第3話
おそらくまた6年前と同じように、屋上か
らの飛び降り自殺という事になったのだろう、
合宿所は警察に封鎖などはされていなかった。
合宿所には非常階段へと出る非常ドアが廊
下の最奥にあった。午前中に事務所に入った
時と同様、ツールで鍵をこじ開けて中に入る。
まったく、セキュリティが聞いて呆れる。
陽が暮れたこの時間、普段なら「トレーニ
ング」の真っ最中で合宿所内の電灯という電
灯が煌々と灯っているのだが。ゲーマー達は
出て行かされたのか?
中は暗くて、静かだった。••が、微かな
音がしていた。それに真っ暗でもない。小型
の懐中電燈のような細い光線が闇の中をチラ
チラ動いている。音はその懐中電燈の持ち主
が歩く音だ。
懐中電灯の光は食堂を抜けキッチンに入っ
た。やがて冷蔵庫のドアが開き、中に在る小
瓶を、手が取り出す。
「証拠隠滅はもっと遅い時間にした方がいい
んじゃないですか」
呼びかけると同時に懐中電灯の光が俺に向
けられた。俺は壁際のスイッチを入れて食堂
の電灯を点けた。
俺の顔を確認した篠原社長は半ば予想して
いたような表情を見せた。
「まさか名前も変えずに同じ事を繰り返して
るとは。髪型変えたり髭生やしたり日サロ行
ったりしても根本的な所で駄目じゃないです
か」
「やっぱり、川崎か」
「はい。神奈川県の」
「カメラの記録を持ち出したのも君だな?
午前中、越当が落ちるのを見ると色々と小
細工をしてから逃げ出し、私の後をつけてい
た…で、記録は何処にある?」
「持ってますよ。トイレの中の越当の様子も
映ってます」
「トイレか。床や廊下を掃除してくれたのは
礼を言おう。警察もまだ怪しんでいないよう
だ。まず始めに言っておこう。今日の事も6
年前の事も、事故だ。確率的には数十万分の
一の出来事で-」
「掃除はエレベータの中もしましたよ。そこ
が一番肝心でしょ。しかし6年間に2度って
かなり高い確率だと思いますけど」
「言っておくが、越当も、6年前も、こちら
が供出する食物や滋養物を摂取する事は契約
に含まれており、越当も、」
「その滋養物が問題なんでしょうが。契約が
どうあれ、毎度の食事に勝手に薬を入れられ
てるとは思ってなかったでしょうよ。越当も、
俺の兄貴も」
「君は契約の詳細を知っているのか? 契約
者の食事については…」
「6年前っ、」俺は社長の説明を遮った。
「兄貴がバイト先で死んだって時はびっくり
しましたよ。『新作ゲームのデバッグのモニ
ター』って聞いてましたから。警察は自殺だ
って言ったけど、兄貴は自殺なんかする奴じ
ゃなかった、絶対にね。どうしても納得でき
なくて2日後にバイト先に話を聞きに行った
ら、もう誰もいなかった。ゲーム機もPCも
全部なくなっていた。どこの会社の仕事だっ
たのかも分らない。残ってたのは兄貴がゲー
ムの攻略法をメモしてたノートだけだ。
だけどそのノートにゲーム会社とアンタの
名前が書いてあった。
そこからまた時間がかかった。そのゲーム
会社のドイツ本社が、ドイツ国内のある製薬
会社と資本的に繋がってた。その製薬会社が
取り扱っているのは向精神薬、抗鬱病薬、」
「日本と外国じゃ向精神薬の定義が法律で違
うらしい」俺の話をこれ以上聞く気はないよ
うに社長は言った。
「それで、君は見たのか? トイレの中の越
当の様子を」
「動きが明らかにおかしかった。まるで自分
の意志とは関係なく体が動いているみたいで、
手足がみんな夫々勝手に動いてた。…ゾッと
する表情をしてた」
「だがその映像からは、素人の君には何も分
からない」
「でも警察に持ってく事は出来る。6年前と
違ってアンタ達の会社も分かってる。リビン
グの窓から見える高いビルに入ってる会社だ。
このビルの下に入ってる横文字の会社も関連
会社だ」
「たとえ警察に持っていっても、警察は何も
発見出来ない。越当の死体を調べても通り一
遍の検死では何も出てこない」
「あの映像を見れば何か起こってると誰もが
思うだろ」
「疑いは残るだろうが、追及のしようがない
んだよ。接種の痕跡が血液中に残る訳でもな
く副作用もない。唯一の問題が今日のような、
