第7話 作者性と作品

 メタなセリフ、使っていませんか? 

 どこかで見たセリフ、使っていませんか?

 唐突なパロディネタ、使っていませんか?

 そのセリフやネタが地肉となっていて作品と分離できないのなら問題ありません。


 問題となるのは承認欲求と作者性を分離できていないときです。

 わたしの好きなFPSで例えましょう。FPSでは(以下略)

 ーーはい、作者が好きな話題を急に語ろうとしていますね。このような「わたしが好きなことだから面白い話をできる」という幻想は捨ててください。

 メタな話題や自分の好きなことを語るのは作者性でもなんでもありません。ただ構って欲しいという願望が漏れ出しているだけです。多くの場合、周囲の人は距離を置くでしょう。素晴らしい物語で人を惹きつけても、自分の勝手な承認欲求でみんなを冷めさせてしまうのはもったいないと思いませんか?


 承認欲求は心から切り捨てるのが難しいものです。一時的な気の迷いが知らず知らずのうちに承認欲求となっている可能性があります。

 そんなときは深呼吸してストレッチをしましょう。散歩やランニングもいいです。とにかく小説モードから運動モードになりましょう。自分の作品について理性的に考えすぎると深みにハマっていきます。

 本能を取り戻してください。あなたはどんな作品で感動してきましたか? 今のあなたの作品は道を誤っていませんか?

 ストーリー重視の小説にギャグ要素があることは問題ありません。ギャグ小説にシリアス要素があることも問題ありません。ただ、それが不自然であったり必然性がなかったりしませんか? 


 作者性とは作者の持つ性質です。ですが好きなことを書くことが作者性を示すことではありません。

 本当の作者性とは作者の思考そのものです。複数の人が同じ作品を書いても違う作品になるのは作者性によるものです。

 何事においても笑いで考える人はどのようなことでも笑いを絡めて書きます。悲しみで考える人はどのようなことでも悲しく書きます。何事においてもリセットしたがる人は作品にもリセットが絡みます。

 何事においても恋愛で考える人は、どのようなことでも恋愛を絡めて考えます。恋愛という作者性を持つ作者がアフリカの飢饉を題材に小説を書いたら、題材からはあまり想像できないですが恋愛という影の見え隠れする内容で書くでしょう。

 わたしが作品を書けば何かを偏執的なまでに説明したり型にはめようとする気配が見え隠れするかもしれません。

 作者性とは作者のそのときの本質です。それらは良い悪いではなく作者ごとの性質の差でしかありません。


 しかし性質が違うからオンリーワンだし何も変える必要はないんだ作品における本質は作者性がこうだからそのままでいいんだ、というわけではありません。

 作者性そのものにも質があります。複雑性があります。伝達性があります。核となるものがあります。

 作者性は常に進化していくものだとわたしは思っています。


 複雑な人間になったから複雑な物語を書く、誰にも解ってもらえないから解ってもらえない作品を書く。好きだから書く。それらは作品として芸術性があるかもしれません。でも芸術性すらも伝わらなければ意味のないものです。特に文章は芸術性を表現するために読者が頭の中で理解するための素材が必要になります。

 書いた作品が芸術でも、作品の文章は読者の頭の中で解釈されます。

 どのような解釈をされるのかある程度のコントロールをする必要があります。それが説明であり描写です。

 物語を物語として作品を作品として伝えるために、より素晴らしいものを目指す必要があります。


 前に進むのは難しいものです。三歩進んで二歩下がり、道に迷っては悩み、転んで立ち上がる。うまくいくことよりも、うまくいかないことのほうが多いでしょう。

 それでも明日のあなたが今日より少しだけ前に進んでいることを祈っています。

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