眠れる愛(2)

   *


 翌日、今度は夕夜を連れて再び教授の病室を訪れた。

 昨日と同じく、教授はわりと元気そうな様子で、そのそばにはやはり寡黙なロボット、桜が控えていた。


「先生、これが夕夜です。――夕夜、こちらが斎藤教授だ。ご挨拶しろ」


 夕夜は教授に向かって優雅に微笑み、軽く頭を下げた。


「初めまして。夕夜です」

「ああ、こちらこそ。しかしまあ、これはこれは……」


 教授は眼鏡をかけて、上から下までしげしげと夕夜を眺め回した。

 若林や正木以外の人間と会うのはこれが初めての夕夜だが、特に恐れた様子もなく、目の前の小柄な老人をじっと見つめていた。


「おまえらまた、えらいもんを作ったなあ」


 もう気が済んだのか、教授は眼鏡をはずして声を上げた。


「まさかこれほどのもんとは……まあ、そこらへん、てきとーに座れ」


 その声に合わせて、桜が部屋の隅から折りたたみの椅子を三脚持ってきた。その動きは見苦しいほどではないがやはりぎごちない。長い黒髪とあいまって、からくり人形を連想させる。


「あ、手伝います」


 親に似ず気の利く夕夜が、彼女から椅子を受けとって次々と広げていった。彼の動作は人間と見まがうほどに滑らかで、桜とは比べものにもならない。期せずして二人の優劣がはっきりわかる結果となって、若林と正木は教授にはわからないように目配せして笑った。しかし、教授はさらにそれを二人にはわからないように覗き見して笑っていた。


「しかしなあ、凱の顔をモデルに使ったんはまずかったんじゃないか?」


 三人がそれぞれ椅子に座った後、教授はにやにやして若林を見た。


「はあ……てっとり早かったもので」


 いちばん左端に腰かけた若林は赤面せずにはいられなかった。もっとも、そのためになかなか夕夜を公開することができないのであるが。

 それを面白そうに眺めてから、教授は今度は正木のほうに顔を向けた。


「凱もまた、よう許したな。わしはそっちのほうが不思議だ」

「いいじゃねえかよ、んなこと」


 いちばん右端の最も教授に近い椅子に座っていた正木も、赤くなってぷいと横を向いてしまった。

 そんな二人に挟まれて、夕夜は少し困ったような顔をしていた。

 確かに顔はそっくりだが、正木が背中の中ほどまで髪を伸ばして一つに束ねているのに対して夕夜の髪は襟足までしかない。だから、夕夜は現在の正木というよりも学生時代の正木にことさら似ている。


「ま、それはええ。この桜んときにわかっとったが、やはりおまえらは天才だ。いったいどんな魔法を使ったか知らんが、こんなロボットはおまえら以外に作ることはできんだろう。どれだけ技術は真似できてもな」

「確かにこいつ、えらく手間かかったよな。なかなか動き出さなくて」


 正木は若林と顔を見合わせてうなずきあった。だが、教授は苦笑すると首を横に振った。


「違う違う。凱、そういう意味じゃない。そんな手間だって真似はできる。わしが言っとるのはもっと根本的な問題だ。そもそもおまえらは何のためにこの夕夜を作った? 地位か? 名声か? それとも金か? そうじゃないだろう。おまえらはただ作りたいから作ったんだろう? 違うか?」

「いいえ、そのとおりです」


 若林はすぐうなずいた。正木は少し不服そうだったが、渋々うなずいた。


「そうだろう。だからおまえらは夕夜を作れたんだ。それともう一つ。――凱。おまえは若以外の人間とロボットを作る気はあるか?」

「な……何だよ、いきなりッ!」


 急に話を振られたからか、正木は激しく動揺した。


「いいから訊かれたことに答えろ。――作るか?」


 この質問の答えには若林も大いに興味があった。正木が協力してくれたのは単に自分の能力を評価してくれただけだったのか。それとも、それ以上の意味があったのか。しかし、それだけに聞くのが怖い。若林は息を殺して正木の答えを待った。


「作らねえよ」


 そっぽを向いて、怒ったように正木は答えた。我知らず、若林の顔がほころぶ。だが、続く正木の言葉を聞いて、若林は少しがっかりしてしまった。


「若林じゃなきゃ俺の要求するものを作れない。そのことはあんたがいちばんよく知ってるだろ? 夕夜とその桜とは設計上はそう大差ないんだ。ただ、他の奴らのレベルが低すぎて設計どおりに作れなかっただけだ。若林一人でなら、このとおり、ちゃんと作れる。俺はもう夕夜以外にロボットを作りたいとは思わない。最高傑作はこの世に一つあれば充分だ」

「おー、褒める褒める」


 教授がにやにや笑って正木を冷やかす。正木は不愉快そうに眉をしかめると、いよいよそっぽを向いてしまった。


「だが、わしが言っとるのはそれでもない。でもまあ、ほんとはおまえも自分でよくわかってるんだろう。ここでは言えんだけでな。だから今は黙って聞いておけ。

 ――凱。夕夜がこれほど優れたロボットになったのは、おまえや若の知識や技術だけではない。〝想い〟。それがいちばん大切で何よりも尊い。おまえは若以外の誰と組んでも夕夜は作れないし、若、おまえも凱以外の誰と組んでも夕夜は作れない。技術なんか〝想い〟さえあれば後からいくらでもついてくる。ほとんどのロボット製作者はそこのところがわかっとらん。だからいつまで経っても精巧なお人形しか作れんのだ。