効果が過剰に現れるケースがある事だ。そし
てそれも、この研究との因果関係は我々です
らはっきりと把握していないのだ。まだ誰に
も原因は分からないんだよ。
さっきも言った通り、これは事故だ。たま
たま6年ぶりに再び起こってしまったが、君
の知らない所で、全世界規模でもっと多くの
臨床実験がされていてそこでは何も起こって
いない。アジアの日本の、この2例だけだ」
「実験かよ」
「ああ、言葉を選んでも仕方がない。これは
実験だ。人類にとって極めて重要な意義のあ
る実験であり事業だ。加齢とともに限界が来
る脳の反応速度を維持向上させられれば、人
間の可能性は広がる。さらにその先には脳神
経系に関わる様々な障害や限界を突破する道
筋も見えてくる。人の生き方が変わる。産業
が変わり、社会のあり方が変わる。世界が変
わる。だから、」
「兄貴が死んだんだ。その実験のせいで」
「だから、記録映像が欲しい。記録があるの
は今日の一例だけだ。その映像と越当のメデ
ィカルデータからさらに研究が進む」
「…アンタの会社の事も警察に話す」
「さぁ、それは得策かな? 客観的に見て世
界でもトップクラスの研究機関である我々が、
我々が投与した薬と君の兄さんの死亡の因果
関係を解明できずにいる。この事を公けにし
てみてどうなる。面白おかしくマスコミに騒
がれて、社会的責任だの道義的責任だのとや
らで我々の研究は中止になるかもしれない。
そして数ヶ月もすれば、皆この事を忘れてし
まう。君の兄さんの死を解明する事も出来な
い」
「……」
「たった一人で、君の歳で、よく調べたと思
う。だがこれ以上は無理だ。これ以上何かし
ようなら無事ではいられない。君一人が太刀
打ちできる相手ではないという事だ。君は世
界中から追われ狙われる事になる」
「……」
「私も仕事でやっていた事だ。私なりに残念
な気持ちはある。どうだろう、一緒に兄さん
の死の原因を解明しないか。記録を渡してこ
れ以上何もしなければ、君の安全は私が保証
しよう。生活の援助もさせてもらう」
「事故だったんなら、」しばらくしてから、
言った。「今、冷蔵庫から出したその薬。調
理師に今日の飯に入れさせる予定だった分だ
ろ。そいつを飲んでくれ」
社長は手に握っていた小瓶に視線を落とし
た。
「アンタは今までソレを飲んだことはない。
それとも一回飲んだだけで俺の兄貴や越当み
たいになるのか」
社長は自分の手の中の瓶から俺に視線を移
すと、探るようにじっと俺の顔を睨んだ。
「アンタが無事なのを確認したら、兄貴は事
故だったと納得する。何十万分の一の確率な
んだろ」
「…いいだろう」社長は小瓶を持ち直すと封
を切って蓋を開け、口元に持っていく。
「あ、ちょっと」まだ聞いていない事があっ
た。「アンタ達は結局、俺の動きを掴めてな
かった。名前を変えていなかったのは俺がア
ンタを見つけてやって来ると思ったからだろ
う?」
一口飲みこんだ篠原は再び探るような目つ
きを俺に送る。「それは、考えすぎだ」
「比較データを取るなら死んだ兄貴の弟であ
る俺で実験する方がいいじゃないか。アンタ
はその為に」
「そういう話は後だ」篠原は腹立たしげに俺
を遮った。「これでいいかな。記録は何処に、」
と言いかけた顔に苦悶の表情が走る。
「今日最大の小細工ですよ。冷蔵庫の中の瓶
を毎日見てて思った。その材質なら注射器が
使える」
キノコの毒という物がどれぐらいの効力が
あるのか買った時には半信半疑だったが、今
こうして社長ののたうち回る様子を見ている
と本物のようだ。売人の話通り一週間以内に
は死ぬだろう。ゲーマーの誰か一人でも死ね
ば確実に騒ぎになるかと思ったが、この状況
ではこの使い方がいいだろう。
「アンタの会社の研究はとりあえずどうでも
いい。立派な研究なんだろう。だが死んだの
は俺の兄貴なんだ。まず落とし前は付けても
らう」大体、それを飲んだら記録を渡すなん
て一言も言っちゃいない。
チーム・ラポーテシの合宿所 平居寝 @hiraisin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます