昼休みを告げるチャイムが鳴ってから早二十分。

 今日は滞りなく物が売れていって順調順調。何も売れないって日はなくて、でも売上が三桁って日も本当にたまにあるから、パンの品切れと一緒に色々売れていくのはありがたい。私は発注書にまた書き込みつつ自然と笑う。廊下を吹き抜ける風が生温く、いよいよ夏が近付いてるのねと嫌でも思い知らされる。廊下をぴちゃぴちゃと濡らす昨日の雨の残留が、余計に気だるさを思わせた。

 雨上がりのせいで湿気がまだ残っているせいか、パンと一緒に制汗剤がよく売れた。あいかわらずのパンの売り切れの早さに笑いつつ、まだ残っているおにぎりを取りやすい位置に並べ直しておいた。おにぎりはパンよりも売れ行きはよくない。女の子は歯に海苔がくっつくのを気にするせいかもしれない。皆が皆、歯ブラシを持ち歩いている訳じゃないからね。廊下を通り過ぎる生徒が少ないのは、多分今日は外でお昼をしようって気分でもないだろうから教室に皆篭もりっきりなんだろうなと思う。昼休みが終わったら、私もお昼を食べて、今日の分の精算の準備をしないとね。そう段取りを考えていた所。


「あ、の。昨日はありがとう……ございました!」


 背後に投げられた礼の文句に振り返ると、芙美さんが立っていた。衣替えだったらしく、制服は真っ黒なセーラー服から白いワンピースタイプのセーラー服に変わっていた。ペコリとお辞儀をすれば、赤いリボンタイが一緒に下を向く。


「あーあー……落ち着いて? 私特に何もしてないと思うけど?」

「いえ、あの、本当に……」


 芙美さんが清々しく笑っている様は、自然とこちらも笑みを作らざるを得ない気にさせる。それにしても。この間まで矢島君の事でさんざん悩んでいたと思うのに、憑き物が落ちたような雰囲気に、私も自然とぽろりとしゃべる。


「何かあった?」

「え……?」

「いえ、嬉しそうだったから」

「あっ……! 私そんなににやにやしてますか?」

「してないわよ、そんなにやにやなんて。ただ、嬉しそうねって思っただけで」


 慌ててフォローしようとしたけれど、それよりも前に芙美さんがあからさまに顔を真っ赤に染めてしまった。あー……確かに私は焚きつけた自覚はあるけど、矢島君一体何を言ったんだろうね。これは聞くの野暮かもしれないけど。

 私はリンゴみたいに真っ赤な顔した芙美さんにどう問いかけようと考えた結果、とりあえずサービスで試供品のお茶を差し出す事にした。業者さんが時折置いて行くそれは大概は店の人間でもらっていくけど、時にはサービスであげたりする。


「あっ、ありがとうございます……おいくらですか?」

「試供品だからお金は取れないよ。それで一体どうしたの?」

「あ……」


 芙美さんははにかんでほんの少しだけ肩をすくめると、私の差し出したお茶のペットボトルをぎゅっと握った。

 あー、恋する女の子の顔だわと思わず見惚れてしまう。憂いが消えると女の子はこんなに可愛くなるものなのかと感心してしまう程に。


「……あの後、健斗……あ、胸倉掴んでた方の人です……と帰ろうとした時、矢島君……掴まれてた方の人ですね……追いかけて来てくれたんです。呆れかえって健斗は先に帰ってしまいましたけど」

「けど?」

「……矢島君言ってくれたんです。「断ったのは三田さんが嫌だからじゃない」って。もう少しだけ自信持ったらちゃんと言うから待ってて欲しいってはっきりと」

「あー……」


 ああ、もう。もだもだするっ。私は思わず肌を掻きむしりたい衝動に駆られたけれどぐっと我慢した。だって、あそこで告白しないとか、どこまで草食系なんだと思ったけれど。まあ。

 芙美さんが本気で喜んでいるのを見たら、何を言っても野暮なもんだと思ってしまった。まあ、雨降って地固まる。台風来てぜーんぶ取っ払ったら一番シンプルな部分が出て来たって事じゃないのかな。私はふっと笑った。


