第6話 かき氷

 真琴はかき氷を食べていた、男子ホッケー部のキャプテン大沢亮と。俊がラウラと別れ、書店で立ち読みをしているのと同じ頃。


 今日は、学校で決められた部活動短縮の曜日に当たっているので、6時に練習が終わると真琴は校門前で部員たちと別れた。部員の大半は真琴の帰り道とは逆方向のJR駅へ向かう。


 フィールドホッケーで知られた真琴の高校には、県内各地から部員たちが通学していた。自宅が遠いものは寮に入っている。


 真琴がいつものように歩いていると


「三依、帰りかい?」


と声を掛けた者がいた。


 男子ホッケー部のキャプテン、大沢おおさわりょうだった。高校全国代表にも選ばれている大沢は体格ががっちりしていて顔立ちもよく、女子生徒の憧れの的だった。


練習する姿を見ようと他校の女子生徒たちもフェンス越しに見に来るほどである。文句なく真琴の高校一のイケメンだろう。


「はい、帰りですよ。大沢先輩もお帰りですか?」

「うん、そうだべ。三依、良かったら、かき氷食べていかないかい?」


こう屈託のない笑顔で大沢が提案した。


「えっ?!」


 真琴は戸惑った。3年の先輩たちと一緒の時には、大沢と数回ハンバーガーを食べたり、お茶したことはあるが、一対一は初めてだ。真琴には大沢の意図が図りかねた。


 でも、気分転換にそれもいいかもしれない、と真琴は思った。俊と口論した日から、俊との間にほとんど会話がなくなっていた。もちろん、同じ教室内に入るので連絡事項などで話さなければならないときは僅かながらあることはある。


 しかし、そんな時は二人とも事務的で最小限の会話しかしなかった。サヤカも保もそんな状況に驚いてはいたが、本人たちが歩み寄らないのではどうしようもない。


 真琴は俊との会話が途絶えていることがやはり悲しかった。だから、気分を変えるのも悪くないと思ったのである。また、今日は蒸し暑いからかき氷がきっと美味しいだろう、と期待された。


「そうですね。今日のような日はかき氷も美味しそう~」

「じゃあ、松藤に寄るべ」


 大沢は嬉しげに言った。


 かき氷店松藤は、6時を過ぎていたが、観光客の姿が結構見られた。幸い真琴と大沢は、すぐにテーブルにつけたが、夏になるとまず並ばなければならない。真琴の住む町はかき氷が美味しいことで最近有名になりつつあった。


 というのも、この町では天然氷で作ったかき氷を客に供する店が少なくなかったからである。天然氷とは湧水を屋外の採氷場で一冬かけて凍らせたものを言う。このような昔ながらのやり方で氷を作っている氷室は日本に5軒しかなく、そのうちの3軒が日光市に集中しているのである。その3軒が日光市内の店舗に氷を卸しているため、市内にはかき氷の美味しい店が少なからず存在した。


 日光をかき氷の聖地と表現する人もいる。かき氷店はJRや東武鉄道の日光駅から日光東照宮にかけての坂道に多数立地しているが、真琴の高校の徒歩圏内にもかき氷で知られた店があったのである。

 

 実際に天然の氷で作られた「かき氷」を食べると、きめ細やかな氷の綿菓子が口の中で心地よく溶ける。口の中で溶けたそれは喉越しも良く、すぐに体の中にしみ渡っていくように思われた。数か月の手間をかけてじっくり凍らせた天然氷は、製氷機で作ったかき氷とは違う格別な味わいを齎す。


 そんな魅力にひかれて、暑い季節になると全国から人々がかき氷を食べにこの店にやってくるのである。それがここ松藤だ。


 真琴は苺シロップがかかったもの、大沢はレモンシロップと練乳がかかったものを頼んだ。かき氷を味わいながら、大沢が言う。


「三依、女子ホッケー部の調子はどうだい?」

「チームはいい雰囲気ですよ。みんなが心を一つにして、頑張っているという感じで。摩耶先輩と平ケ崎コーチがうまくまとめてくれています」


 スプーンを動かす手を止めて大沢は


「そりゃぁ、いいべ! 男子ホッケーの方も今年は結構やるかもしれん。攻撃と守りがうまくかみ合ってるべ」


と自信あふれた声で言った。大沢の会話には折々栃木弁が混ざった。独特のアクセントが特にそうだ。

 