 凱。おまえは正しい。おまえが必要ないと思うならロボットは決して作るな。もう夕夜一人でいいと思うならそれが最上の形だ。後は目的を達成しろ。その御膳立てはわしがもうずいぶんやってやったんだから。

 それから若。おまえはこれからも凱のために苦労することになりそうだ。まあ、これも運命だと思って潔くあきらめるんだな。おまえに夕夜をくれた礼だと思え。そうすりゃそのうち別のものもくれるだろう。

 さて。ずいぶん長々としゃべっちまったな。さすがにわしも疲れてきたよ。だが、最後にこれだけは言っとかんとな。――夕夜」

「はい」


 夕夜は静かに返事を返した。


「顔は凱にそっくりだが、行儀はずっといいな。夕夜、君に言っておきたいのは一つだけだ。――二人を頼む」

「はい」


 驚く若林と正木の視線を受けながら、夕夜は何のためらいもなくうなずいてみせた。

 教授は満足そうにそれを確認すると、今まで起こしていた上半身をベッドの上に横たえた。


「勝手に呼びつけといて済まんが、わしは少し疲れた。夕夜を連れて帰ってもらえるか?」

「あ、はい……先生、大丈夫ですか?」


 心なしか顔色が悪くなったように思える教授に若林は心配になって訊ねた。正木もさすがに不安そうな顔をしている。


「ああ、大丈夫、大丈夫。夕夜を見たいと言ったのはわしのほうだからな。ほんとにいいものを見せてもらった。ありがとうよ。それと――」


 教授は自分の傍らにいる、能面のように表情を変えない桜を見やった。


「〝桜〟をありがとう。本当はこのことを何よりもおまえたちに感謝したい。――と言ってもおまえたちには何のことやらわからんだろうが、それで結構だ。わしが言いたいから言っとるだけだからな」

「……またお見舞いに来ます。先生、お大事に」


 何となく暗い予感を抱きながらも若林は椅子から立ち上がり、隣の夕夜も立たせた。

 正木はむっつりとしたまま腕を組んで椅子に座っていたが、急にふいと立ち上がった。


「親父、死ぬときゃ合図しろよ」


 真顔で正木はそう言った。


「努力はするよ。一応な」


 教授はふっと笑い、目を閉じた。思わず教授を覗きこもうとしたとき。


「お眠りになっただけです」


 抑揚の少ない女の声が二人を止めた。

 桜だった。

 彼女は相変わらずぎごちない動きで、教授の襟元に布団を引き上げた。

 教授の夫人は彼がまだ若い頃に亡くなっていた。子供もおらず再婚もしなかったため、教授の面倒を見る者と言えば、今はこの桜だけなのだった。


「どうぞお引き取りください」


 単調な声で桜は言った。


「しっかり親父の面倒見ろよ」


 そう言い捨てて、正木はさっさと病室を出ていってしまった。

 若林は教授に対して黙礼し、夕夜の肩を抱くようにして病室を出た。





「あなた、大丈夫?」


 いかにも心配でたまらぬような女の声が、眠る教授にかけられた。


「……ああ。まだしばらくはな」


 教授はわずかながら目を開けた。まだ眠ってはいなかったらしい。


「だが、これでもう思い残すことはない。わしはもう自分の成すべきことはすべて成し終えた。あいつらのことはちと心配だが……きっとあの〝子供〟が何とかしてくれるだろう。まったく、あいつらときたら、自分で自分の生み出したものの凄さがまるでわかっとらんのだ。おまえのこともあいつらは〝失敗作〟とでも思っているんだろうが……わしにとってはあの夕夜以上の〝最高傑作〟だ。おまえを一目見たとき、なぜあいつらが知ってるんだろうと思ったよ。写真なんて一度も見せたことはないのに。結局、おまえのその顔も声も偶然そうなっただけだったが、わしはやはりそれはあいつらが天才だったからだと思うよ。こうしておまえが設計外のモノになったのも」

「あなた、あなた。もう休んで。体に触るわ」

「いいんだよ、もう。わしはもういつ死んでもいい。だが、桜。おまえのことが唯一の心残りだ。おまえのことは凱たちに任せるつもりだが、遠い昔に失って、やっと会えたと思ったおまえとまた別れなければならないのは、ちとばかり辛いな」

「〝私〟は向こうで待っているわ。そして、私もすぐにあなたの後を追うわ。私は桜。昔も今もあなたの妻」


 今はもう人間としか思えぬ悲痛な表情で〝桜〟は教授の皺だらけの手を取ると、その手の甲にそっと自分の白い頬を寄せ、祈るように目を閉じた。

 窓の外では、初夏の眩い光の中で、木々の若葉がまるで作り物のようにきらめいていた。

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