10

 昼休みにこうして名東先生と話ができた事で、ほんの少し自分の気持ちが持ち上がった。


「それじゃあ自分もそろそろ昼を済ませてきますね」

「あ、はい。いってらっしゃいませ。いつもお買い上げありがとうございます」


 そう言って私は頭を下げて見送った。

 思えば。私、前の女子校の時はいかに効率よく背景に溶け込み、さっさと帰るための段取りばかり考えてたと思うけど(パートのおばちゃんと一分でも長く一緒に働いていたくなかったんだもの……)。私自身小心者だと言う自覚はあるし、お節介な性分とは程遠いみみっちい人間だもの。

 いっつも部外者部外者だと思っていたのに、こうも学校の人と関わったのって初めてなのよね……。「えこうろ」の新作とか、財布を落とした子は一体何者なのかとか、気になる事だって山ほどあるけど。でもあんまり落ち込んでもられないかあ。


「すみませーん、ルーズリーフとシャーペン、消しゴム下さい」

「はあい、随分と多いね?」

「テスト前なんで、そろそろノートチェック入りますもん。取れてない部分を今皆で写し合いしてるとこですよー」

「はいはい、さっさと写しちゃってねー」

「はーい」


 私の高校時代はどうたったっけと思い返そうと思っても、いまいち高校時代の頃はキラキラしていた印象からは程遠かったと思うので、今見る子達とかつての私が同じ生物だと言う自信がなかった。私、あんまり光っていなかった気がするわ、なんて。なかなか自信持って言う事でもないけどねえ。

 昼休みも終わり、皆授業のために教室へと引っ込んでいくのを眺めながら、私は午前の分の精算を済ませる。電卓を叩いて帳簿に書き込み、それをしながらようやく私は昼ご飯のおにぎりを食べ始めた所で。


「ニー」

「げっ、アンタ」


 私は思わず顔を引きつらせる。普段三ケ島君が面倒を見ている猫だった。私は思わずばっと金庫にお金を片付ける。そう何度も何度もお金を持って行かれる私ではないんですからね。

 そう言えば。台風の日に小猫を三ケ島君は病院に連れて行ったけど、この子の子よねえ……? 私が手を伸ばしても黒い悪魔は相変わらずの気まぐれで、私ごときでは触らせてはくれないみたいだ。仕方なく、私は牛乳を一パック取り出すと、それを備えつけの紙皿に入れてあげた。


「アンタの子達にまではあげられないけど、アンタにはあげられるわよ。まあ飲む?」

「ニー」

「よしよし」


 本当にわずかながらも意思疎通に成功したのに私はほんの少しだけ満足しつつ、ピチャピチャと牛乳を飲み始めたのを見た。頭を撫でてみたいとは思ったけど、また暴れて他の品まで牛乳まみれになったら嫌だなと思って、それは控えた。替わりに適当な事をのたまってみる。


「ねえ、アンタ。アンタの子はその後どうなったの? 台風の後、三ケ島君は連れて帰ったのかな? それとも現状維持? ごめんね、私はアパート住まいだからアンタ達を引き取る事できないのよ。前にペットこっそり飼って追い出された人だっているしね」

「……ニー」

「あはは、ごめんごめん。アンタの食事邪魔したかった訳じゃないんだ」

「ニー」


 意外と黒い悪魔……確か三ケ島君は「フー」と呼んでたような気がするけど、私の中だと悪魔だしなあ……は食事を済ませるのが早く、皿に出した牛乳がすっかりとなくなるのには時間がかからなかった。

 ……まあ、猫に話しても答えてくれる訳ないか、と思って私がただ笑って食事が済んだのを見ていたら、悪魔は「ニー」とまた一鳴きして、私の顔をじっと見た。金色の目はピカピカしていて綺麗だ。細っこい子だけど、もうちょっとふっくらとしたら案外美人猫なのかもしれない。


「ご飯終わったら、他の子達待ってるでしょ。早く帰るんだよー」

「ニー」


 と、悪魔は額をゴッチンと私の足元にぶつけてきて、すりすりとすり寄ってくる。私はそれにキョトンとした。ええっと、どっかで見たなあ。確か猫がゴッチンと額をぶつけるのは甘えている証拠だったっけ。何、餌付け成功しちゃったの? 何それ猫って単純だな!

