次の日。まだ登校時間より早い時間帯。私は購買部の準備をしていた。足りなくなった備品の発注を行い、会社からもらってきた釣り銭の準備をする。

 一限中には補充とパン屋さんも来るけど、それまでは暇なはず。あ、賞味期限が来るものも後で確認しておかないと。私はそう思いながら在庫票を取り出すと、賞味期限が来そうなものを吟味し始めた。昨日は挨拶回りのせいで賞味期限チェックに遅れたからな。いけないいけない。

 そう思っていた矢先。


「ニー」

「ん……?」


 その鳴き声を聞いた瞬間、私は自然と身構えた。昨日来ていた黒い小さな悪魔が、購買部のカウンターに乗っていたのだ。今日はまだお金は金庫の中だけど……。


「だっ、駄目よ、あなたにあげられるものなんてないんですからね!」

「ニー」

「そんな切ない顔してもだーめっ!」


 私は警戒して猫を追い払おうと持っていた在庫票を挟んだクリップを振り回したら、猫はひょいっとカウンターを降りて行った。


「ニー」

「あっ、ちょっと!」


 廊下の向こうは生徒の教室が並んでいる。教室になんて行っちゃって大丈夫なのかしらとも思ったけど、今はまだ登校時間じゃないから大丈夫なのかな。

 そう、思っていた矢先。


「こら、フー。こんな所にいちゃ駄目だろ? 見つかるから」

「ニー」

「こらっ」


 廊下の曲がり角で、男の子らしい声とさっきの猫(フーって、あの子の名前なのかしら……)が話をしているのが聞こえた。あらら、そう言えば昨日先生が言ってたか。この学校の生徒が餌付けをしてるって。じゃああの子なのかしらね、餌付けしてるのは。

 そう思いながら、在庫票で捨てるもののチェックを済ませる。牛乳とお茶のペットボトルを抜いて、明日の分の発注リストに書き加えていると。カウンターに人の気配を感じて顔を上げた。


「あー、すみません。まだ開いてないんですよ……」


 あ……。

 思わず見惚れてしまうような男の子が、そこに立っていた。

 金色の艶々とした髪には天使の輪が浮かんで見える。目は一見すると茶色に見えるけど、下から見上げるとそこにうっすらと翠色の光彩が混ざっているようにも見えて、飽きが来ない不思議な色合いだ。まつ毛が長く、絵本に出てくる王子様の服を着せても何ら遜色はないだろう。

 しかし、こんな日本人離れした男の子が黒猫を抱っこしてこうして購買部に立っているのは本当に不思議な感じがする。

 私がそんな事を思っていたのを知ってか知らずか、男の子は首を傾げた。


「あれ……? 購買部の……」

「ああ。私昨日から赴任なんですよ」

「そうなんですか……」


 こうやって声をかけてもらえるのは、何だか不思議だな。昨日は慌ただしくって思わなかったけど、よくよく考えれば、新しい外部の人が来ても声をかけたりはしない。私の高校時代だって、わざわざ購買部のおばちゃんが替わっても例え気付いても声をかけたりしない。ここの子達はそう言うのを当たり前に行えるって言うのはすごい事のような気がする。この学校はやけに風通りがいいなとは思っていたけど。

