第4話

「かず君、何が来るかしら。馬車?やっぱ馬車かな?」

「どんな音が聞こえたのか知らんが、車輪が地面を転がる音してたんなら馬車だろうよ。荷馬車かどうかまでは見てみないとなぁ。馬が曳いてるとは限らんが」


 目指す先は、ちょうど軽い登りで馬の背になっていて、向こう側への視界が閉ざされている。もうちょっと進めば視線が通るようになって先が見えるかなと言う頃、向こう側から馬蹄の音と馬車の立てるガラガラという音が、予想以上の猛烈な勢いで迫ってきているのを俺ですら感じ取っていた。


「なんかやばい!?」

「確かに様子がおかしいわね」

「おかしいわね、で済ませるお前がおかしいわ。何かから逃げてるようにしか聞こえないぞ」

「どうする?隠れる?」


 そう春香に問われたが、もしこの状況で隠れたとして、追われている側がこちらを察知していた場合、ハサミ打ちのために隠れている、と向こうが勘違いして攻撃をされても俺は驚かない。むしろですよねーって感じである。なお隠れなきゃ隠れないで巻き添え食らう可能性のほうが大きいけれど……。


「そんな暇ないわな」

「まあそうよね」


 向こう側からだと軽い下りに入るところだったのだろう、一瞬だが軽く宙を跳んだ馬車の姿が、俺達の前に飛び込んできた。なお曳いてたのはどうやらちゃんと馬っぽい。足の数がなんか多い気がするが。

 二頭立ての、がっしりとした作りの馬車は、そのまま一直線に街道を駆けて行くと思われたが、ジャンプからの着地の際、体勢が崩れたのかバランスを崩して蛇行し、なんとかバランスを取って復旧するかと思えたところで、更に後方からやって来た巨大な毛むくじゃらの物体の突進により、限界を超えた。

 速度自体はそれなりに落ちていた為に、そんなに大層な被害は見た目上は無かったが、中の人は大丈夫だろうか、と思う間に春香が動いていた。


「喰らえっ!」


 そう言って放り投げたのは……俺が削りだして形を整えた杖であった。言った端から武器に使うとか。それならそれで、もっと先っぽを尖らせておいたものを。

 放り投げられた杖は、狙い違わず馬車に襲いかかっていた奇妙な生きものっぽい何かにぶち当たった。と同時にそれは絶叫を上げて消し飛んだのである。


「弱っ!?」

「いやいやいや、あの馬車に突撃しても平気だったのに?」


 明らかに日本で出没する熊よりでかかった。伝え聞くところによる、百年ほど前の北海道で起こった獣害は、体長二メートル七〇センチ、体重三四〇キログラムという巨大な羆によるものだったらしいが、こいつはそんなレベルじゃなかった。ざっとその倍、3ナンバーの乗用車程はあったのだ。

 恐る恐る倒れた馬車に近寄ると、地面に横倒しになった拍子か先の物体のぶちかましによるものか、車輪が割れたようでもう走れないなということは即座に理解できた。馬車とともに横倒しになった馬っぽいものは、一頭はどうやら骨が折れているのか足が数本、変な方向に曲がっていた。もう一頭は下敷きになった馬のおかげか無傷のようではあったが、馬車に括られている為に身動きがとれない状態のようで藻掻いているようだ。

 そして、先ず居るであろうはずの御者の姿は見えなかった。それはともかく、それよりも俺が気になったのは、地面に突き刺さった春香が投げた自作の杖である。


「おい、春香。これ……」

「何?かず君……ってうわ」


 指差した先には、先ほど春香が投げつけた杖が、半ばまで地面に突き刺さってそこに何かを縫い付けるようにしている様相であった。


「なにかしら、これ」

「さっきのやつの残したモンなんだろうけど……。なんだろ?」


 死んで何かを残す、って虎が皮を留めたり人が名を残したりって、それ違う。だからといって、吹き飛んで他に何も残らないってのもあれだし、一体何なのだろうと思いつつ、その突き刺さった杖に絡まる何かをじっくりと見回した。


