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パンが二時間目の休み時間に既に売り切れてしまったせいか、それからは比較的暇だった。時々切れたらしいシャーペンの芯やら消しゴムやらを買いに来る位で、昼休みは平凡そのもの。
この学校のピークは2時間目なのかな。そう脳みそに皺を刻みつけつつ、暇な時間を利用して売上の計算を始めた。
前の女子校よりも購買部の規模が小さいせいか、あれだけパンが売れたにも関わらず、売り上げ自体はそこまで大きくない。こんなもんかなあ。
ふう、と溜息をついて電卓を置いた瞬間。
「ニー」
「ん……?」
ここで聞こえるはずのない声が聴こえた。ぱちりと目を瞬かせてみると、商品を並べている棚の上には、黒いつやつやとした毛をした猫が乗っていた。
「ちょっと……君どっから来たの?」
「ニー」
「って、あっ……!!」
その猫は、あろう事か計算して置いていたお札の上に飛び乗ったのだ。思わず青ざめる。
「ちょっと、お願い止めて……計算合わなくなったら……」
「ニー」
その猫は野良猫の割には随分と人慣れしているらしく、私が抱っこしようとしてもちっとも抵抗せず、むしろひょいっとからかうようにして避けるだけだ。そしてお札の上からどいてくれない。
「お願い、いい子だから止めて……」
「ニー」
「って、ちょっ! 止めて!!」
猫は一万円札を加えると、そのままぱっと購買部を飛び出してしまった。
私は顔を青ざめさせる。
そりゃよっぽど大きい誤差でない限りは、誤差の分は私が立て替えたりもしたりする。でも一万円も立て替えるなんて真似、流石にできない。
私は慌てて計算して置きっぱなしだったお金を金庫にしまうと、、「留守です」の札を再び付けて、購買部を飛び出していった。
****
「猫ー、猫ー!! ちょっと……どこ行ったの!?」
私は顔を青ざめさせながら、見慣れない校内の中庭をうろうろしていた。生徒達は面白そうな顔でこちらを眺めるだけだ。
うう、仕方ないわよね。私、ただの外部の業者だし。そりゃ外部の人間がうろうろして叫んでても、ただ面白いだけ……。色々マイナスな事ばかり頭に浮かぶけど、そんな落ち込んでいる場合でもなくって。
気持ちをシャキッとさせようと、「猫ー!!」ともう一声かけた時だった。
「すみません、外部の方がこんな所でうろうろされては困ります」
「あの、ごめんなさい」
「どうかされましたか?」
「あ……」
振り返った先にいたのは、背広のジャケットを脱いでラフな格好をしている男性だった。服装からして教師だろうけれど。
前にいた学校では若い先生なんてほとんどいなかったから、若い先生なんて言うのは教育実習生以外見た事もなかったから、本当にいたんだなと、妙な感慨が沸いた。
ってそうじゃなくって。
自分でそう突っ込みながら、頭を大きく下げた。
「すみません……ちょっと売上が」
「売上?」
「えっと……猫に売上を持ち逃げされて……」
「……意味が分かりませんが」
「そう、ですよね。はは……」
「んー……そう言えばちょくちょく耳には挟みますね。うちの生徒がどうも野良猫に餌付けしてるって」
「え……?」
思わず耳を疑った。そんな話、確かに聞いた事あるなあとか。何とか。
それはさておき、先生は笑って「どんな猫ですか?」と聞いてくれた。
「えっと、黒い猫で……」
「あー。やっぱり。そいつにちょっと心当たりありますから。よろしければ」
「え……? あ、はい……」
この先生、随分と不良なのかしらね、とふと思った。猫を生徒が餌付けしても怒らず黙認してるなんて、あまりない事だと思うから。
先生が中庭の端の方に連れて行った先に、「ニーニー」「ミャーミャー」と言う鳴き声が随分と響いていた。芝生がふかふかした先には、真っ白な猫が横になり、黒い猫や白い猫がお乳を飲んでいる牧歌的な光景が広がっていた。そして黒い猫は白い猫にお乳をもらっていた。
「あなた……って、お金は!?」
「それじゃないです?」
「あ……」
そこには小銭やらお札やらが溜まって置いてあり、真新しい一万円札が上に乗っていた。
「この子達……お金貯める癖があるんですか?」
「生徒がずっと面倒見てるせいですかねえ。申し訳ないと思ったのか、そんな癖がついてるんですよ。時々面白がった他の生徒が小銭をやってるらしくって。でも一万円札持って行かれたのは初めて見ましたねえ」
「そうですか……」
随分と変わった癖あるのね。私はそう思いながら、一万円札を溜めている所から抜き取った。
「ニー!!」
「ごめんなさい、でもこれは困るのよ」
猫は少し威嚇するのに、思わず謝りながらお金を持つと先生は微笑む。
「それじゃあ、次は取られないようにして下さい」
「ありがとうございます」
「えっと、帰れますか?」
「あ……」
まだ購買部と職員室、駐輪場位しか場所は覚えていない。そもそも中庭になんて普段業者は入らないと思う。私は「購買部までお願いします……」と言うと、先生は少しだけ目を細めながら「はい」と送り届けてくれた。
****
びっくりしたのは、今日で既に三回目。流石にここまで来ると出来過ぎとは思うけど、いくら乙女ゲームが趣味と言っても、現実とフィクションの違い位は分かっているつもり。
でも……ここまで来ると行き過ぎな気がする。
ちょうど予鈴が鳴り、もうそろそろ駆け込みで生徒が買い物して、次の授業に備える頃だなと思いながら、スマートフォンを覗く。
「えこうろ」の名東隆一郎先生に、さっきの先生はそっくりだった。よく気の付く先生で、主人公の成績が落ちてきたのを心配して、個人面談を重ねて仲を深めていくって言うシチュエーションは、「えこうろ」のそれぞれのキャラシナリオの中でも一二を争うお気に入りだけど。
……考えても仕方がない、か。
ゲームの中だろうが、外だろうが。私は仕事しなきゃいけないんだし。
しかしそこでふと気付く。
ゲームの中だと立ち絵が全く存在せず、攻略対象のキャラを通してしか全く語られていない主人公は生徒のはずだけど。その子は今どうしてるんだろう。
「……なんてね。流石にそれは、ない。ない」
思わずそう呟いて首を振った所で「すみませーん、おばちゃん消しゴム下さーい」と言う声が来て、苦笑混じりに「はーい」と答えた。
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