眠れる愛

眠れる愛(1)

 斎藤さいとう寿一としかず教授が入院したのは、ちょうど若林が周囲に〝夕夜〟の公開を迫られていたときだった。

 それ以前から教授の健康状態はあまり思わしくなくなっていた。若林たちの勧めもあり、つい最近休職したばかりだったのだ。

 若林にとって、教授は恩師であると同時に、正木と組む機会を与えてくれた、言うなれば仲人のようなものである。正木と一緒に教授が入院したという病院に駆けつけてみると、彼は点滴を受けてはいたが、案外元気そうな様子で個室のベッドの上にいた。

 その横には、完成後、教授に引き取られたあの〝桜〟が座っている。一見、日本人形のように見える彼女は、若林たちに気がつくと立ち上がり、軽く会釈をした。


「何だ、おまえら。仕事はどうした?」


 白髪の老紳士はからからと笑った。いつもかけている銀縁眼鏡はベッド横のサイドボードの上に置いてある。


「どうしたって……」


 若林たちは返事に困って顔を見合わせた。てっきりもっと悪いとばかり思っていたのだ。教授は長いこと腎臓を患っていた。


「いったい誰が知らせたもんかな。まあいい。ちょうどよかった。おまえらに頼みたいことがあったんだ」

「頼みたいことですか?」

「おお。たぶん、わしゃもう長いことないからな。冥土の土産ってやつだ」


 明るく教授は笑ったが、若林たちは逆に蒼白になった。


「先生……!」

「言うな言うな。自分の寿命は自分でよーわかっとる。生きるときは生きる。死ぬときは死ぬ。人間それだけだ。ところで、わしの頼みを聞いてくれるのかくれないのか」

「もちろん聞きますよ。何ですか?」

「明日、おまえらの作った〝夕夜〟をここに連れてきてくれんかな」


 何気なく教授は言った。若林はすぐにうなずこうとしたがそれを正木が遮った。


「親父、ボケたか」


 失礼なことに、正木は普段から教授を〝親父〟と呼んでいた。無論、これは正木なりの敬愛表現の一つで、教授も正木にだけはそう呼ぶことを許していた。教授に師事することができたことは正木にとって幸運の一つであったに違いない。


「夕夜はなー、若林が一人で作ったんだよ。何で〝おまえら〟って複数形なんだよ」

「そうかそうか。でも、おまえも手伝ったんだろ、凱」


 にやにやと笑われて、正木は言葉に詰まってしまった。

 教授は簡単だからという理由で正木を下の名前で呼んでいた。この自由奔放な美しい天才児を彼はまるで我が子のように可愛がっていたのである。これでも今は若林と共に「准教授」なのだが。


「わしは余計なことは言わんよ。ただ純粋に興味があるんだ。この桜を作ってくれたおまえらが――ああ、凱、わかっとる。設計をやったという意味だ。そこまではボケとらん――たった二人で作ったロボットがどんなもんなのかな。若よ、夕夜はおまえんちに置いとるのか?」

「え、ええ、そうです。明日の何時頃に連れてきましょうか?」


 ちなみに、若林は名字が長すぎるということで〝若〟と呼ばれていた。若林自身は恥ずかしくて嫌なのだが、恩師にそう言うわけにもいかず今に至っている。若林にも〝修人〟という名前があるのだが、教授には三文字以上は長すぎるらしい。


「そうだな……明日の三時はどうだ?」

「大丈夫です。正木は?」

「何だよ。俺も来んのかよ」


 正木は迷惑そうに唇をとがらせたが、それがポーズだということは若林にもわかってきている。


「俺も大丈夫だよ。講義ないの知ってんだろ? おまえ、明日車乗ってこい。おまえんち回って夕夜拾ってくりゃいいだろ」


 その証拠に正木はしっかり仕切りはじめた。〝夕夜〟の教育のために半年近く同居したせいもあって、二人の距離は驚くほど縮まってきている。それに気づいているのかいないのか、教授はただ意味ありげに笑っているばかりだった。

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