「皮……革?袋?」

「革で出来た巾着袋にしか見えないな」


 突き刺さった杖をむんずと掴んだ春香は、全力で引き抜こうとして力を込めた、のだがあっけなく抜けてしまったせいで尻餅をついてしまった。


「簡単に抜けたな。馬鹿力め」

「いやいやいやいや、私が馬鹿力だからじゃないって、きっとこれなんかファンタジーなおかしい力が働いてるんだってば」

「そっかな……っと」


 抜けた杖の後に残った革の袋を、ツンツンとつま先で突いてみる。が、何も起きない。俺は鞄の中の箸箱から箸を取り出し、その袋をつまんで持ち上げてみた。ぱっと見、どうみてもなんかでは持ち上がらないような重さに感じるんだが、あっけなく持ち上げることが出来たのである。


「うーん」


 怪しさだけで出来ているようなそれを、俺は一旦地面に置き、そーっと口を開いてみることにした。


「もう、かず君ってば慎重居士すぎ。こんなのこうよ、こう!」


 俺の気遣いも虚しく、春香は革袋を手で握るとひょいとばかりに口を広げ、中身をひっくり返してみせたのである。つーか慎重居士ってお前は一体何を目指してそんな言葉を使ってるんだ。


「おお、何かすごいっぽいのが出てきた」


 袋をひっくり返した結果、地面にぶちまけられたのは。


「……すごいっぽいって言うかさ?手のひらサイズの袋から、なんで俺の身長よりも長い金属棒が出てくるかな」


 ゴン、ガランといった重低音な金属音と共に、赤黒く輝く六角形の長い金属性の棒が出てきて転がったのである。と同時に春香の手にしていた袋はキラキラと光りを発して消え去り、それと同時に脳内で何かが鳴り響いたのだ。


「何だ今の!」

「あ、かず君にも聞こえた?アレじゃないかな、レベルアップ的なファンファーレ!やったねかず君、レベルアップだよ!」

「いやいやいやいやおかしいだろ。たとえレベルアップしたからって頭のなかでファンファーレとか!しかもお前しか戦ってないじゃん」

「いいじゃない、パーティー組んでたら貰えるんでしょ?経験値って。まさにファンタジーって事でしょ」

「ファンタジーに謝れ」


 うん、帰りたい。


「それはともかく、馬車の方はどうなんだろう。中の人大丈夫か?」

「中の人など居ない!」

「いや居るだろ。ネタは良いからちょっと上に登るの手伝ってくれ」

「あいよー」


 馬はさっき見たとおり片や瀕死、片や無傷だが、今近寄ると蹴られそうで怖い。そういえば馬車を運転……って言うのか?操縦?手綱を取る?うん、まあ御者してる人でいいや。


「おい春香さんや、御者の人は見たか?」

「ううん、見てない。……居ないねぇ」


 扉を開けようとしながら、春香に聞いてみるが、やはり御者が居ない。途中で落っこちたのか逃げたのか、御者の人が座る御者台っていうところにはもちろん、馬車の下敷きになっていたりとかもない、はずだ。倒れたとこ見てたしな。


「鍵がかかってる、か?」


 横倒しになった馬車の上に春香に手伝ってもらって上ったのは良いが、扉が開かない。小さいながらもガラスっぽいものが嵌めこまれた窓には、上下がレールで留められているカーテンが内側に付いていて中は窺い知れないし、さてどうするか、と思っていたら、扉に付いていたノブ的な出っ張りがカチャカチャと動き、扉がちょっと開いた。

