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蝉時雨が今日も体感温度を上昇させてくれ、頼みの綱の扇風機すらも、生温い空気をかき混ぜてくれるだけで涼を与えてはくれない。うう、いいわよいいわよ。頑張ってくれているもの、年代ものだけど。
ポリエステルのエプロンが蒸れて蒸れて仕方がなく、私は自前のうちわでどうにか凌いでいた。確か今日でテスト期間は終了。あともう少し登校日が続いたら、夏休みに入るはず。
この数年は一年が飛ぶように感じていたけれど、まだ幸塚高校に来て二ヶ月とちょっとなのに随分と長く感じられた。それは私がここに来てから割と高校生と話す機会が多かったせいなのかしらん。高校生の一ヶ月と社会人の一ヶ月なんて全然質が違う。強くて濃い一ヶ月をかける三も一緒に体感していたら、そりゃ長いって感じるのかもしれないな。
私はうちわを振りながら、上司から言われた事を思い返していた。七月いっぱいで一旦購買部は閉鎖。しばらくは会社の方の事務仕事になるけど、その間はやっぱり部外者だからここが夏休み何をするのかなんて全然知らない。
そう言えば。
「えこうろ」の公式サイトもしばらく止まっていたけれど、ブログの方でひょろっと更新があったのだ。
「もうしばらくでサイト更新再開します。お待たせして申し訳ありません。」
そのブログの記事を見てみるに、どうも今まで試験中だったらしい。大学生は七月後半から試験だし、もしかしなくっても「えこうろ」の開発者は高校生なのかもしれないなと、私はその更新を見ていて思う。
もしかしなくっても、うちの学校の子だったのなら、今までの事も説明がつくんだけれど。今まで出て来た「えこうろ」の攻略対象の子達に、ヒロインちゃん。モデルにしていたって言うのならね。でもそれでも学校の子達は知っていたのかしらん、ゲームの事は。
「うーん……」
考えてもしょうがないので、ひとまずスマホのネットを落とした所で、チャイムが鳴った。最後の試験が終了したせいで、今まで張り詰めていた空気が一気に緩んで、廊下までその終わったと言う緩やかで活気づいた空気が伝わってくる。
うん、皆お疲れお疲れ。私も自然とこの子達と一緒に気が抜けてしまった。図書館に残って勉強していたり、教室に残って勉強していたり。私が同い年だった頃、例え修学旅行や研修先の選定権がもらえるからと言ってもそこまで頑張れたかなあと思い返してしまう。
廊下を通り過ぎていくのは、カンニング疑惑をかけられていた生徒会長さんに不破君だった。
「あはは……ようやーく試験が終わったね。途中びっくりもしたけど終わってよかったよかった」
「会長……暢気すぎますよ。しかもその件の生徒を探さないなんて」
「だって、責めてどうするの。一体何を責めるの。そもそも私には何の害も被ってないのに」
「被ってたじゃないですか……」
溜息混じりの不破君とは裏腹に、どこまでも生徒会長さんは暢気だった。いや、暢気と言うよりも揺るぎがないだけな気がする。器が大きいとも言うかな。生徒会長さんは快活に笑う。笑うと意外と八重歯が可愛いのが分かる。不破君はそれを見て視線をあからさまに避けているのは、多分私と一緒のものを見たせいだなと思ったら自然と微笑ましい気分になってしまって、私はうちわで口元を隠していた。
「だってさ、うちの学校。何でもかんでも競争競争なのにどうしてギスギスしないんだと思う?」
「それは……」
そう言えばそうね、と私も自然と耳をそばだてていた。前にいた女子高は、割と私立でも有数の進学校であり、幸塚高校みたいに競争を煽るような事はしなくっても競争率が激しかったような気がする。
ヒエラルキーみたいなものが出来上がってしまったらそこから抜け出すのは困難で、人を踏みつぶすって言うのが自然と出来てしまう。それが社会なのよとは傍から見ているパートのおばちゃん達の言い分だけれど、学校入学したての子達のきらきらした目が、どんどん死んでいくのは見ていても辛くって見て見ぬふりしかできなかったもの。
私が自然と生徒会長さんの言葉を気にしていたら、屈託なく彼女は笑う。
「全部を一人でできる訳ないって、皆知ってるじゃない」
「はあ……?」
「別にね、一人で全部できなくってもいいのよ。自分の守備範囲のものさえできてたらね。英語ができるからって数学ができる訳じゃないし、音楽得意だからって美術も芸術よねってできる訳でもないでしょ」
「そりゃそうなんですけど、でもそれとカ……ズルしないって言うのの話がどこに」
「追い詰められたからって、それを言い訳にするような事なんて、うちの学校の子はしないって言う話よ。別に一人でする必要がないんだったら、誰かに頼ればいいんだしね。自分の汚名やレッテルなんて、誰かが違うって言わないと払拭なんてできないでしょ?」
「はあ……」
なるほどなあ……。私は今までの事を振り返ってみる。そう言えば地味だ地味だと思っていた矢島君にしろ内出さんにしろ、自分が駄目だからって言う理由で逃げたりなんてする子じゃなかったわね。
誰かを踏みつぶさないと負ける。その脅迫概念が人を傷つけてしまうけれど、この学校ではそもそも「一人でする必要ない」って事でその脅迫概念が生まれなかったんだ。内出さんはギリギリだったのかもしれないけれど、彼女はカンニングに頼る事はしなかった。
一見個性豊かで趣味趣向もバラバラで、気が合いそうで合わない事も多々あるけれど。困っていたら人に手を差し出せる。その一見単純に見えて一番難しい事が、この学校の子達には当たり前にできる事なんだな。