「まあ、頑張ってね。お姉さんも応援してるから」

「はい! 頑張ります!」


 そう言っている間にお昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。それにぱっと芙美さんは髪を揺らすと、また丁寧に頭を下げた。


「お話聞いて下さりありがとうございます! あと、お茶も!」

「うん、午後の授業遅れないようにねー」

「はい……!」


 そのままパタパタ走って行くのを見たら、私も思わず「うーん」と伸びをしてから、ようやく昼ご飯を取り出す。今日の昼ご飯は売上あまりよろしくないおにぎりとお茶だ。私はそれらを食べながら、パンの量とおにぎりの量の調整をしつつ、他の品の発注を書き始めた。もうしばらくしたら授業も始まるし、うちにも人が来なくなる。午後は委員会生徒や文化部以外がうちに来ないから比較的暇なのだ。


****


 そう言えば夏が来ると言う事は、もうすぐテストなんだっけと今更気が付いた。当てが外れて、もうすぐ営業時間が終わると言うのに人がぶつ切りとは言え途切れる事なく来るのだ。売れるのはルーズリーフや赤いボールペン、あとリングノートが数冊程。

 なるほど、期末試験ねえ……。私も学生さん達が休みの間は購買部での勤務は当然なくって、しばらくは会社の方で事務仕事をしている訳だけど。テストもまた青春ねとは、当の必死に図書館なり教室なりに残って仕事をしているような子達に言える訳なんてない。

 店を閉めたいけれど、まだ図書館は閉まっていないらしくって、全然人が途切れない。どうしたもんか。そう思っていると今度は女の子達がやってきた。


「すみませーん、ノート買いたいんですけどー」

「はあい。ルーズリーフ? 普通の?」

「普通のがいいでーす」

「はい、150円ね」


 そうやり取りをしつつ、帳簿をつける。うーん、悪いけどそろそろ閉めようかな。そう思ってふとカウンターを見たら、釣り銭皿の上に財布が置いてある事に気付く。さっきの子達の?

 私は思わず店の外に出て、声を張り上げる。


「ちょっとー! 忘れ物ー!!」


 声をかけてみたものの、どうも既に行ってしまったらしい。うーん……財布を持ってみたら小銭が詰まってるのかちょっと重いし、財布なんて忘れ物箱に入れるのも駄目でしょうし。でも私もそろそろ帰るから、店に置き去りって言うのも困るわね……。私は仕方なく店先に出していたものを店の中にしまい込みつつ、財布の処遇に頭を悩ませてしまう。精算を済ませて金庫を鞄にしまってしまうと、いよいよ財布の心配をしないといけなくなる。

 仕方ない。財布は明日にでも取りに来てくれる事を期待して持って帰るか。そう思って財布を私の鞄に入れようとした、その時。

 財布に挟み込んでいたレシートが一気に雪崩を引き起こして落ちてしまった。


「あっちゃー……」


 仕方なくそれを拾い集める。捨てるのも考えてみるけど、お小遣い帳を付けているような子だったらレシートがないのは困るでしょう。中にはメモも入っていて、出掛けた先の買い物でもしてたのかしらねと思っていた時、見覚えのある文字が目に飛び込んで来たのに、私は思わず手を止めてしまった。


『新作構想:コンセプト:失恋からの立ち直り、倦怠期

 春から夏、失恋から立ち直った主人公は新しい恋に生き始める。でも季節が変わったらそうもいかない。次の敵は倦怠期』


 それだけだったら、小説でも書いてるのかなと思うけれど。でも問題は走り書きになっている部分だ。


「いや、流石に生徒の惚れた腫れたに口出すような教師はなかなかいないと思いますよ?」

「あ……あれ、知ってらしたんです? もしかして」


 明らかに覚えのあるセリフは、私と名東先生がしゃべっていた内容だ。

 店の中にいたから覚えてないけど、誰かに見られてた……? そもそも。メモの走り書きは明らかに購買部なのだ。

 な、何。これ。そもそも誰が落としたの、これ。思い出そうとしても、女の子達がノートを買いに来た所までは覚えているけれど、覚えがいいはずなのに何故か顔が思い出せないのに焦る。あれ、どう言う事なの、あれ…………?

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