 大沢は全国向けのテレビのインタビューでも栃木弁を堂々と使っている。地元の方言を恥ずかしがる高校生も少なくないが、大沢のそういうところにも真琴は男らしさを感じていた。


 夏の制服の開襟シャツからのぞく大沢の胸元はたくましく、銀色のペンダントの鎖が見える。


「それはいい感じですね!」

「ところで、三依は最近ちょっと調子が良くないんかい?」

「えっ、どうしてそれを?」


 真琴の表情が少し揺らいだ。


「昨日、たまたま摩耶と話してたら、三依が練習に集中できていないとき有るって言ってた。摩耶が少し心配していたべ」


 真琴は少し俯きがちになって


「摩耶先輩、心配してるんですね。……確かに気に練習に集中できてないときもあったかもしれません」

「何か気になっているんかい?」


 すぐに大沢が言葉を挿し入れた。真琴は正直に俊のことを言おうかと迷った。でも、それはやはり気恥ずかしい。


「いろいろ気になっていて。大沢先輩は、練習で気持ちが集中できないときどうしているんですか?訊いてみたいです」

「う~ん、そうだなぁ。ホッケーで感動した瞬間を思い出すようにしてるかな~」

「そういうやり方もあるんですね」

「そして、気になることがあったら集中できないのは当たり前だって開き直るべ」


と言って、大沢は次の言葉を付け加えた。


「俺ら、ロボットじゃないから、気になることがあれば、気になるのは当たり前だべ。だからどんなメンタルの時も練習を続ける。するとどんな状況でも必要な動きはできるんだべ」


 大沢の言葉が真琴の胸に安心感が運んできた。どんなメンタルでも練習を続ければどんな状況でも動ける。今の真琴には心強い言葉。


俊のことは気になるのが当たり前だ。だから今は、気になっていたら気になったで、それでいいのだ。集中が出来なくてもひたすら練習に打ち込む。それがどんなときも頼りになる。自分がやるべきことはそれだ、と真琴は思いなおすのであった。


「実はさっき、三依のかき氷を食べる姿は可愛いなってふと感じたべ」


と不意に大沢が言う。その眼差しはどこか真剣さも宿っていた。


「突然、何を言うんですか?他に可愛い子いっぱい、いますよ」


こう、真琴が驚くと


「いやいや、本当のことだべ。真琴は可愛いし、頑張ってるなといつも思ってる」


と大沢は真顔で返すのでる。


「えっ、そんな…そんなことはないです…」

「インターハイが終わったら、もしかしたら真琴に…、とも思うけど、真琴は幼馴染の俊君が好きだろ?」


 真琴は赤くなった。そして、慌てて首を振った。


「まさかあんな奴?冗談が過ぎますよ!」

「そうかな?さっきの顔色と仕草、『好きだよっ』て、顔に書いているように見えるべ。…もしも真琴が俊君に恋愛感情を持っていないなら、俺は真琴に行くかもしれない」


 大沢の眼は笑っていなかった。


(これは一種の告白なの?嬉しいかもしれない。でも私は…)


「また、冗談ですよね。先輩はモテモテですよ、学校でも!」

「まぁ、真琴は自分自身の胸に正直な気持ちを聞いてみたらいいべ。そして、その気持ちをインターハイの後でいいから、俺にまた伝えてくれよ」


 大沢には微笑みが戻った。


「焦る必要はない、ゆっくり待ってるから。今はインターハイに集中だな、お互いに!」

「はい!先輩、ありがとうございます」


 大沢がかき氷代を払い、二人は途中の交差点で別れた。大沢の明るい笑顔が印象的だった。


(大沢先輩は私を励まそうと誘ってくれたのかもしれない。『真琴に行くかもしれない』って本気なの? そして、『自分の正直の気持ち?』それは…。きっと、俊が好き…。う~ん、でも、今はそう、いろいろ考えず、インターハイ、がんばろう!)


 今の真琴は先ほどまでとは少し違っていた。ちょっと前向きな気分になれた。


(あっ、真琴。大沢先輩と一緒だったのか?)


 立ち寄った書店からの帰路、俊の目に真琴と大沢が交差点で別れる姿が映った。俊は隠れるように別の道を選んだ。


(真琴に僕はふさわしくない。あの二人こそ、お似合いなんだ)


 俊は早足でその場を離れたのであった。  


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