そう生徒会長さんの言葉を聞いていたら、自然と胸がキューンと鳴った。当たり前に人に手を差し出せる事がどれだけ難しいかなんて、何十年も生きていたら自然と分かってしまうものね。
そう思って私が笑っていた所で。
「ニー」
……聞き慣れてしまった鳴き声に、私は自然と身構えてしまう。今は金庫は開けてない。小銭ケースは出してない。だからお金は散らばらない……。そう思っていたら。
「すみません、牛乳下さい」
「ああ、いらっしゃい……あ、ら?」
我に返ると、三ヶ島君のいつものマイペースな顔の隣には、黒い悪魔を恐々と抱きかかえている内出さんがいたのだ。内出さんが今にも「私刺されるんじゃ」と言い出しかねない位に強ばっているのは、どう考えても隣に三ヶ島君がいるせいだろう。
私はにこにこしつつ、内出さんを見る。
「どうしたの、今にも死にそうな顔をして」
「死、に、はしないと思います、け、ど」
すごい片言になっちゃってるな……。地味で目立たず大人しい子にとっては、立っているだけで目立ってしまう三ヶ島君が怖いのは、まあ仕方ないかもしれないけれど。でもそれだけ怖がられているにも関わらず、三ヶ島君が全く意に介さない所は、王子様ルックにも関わらず肝が据わっているせいなんだろうな。この子見てくれ王子様だけど、相当図太いし。そして図太い三ヶ島君は再び「あの、牛乳……」と言い出すのに、私は慌てて「ちょーっと待ってね!」と牛乳を取り出した。
「ありがとうございます」
「でも驚いた……君、本当に彼女の事見ててくれたのねえ」
「そりゃ、放っとけないですし」
「わ、私は、その……三ヶ島君にご迷惑をおかけするつもりは……」
「いや、ふーが懐いてるし」
「ふ、ふーちゃんは、可愛いですし」
「ニー」
今にも死にそうな顔をしつつも何とか三ヶ島君に言葉を返している所からして、彼の前から消え去りたいまでは考えてはいないみたい。黒い悪魔が何て呼ばれてるか知ってる位だものね。私は呼ばないけど。そして、確かに私が「見てて」とは言ったけれど、三ヶ島君も内出さんの事を面倒くさがってはいないみたいだし。うん、よかった……。自然と私の溜飲が下がる思いがした。
「うん、仲いい事はいい事よ。頑張ってね」
「え……? あ、はい」
「ちょっと……三ヶ島君!?」
たまりかねたように内出さんが顔を真っ赤にして、黒い悪魔の背中に顔を埋めてしまったのは、からかい過ぎたような気もするけれど、まあいいか。
マイペースな三ヶ島君に引っ張られる形で、内出さんが黒い悪魔を抱えて一緒に中庭に行くのを見送りながら、私は頬杖をつきつつ、昼ご飯のおにぎりを頬張った。あんまり仕入れてない中選んだのはおかか梅だ。
テストが終わったら明日は休暇。その後はテスト返却やら学校の行事やらが済んだら、夏休みだ。夏休みは購買部が休みなのがつくづく惜しいと思ってしまう。
芙美さんや矢島君がどうなるのかもうちょっと見てみたかったし、生徒会の文化祭準備の様子を見つつ生徒会長さんに片思いしている不破君は告白できるのかも見てみたい。何よりもうっかりと私が結びつけてしまった三ヶ島君と内出さんも何かになるのかもしれないしならないのかもしれないから、もうちょっと見てみたかったなあ。
なあんて、ね。
今日はギリギリ部活も図書館での勉強もないし、残りの時間をどうやって過ごそうと、おにぎりを食べ終えた指先を舐め、ウェットティッシュを取り出そうとした時。
「あ、山城さん。今大丈夫ですか?」
「あら、先生。こんにちは」
すっかり帰宅ラッシュも過ぎて人気のなくなった廊下を、ゆったりと歩いてきたのは名東先生だった。軽く手を振って下さるのに、私も思わず会釈を返す。
「テストお疲れさまです。いろいろ大変だったでしょう?」
「いやいや、自分は本当に教師の本分果たしただけですから。山城さんこそ、うちの生徒がありがとうございます」
「いえいえ。私は本当に外部業者の域出るような事なんてしてませんよ」
一部はどう考えてもはみ出した気がするけれど。でもそこまで出ばってもいないと思うの。ほら、私ってしょせんはモブになってしまうんだし。私が笑いながらブンブンとうちわを振り回すのに、名東先生はクスリと笑う。その仕草が私よりも年上なんだなやっぱりと思わせてしまう。
「あー、今日はちょっと相談したい事がありまして」
「あら? 相談なんて……別に構いませんけれど、どうかなさいましたか?」
「いえ、ちょっと生徒達が言い出した事なんですけれどね」
「はい?」
私は頭の中にはてなマークを飛ばし続ける。名東先生はゆっくりと辺りを伺うと、「ちょっとだけ購買部を出ても大丈夫ですか?」と言うのに、私も購買部から首を出して辺りを見回す。
今日はまだ部活もないだろうし大丈夫だとは思うけど。私は首を捻りながら、「出かけています」と札をつけると名東先生についていった。
校舎を出て、移動授業用のプレハブ校舎に着く。トタンの階段を私は恐々と昇りつつ「あの、私外部業者ですのに、こんな所まで来て大丈夫です? 先生怒られませんか?」と尋ねると、意外な事に名東先生はやや困ったように眉を持ち上げつつ答えてくれた。
「いや、むしろ自分が山城さんに謝らないといけないようなもんですから」
「はい?」
「あー、着きました」
「はいぃー?」
通された授業の部屋を見て、私は本気ではてなマークを飛ばし続ける事しかできなかった。
何で私はこんな所に連れてこられたのか、本気で分からない。
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