 かと思うとまた閉まった。暫くそれが繰り返され、何度目だったか、開いた隙間に何かが差し込まれ、ようやく動きが止まったのであるが。


「そこの者!見ておらずに手伝わんか!はよう!」


 やけに焦った子供っぽい女性の声が、その隙間から聞こえてきたのだ。日本語で。


「よっこらしょ、っと。どしたのかず君」

「ああ、上ってきたか。いや、中の人が居た。どうも扉まで手が届かないらしい」


 俺が中の人の剣幕に押されて固まっていたところ、春香が先ほどの金属棒と俺お手製の杖を持ったまま飛び乗ってきた。……身体能力どうなってんですかねぇ。


「のんきに喋っておらずに手を貸さんか」


 そんな状況の中、中の人は偉い剣幕である。普通なら手を貸す。普通なら。


「だがしかし、俺的には今、手を貸さないほうが良いような気がする」

「おお、実に無慈悲な非普通的意見だよ、かず君」

「いや、脱普通のための発言じゃなくてですね」


 そんな事を話しながらさてどうするかと春香と悩んでいると、やいのやいのと馬車の中から聞こえてくる。


「やかましい」


 挟まっている棒っぽい物を摘んで引き抜くと、当然ながら扉はあっさりと閉まり、そして静かな空間が戻ってきたのであった。


「あら、防音機能凄いのかしら」

「どれ」


 開く。


「はよ助け」


 閉める。


「うむ聞こえない。ドアこんなに薄いのに。凄いね、ファンタジー」

「まあそれはともかく、早く助けてあげよう?」

「うん、そりゃそう思っては居るんだけどな」


 どうにもこうにもニントモカントモ。


「俺ら何か恨まれるようなことしてたっけ」

「少なくとも私はしてないかなー。あ、逆恨みとか嫉妬なら結構あるかも。でもこの世界じゃ無いはずよね」


 なんだかんだと喋りながら、俺と春香は視線だけでお互いの言いたいことを理解していた。


「とっととその中から飛び出してきてくれてれば、楽だったんだがなぁ」


 いつの間にか街道のど真ん中に立ちふさがるように現れてそう言ったのは、いかにも怪しそうな、怪しいといえばこうでしょ!的な、暗褐色な布で作られた、顔まですっぽりと覆うフードが付いたローブと言うのか、いわゆる魔法使いの着てそうな格好をした、濁声の小柄な人物であった。しかもこっちも日本語だ。


「いきなり出てきたぞ。テレポートって奴かな」

「ただ単に素早いだけかもしれないじゃない?それか姿消してたとか、気配隠して隠れてただけかもしれないし、一概には言えないんじゃないかしら」

「いやいや、素早いだけだったら風切る音とか聞こえるだろうし、姿消すとか気配隠すとかできるんなら、そのまま攻撃してくりゃいいじゃん」

「それはそれとして魔法で転移する時って、転移先の空気とかはどうなるのかしら。いきなり物体が現れて、混ざっちゃうのかしら、石の中にいる!的に。それか押しのけて現れるのかしら。後者だったら一瞬で体積分が凄い圧縮かけられちゃう訳だから、結構な音が」


 するんじゃないかなと続けるつもりだったんだろう春香は。

 言い切らないまま、その手にした金属棒を振りかぶりもしないで放り投げた。

 どう見ても手首のスナップだけで投げたそれは、音を置き去りにしたレベルで飛んでいき、そして地面に大穴を開けて突き刺さったのである。


「あ」

「うーん、消えた?」


 前触れ無く現れた怪しい人は、春香がブン投げた金属棒がその胸に突き刺さった瞬間、音もなく無く消えてしまったのである。なおファンファーレは鳴らなかった。経験値低いのか。それとも倒せずに逃げられたのか。


「……とりあえず、中の人、助け出すか」

「そうね。また面倒が振りかかるかもだけど。て言うか、なんで言葉わかるのかしら」

「今頃か」

「まあ前の時もそうだったし、今更かしら」


 そうなのである。前の時も今回のように、異世界のくせに日本語通じる不思議、という状態であったのだ。別に口の動きとあってない、等ということもなく、普通に日本語をその世界の人達もしゃべっていたのだ。


「あれか、バベルの塔的な神の怒りがない世界なのか」

「ふむん、それは非常に考えさせられる考察よね。世界が私達の言語に合わせたのか、実は日本語と思って喋ってる今の私達の言葉が実はこの世界の言葉だとか」


 なるほどわからん。


「要するに、んーと『羹に懲りて膾を吹く』。あら、普通だわ」

「なんじゃそりゃ」

「ほら、慣用句とかそのまま翻訳できないじゃない?もしこの世界の言葉に翻訳されてるのなら、どうなるのかなって。武士は食わねど高楊枝、なんて英訳してから逆翻訳すると、戦士は食事を摂っていなくても悠々と食後のように振る舞う、なんて言うふうになっちゃうわけだし」

「ああ、そういうことか」


 まあ言葉の壁が無いなら無いに越したことはないので大助かりである。異世界に放り出されて言葉も不自由だったら困難この上ない。そんな事を話しながらしばらく警戒していたが、それっぽい気配はすっかり消えてしまっていたので、俺と春香は漸くの事、馬車の扉を開き中を覗き込んだのである。

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