 でもなあ、確かに今の所は暇だけど、もうそろそろしたら会社に発注の電話しないと駄目なんだよ。


「あー、甘えてくれるのはいいんだけどねえ。そろそろ帰って?」

「ニー」

「ああ、お願いだから……!」


 何とか帰ってもらおうと私は軽く猫を持ち上げようとしたけれど、それをヒラリト避けて、カウンターに飛び乗ってしまった。猫って、本当によく跳ぶな。と私が感嘆の息を吐き出すと、猫は「ニー」とまた一鳴きをする。


「もう、なあに? いい加減にしないと怒るよ?」

「ニー」


 そう一鳴きすると、今度は尻尾で私の頬をたしたしと叩き始めた。別に痛くはないけれど、何だか馬鹿にされているようで癪だ。私がお仕置きに思わずくすぐろうと手を挙げた所で、ひらりと猫はカウンターを飛び降りて廊下に降り立った。って、向かう方角は教室の方だ。いくら何でも猫が校内にいるって知っているのは私と三ケ島君と名東先生位だ……と思う、多分……、いるって分かったらまずいでしょ。私は慌てて店に「留守です」の札をかけると、猫を捕まえようと……捕まえられなくっても、せめて住処の方に戻ってもらわないと……追いかけ始めた。


****


 普段から外にトイレ休憩なり買い物に行くなりしている時以外はずっと店の中にいるのが私の仕事だ。授業中の校内のアウェイ具合は半端ない。うう、私も一応学生時代はあったけど、そんな高校時代に外部業者の人の事なんて当然ながら考えた事もないわよ。


「こ、こらー……あんまりそっちに行っちゃ駄目よー」

「ニー」

「あっ、鳴いちゃ駄目!」


 小声で何とかこちらの方に顔を向ける猫に話しかけるけど、猫はまるで自分の家の庭を歩くみたいに……まあ、中庭に住んでるんだから延長なのかもしれないけど……とことこ歩く猫を、私はどうにか身体を縮こまらせて後をつけていく。廊下は私の足音しかしないのがものすごく気まずい。

 うう……この黒い悪魔が……! でも今までそんな融通聞かない事しなかったし、お金を取るのだって全部三ケ島君のためだったと思うんだけどな……。だとしたら一体この子は何のために……。

 私がぐるぐると考えている中、猫は「ニ」と短く鳴いたかと思うと、ひょいと電気のついてない部屋に滑り込む。って、そっちには生徒がいないみたいだ。私みたいな部外者が入って大丈夫なのかしらと一瞬躊躇したけれど、「ね、猫を捕まえるため……!」と謝りつつ、教室のドアに手をかけた。できるだけ音を立てないようにドアを開けると、存外するりと部屋に入る事ができた。そして私は、思わずポカン。と口を開いた。

 猫は尻尾をピンッと立てて私の方に振り返ると、自分から私の腕に飛び込んできた。部屋にいたのは、ボブカットの女の子が机に突っ伏して眠っている姿。どこかで見た事あるな……と最初は思わずじっと見入ってしまったけど、すぐに思い出した。確か最近よく来る生徒会の子だ。それに……体育祭でも選手宣誓してたわね。でも猫ってば、一体私に何をしろって言うのよ。


「アンタ……私に一体何をさせたいのよ」

「ニー」


 猫はとぼけたように長く鳴いた。と、ドアがカラカラ開いたのに思わず私は肩を大きく跳ね上がらせた。


「ご、ごめんなさいっ、猫が逃げたので思わず捕まえただけで……すぐに出て行きますから……」


 どう考えたって部外者も何も学校の人間でもないのがこれ以上ここに長居はまずい。私は恐々振り返った所で、キョトンとした顔のメガネの少年と目がかち合う。不破君だった。


「あれ……購買部の方が? 猫……です?」

「あー……本当にごめんなさいね、この子よく売上持ち逃げしちゃうから顔見知りになっちゃってね」

「ニー」

「こらっ!」


 猫は私の文句もしたり顔で流すだけだった。……ほんっとう腹立つなあ、この猫。不破君は首を捻る。


「ああ、そうだったんですね。時々生徒会にも紛失事件として目安箱に入れられてはいましたが……」

「ははは……そうだったんだね。そう言えば、不破君はどうしてここに? 今は午後の授業中だったと思うけど……」

「今は生徒会業務で授業は免除です。単位は免除になりませんから勉強はしないと駄目ですが」

「そうなんだ……って、今寝てる子は大丈夫なの?」


 文化祭の打ち合わせとは言えど、テスト前に授業さぼってるって事にはならないんだろうかと気を揉んだけれど。教室の机にある紙束はどれも整理整頓されていて、サインなりハンコなりは全部押されているみたいだ。不破君も分かっているのか、彼女を起こさない程度の小さなボリュームで私に囁いた。


「ああ、寝かせてあげて下さい。ずっと働きづめでしたので。会長なんです、彼女」

「へえ……」


 と、不破君の表情が随分と穏やかなのに気が付く。クールで無愛想なのは多分同い年の子達から見たらそう見えるだけ。年上の私からしてみたら不器用なのが冷たく見えてしまうだけなんだろうなとは思っていたけれど。こんな穏やかな顔だってするのねと思わず魅入ってしまった。

「えこうろ」のシナリオであったら、彼がそんな顔するのは主人公だけだけど、その主人公ポジションである芙美さんだって、好きなのはそもそも告白失敗した矢島君なのだ。不破君だって他に好きな人がいてもおかしくはない。

 私はそっと猫に手を伸ばすと、猫は逃げずに頭を撫でさせてくれた。

 ……まさかと思うけど、また私に仲人しろとか言う気じゃないでしょうね、アンタ?

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