第6話

 佐藤と出会ってからどれほど経ったろうか。俺たちはまだ最初のフロアから抜け出せていなかった。確かに研究所の構造は複雑で迷路のようだった。それに単純に広いというのもある。

 だが、佐藤はまるで寄り道をしているかのようにあちらこちらへ足を運んでいる。もちろん彼女なりに一生懸命下へと続く通路を探しているのだと思うが、怪物のいる閉鎖された空間で記憶喪失という状態が、通常以上に俺を苛立たせていた。

「なあ、ここはもう良いだろ。早く行こう。また奴らが来ちまう」

「ジョン、わかったけど急かさないで。焦って出口を見落としたら元も子もないわ」

 佐藤の言うことにも一理ある。しかしこの状況で焦らずにいられるだろうか。俺は不安で胸が潰れてしまいそうだった。ちなみにジョンとは佐藤が俺につけた仮名だ。太郎や権兵衛では締まらないからと、英語で同じような意味のジョン・ドゥから取ったと言っていたが、どう見ても日本人なのにそう呼ばれるのはなんだか不思議な感覚だった。

「とにかく、ここには何もないよ。次の部屋を探そう」

「待って!」

 俺の言葉を遮るように佐藤が鋭く言う。一瞬ムカッとしてしまったが、どうやらこの部屋に留まれという意味ではないらしい。佐藤のジェスチャーに合わせて息を潜めてみると、遠くから硬いものがぶつかり合うような耳障りな音が聞こえてくるのがわかった。

 その音はちょうど俺たちが入ってきた方の扉越しに、だんだんと近づいてきていた。俺と佐藤はゆっくり反対側の扉に向かって後ずさりをした。そして佐藤の手が扉に触れた瞬間、向かい側の扉が弾け飛んだ。

「走って!」

 同時に佐藤が叫び廊下へと走り出す。俺も慌ててそれについていく。目の端に一瞬見えた影、それは硬質化した蜘蛛のような怪物に見えた。その体躯は人より大きく、そしてその顔は醜く歪んでいた。好奇心とも違う何かが、その姿をもっと見たいと頭の中で叫んでいた。しかし振り向けば、気を抜けば捕まると理解できていたため、その気持ちをぐっと堪えて前へ進むことだけを考える。

 廊下の角を曲がったところで佐藤が壁に身を隠しながら銃を撃った。しかし先程の化物と違い銃弾は全て弾かれ勢いそのままこちらへ襲いかかってくる。

 足止めすらできない。その事実は絶望感を蔓延させるには十分だった。死にたくないという気持ちは思考を鈍化させ、一瞬の安全を得るために俺たちは目についた部屋に飛び込んだ。

 倉庫、等間隔に棚が並ぶ姿からそう推測した部屋は、今まで目にしたどの部屋より広かった。その奥、一際頑丈そうな扉がいかにもな雰囲気を漂わせていた。

「くうっ、入れない」

 もちろん佐藤はそこへすぐさま駆け寄ったが、残念なことに俺たちにはそこを開ける権限がないようだった。

 入口から見て真正面、入れない以上そんな丸見えの場所には一秒足りとも居られない。俺たちが棚と棚の間に姿を隠したのとほぼ同時、廊下にいた怪物が倉庫の中へと扉を吹き飛ばして入ってきた。

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