 でもこの子、猫を抱っこしてて大丈夫かしら。


「あの、君こそ猫抱えてて大丈夫? 怒られない?」

「……学校で隠れて飼ってるんで大丈夫です」


 大丈夫じゃないよ。全然。普通にこの学校の先生知ってたぞ。そうつっこみを入れたくてしょうがなかったけど、あまりにも真面目な顔で言われて、口出しができなかった。

 もしかするとこの王子様みたいな男の子は天然なのかもしれない。


「で、何欲しいのかな?」

「あ、すみません。牛乳を一つお願いします」

「ちょっと待ってね」


 そう言ってから私は賞味期限がまだ先の牛乳を取り出した。

 会計を済ませると、男の子は笑顔になった。


「ありがとうございます」

「うん。先生にあんまり見つからないようにねー」


 もう見つかってるけど、黙ってくれている先生もいるから、迷惑かけないようにね。

 そう思いながら男の子に軽く手を振った。

 男の子は「ニー」と鳴く猫の顎をくすぐりながら、柔らかい声で「もうちょっとしたらご飯にしような」と囁いていた。

 きっとあれを見て女の子達は「可愛い……」と思うんだろうな、と私はそれを見送っていた。

 王子様と猫の組み合わせの破壊力は凄まじい。


/*/


 朝の一件を除けば取り立てて派手な事はなかったけれど、今日も気持ちよく仕事をする事ができた。

 女の子の陰湿な会話を聞く事もなく、おばちゃんの粘着質な嫌味を聞く事もなく仕事ができると言うのは、これだけ精神衛生にいいとは思ってなかった。

 今日の売上の計算を行っている所で「よう」と声がかかって顔を上げると、上司だった。


「お疲れ様です!」


 私は慌てて頭を下げると、上司も「お疲れ」と笑いながら手を挙げた。


「昨日から入ってもらってるけど調子はどうだ?」

「まだ二日目ですけど、思っているより働きやすいですね」

「そうかそうか、それはよかった。……所で、赴任してきて二日目で申し訳ないけど、今月末の日曜は大丈夫かい?」

「と、申しますと……?」


 そう言われて、はた、と思い当たる。

 この学校の下校時刻は教えられてはいても、この学校の休日カレンダーは、慌ただしい赴任でまだ教えられていない。私の休日カレンダーは大体学校合わせだし、長期休暇中だって学校によっては売店を開けていないといけないのだ。

 この言い方だったら。

 そう身構えていた矢先。


「もうすぐ体育祭だからね、幸塚の。そこで出て欲しいんだよ」


 やっぱりか。

 思わずがっくりとうなだれる。折角の休日を学校で一日売店に軟禁なんて……。しかも文化祭じゃなくって体育祭と来たら暇な事この上ない。体育祭の応援ができる訳でもなく、昼休みにご飯買いに来る以外に売店に用事のある子なんている訳がない。

 そう思っていた矢先。


「だから、体育祭には出張店舗出すから、そこを任せたいんだよ」

「あの……意味が分からないんですが」

「いやね、この学校の要請。わざわざ買い物をするのに校舎の中に入るのはタイムロスだから、テントを張ってそこで店を出して欲しいんだと」


 何だそれは。私は思わずげんなりとした。

 例えテント越しとは言えども、炎天下にさらされて店をするとか、何と言う地獄。


「だから頑張って」

「……分かりました」


 苦笑いを浮かべてそう返事するしかできなかった。

 それに……。

 朝に会った男の子。昨日は見なかったけど、あの子は「えこうろ」の最後の攻略対象の子そっくりだった。

 三ケ島勇太。フランス人と日本人のハーフで、失恋したての主人公の騎士的存在になるって言う、どこの少女マンガから出てきたって言う位ベタな設定だけれど、天然ボケがひどくって、王子キャラなのか天然キャラなのかって判断の分かれるキャラ設定で、「えこうろ」の中でも一番人気が高い。

 あんな眺めていても楽しい子が何の種目に出るのかはちょっと気になるかな。

 あの子だけじゃない。

 最初に会った瓜田君(のそっくりさん)とか、鏑木君(のそっくりさん)とかも、体育祭でどんな活躍するのか気になるし、不破君(のそっくりさん)はきっと生徒会仕事でバタバタしているのが見れるだろうなあ。

 じゃあ先生はどうするのかしら。

 それに──。

 ヒロインの子は、体育祭でだったら見つけられるかしら?

 そう思うと、暑いのは嫌だし日曜が潰れるのは尺だけれど、何とか我慢もできそうだ。

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