に言われた事を反芻しながら、何故手紙を書こうと思ったのか、未だ私自身わかってはいません。先生のお側でたくさんの事を学んでおきながら、このような乱文・拙文しか書くことのできない私をお許しください。

 強いて言うならば、出て行けと言われ、もう二週間が経ちますが、私の心は未だ戸惑い、落ち着かないのです。

 今私の頭にある事と言えば、初めてこの家に訪れた時のことです。母に連れられて、この大きいお屋敷の前に立ったとき、私はここで死んでしまうのだと思いました。先生もご存知の通り、私は知恵遅れで、何もできない子供でした。名家の主人である父は事あるごとに私を嘆き、見放し、ないものとしました。生まれたばかりの弟の方が、はるかに私よりも出来が良かったからです。

 ですから、このお屋敷は人を食う恐ろしい屋敷で、中にいる恐ろしいものに私は食われて死んでしまうのだと思いました。それも仕方ないのだと思っておりました。

 ですから、玄関で出迎えてくれた先生を見て、私は全く見当外れな事を思っていたのです。あの頃の先生はとても長い髪をされていましたね。月の明るい日でしたから、尚更のことです。私は先生を美しい女の方と見紛えたのです。この人が私の母だったらと、そう思っていたのです。

 事実、私はその日母に捨てられたわけですが。それでも、私にとっては、この上ない素晴らしい選択であったことを、父母に感謝せざるを得ません。

 先生、私は先生のお側に置いていただけた事を大変有難く思っております。父母に捨てられた私を優しく迎えていただき、ありがとうございます。今こうして生きているのは、紛う事なく、先生のおかげであります。

 なにも持たない私に、先生は数え切れない程のものを与えてくださいました。

 文字の読み書き。とても苦手でした。あの意味のわからない形の羅列を見るだけで頭が痛くなっていました。けれども、先生の指が綴る美しい形を見るのが好きでした。そして意味があることを教えていただきました。文字を覚え意味を知ることで、先生が日夜なにを書いているのか、密かに盗み見るのが楽しみでした。先生はつまらない道楽とおっしゃいますが、私は、先生の本が好きでたまりません。先生の綴った文字の一つ一つが愛おしく、先生の綴った言葉の一つ一つが心地良く、胸が高鳴り熱くなるのを感じました。

 買い物の仕方。まだ私が幼い頃には、先生と手を繋ぎ、街まで連れ立って買い物に出ましたね。私はそれが楽しみでした。なにが売っているのか、しつこく聞く私に、一つ一つ丁寧に教えてくれました。初めてお金を渡され、好きなものを買って良いと言われ、なすびを買ったのを覚えていますか。先生が焼きなすが美味しいと言うから、私は美味しい焼きなすを先生に食べて欲しいと、そう思って買ったのですよ。

 料理は、先生が唯一得意でないものでしたね。だからこそ私は料理が楽しかったのです。味にはうるさいですから、先生の好みの味を覚えるのに必死でした。お店で美味い美味いと喜んで先生が食べるのに嫉妬して、私は悔しくて仕方がありませんでした。ですから、私の料理を褒めてもらった時には、小躍りしたいほどだったのですよ。

 けれども、先生は最近、あまり食べてはくれませんでしたね。それどころか、あまり外にも出ませんでした。

 春先には花見をしたり、夏の花火大会や、秋のすすき野原を散歩して、冬の年越しには神社を詣でるのが、私は楽しみでした。

 どうしてなのか、私はわかっていました。先生が外に出ないようになってから、それは酷くなりましたから。町の人達の声が、ヒソヒソと囁く噂が、耳に入るのです。先生と私の関係を怪しんであざ笑う声が、煩くてたまりませんでした。

 先生、私は先生に触られるのが、本当は少し嫌でした。先生のことを慕っていました。優しくて、兄のように思っておりました。ですから、それ以上の情に触れるのが怖かったのです。

 町の人にそれを揶揄されるのも嫌でした。ヒソヒソと囁く言葉が本当なのか嘘なのか、私には判断がつかなかったのです。先生。私にはわかりません。先生の気持ちが。わからないのが嫌なのです。言ってもらわないとわからないほど、私はいまだ愚かなのです。

 さきほど先生はたくさんのものを与えてくださったと書きましたね。一番たくさん注がれてきたのは、先生の愛情なのではないかと思います。先生、私は先生の愛情を一身に受けてきたのです。十四年です。十四年もの月日を、深い愛情を受けてきたのです。

 そうと知ったのは、ついさきほどでした。先生に国に帰るようにと言われてから、私はようやく思い知ったのです。

 そして、もうその愛情は受けられないのかと、絶望しました。

 先生、私には先生しかいないのです。愛情を与えてくださったのも、教えてくださったのも、先生なのです。

 捨てられた私に国はありません。捨てられた私を愛してくれるものはありません。

 けれども、私はここを去らねばならないと思いました。私は知らないからです。先生が与えてくださったものしか知らないのです。

 私が先生に抱くものは、先生が私に与えてくださったものと一緒のものなのでしょうか。それとも違うものなのでしょうか。

 私はきっと、一緒のものなのだと思っております。それを確かめるためには、先生のお側を離れるべきだと思いました。それでもいいと思えたのは、私はもうなにも持たない子供ではないからです。先生、私はたしかに、立派な一人前の人間になれたのですから。

 これは私の決心であり、先生への書き置きです。そこに間違いなく待っていてください。先生の一番弟子の私が、必ず答えを出しますから。

 これから一層寒い日々が続きますので、くれぐれもご自愛下さいませ。


神無月末日 明星


 追伸

 父母からいただいたもので唯一気に入っているものがあります。先生が褒めてくださった私の名前です。

 先生は私に「きみはどこにいるのか」と聞きましたね。私はその時意味がわかっていませんでした。先生、私はここにおります。眠れない夜に眠り方を教えてくださった先生なら、よくご存知の通り。あの星々の中に、夜が明けても、私はたしかにここにおります。


 追追伸

 先生は決して月になど帰りませんように。』


 そんな手紙を見つけたのは、君が僕の元に帰ってからだったのだと言ったら、きっと恥ずかしがって破り捨ててしまうから、僕はそっと懐にしまい込んだ。


終わり









いらんネタ話

明星=金星。一番星

篠=笹、小型の竹

手紙の追追伸では月・竹から連想してかぐや姫のことを言ってます。

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