2 商店街(2)

「びっくりしたかじゃねえ」


 つい先ほどまでもう若林には会えない――〝会わない〟ではない――と落ちこんでいたくせに、正木はすっかりいつもの正木に立ち戻っていた。


「おまえこそ、何でこんな時間にこんなとこにいるんだよ」

「金曜は午前中で終わりだよ」

「でも、午後に研究会があるはずだ」

「う」


 元同僚が相手だと、こういうときごまかしがきかない。


「サボったな」


 冷ややかに正木が言うのに対して、


「休んだんだ」


 ささやかながら、若林は訂正を訴えた。


「車は?」

「え?」

「車。おまえ、今日、車で大学行ったろ」


 その瞬間、今朝一限の講義に遅れそうになり、電車ではなく車で大学まで行った記憶が若林の脳裏に甦った。


「……忘れてきた」

「え?」

「いや、いつも電車で通ってるもんだから、今日もそのつもりで……そうだよな、今日車に乗ってきたんだ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟く若林に、美奈は正木と無言で顔を見合わせた。若林の突然の登場で、正木もすっかり気が削がれてしまったらしい。

 考えてみれば、ここは若林がいつも利用している駅の近くだから、時間さえ合えばこうしてばったり出くわす可能性もあったわけだ。

 それにしても、すごい偶然である。これも正木の言う〝シンクロニシティ〟とかいうやつだろうか。正木のヤケ買いを止めてくれたのはいいが、一難去ってまた一難という気がする。


「でも、おまえたちは? そういや夕夜がいないな。一緒じゃないのか?」


 ふと気がついて、若林が顔を上げた。

 そう訊かれて、正木と美奈に緊張が走る。まさか、たった今までウォーンライトと会っていたなんて――若林には言えない。


「か……買い物だよ、買い物! 美奈に新しい服買ってやろうと思って。夕夜は別の物買ってるんだ。な、そうだよな、美奈!」

「うん、そー。今から買いにいこーとしてたのー」


 本当はそれを止めようとしていたのだが、美奈は迷わず正木に調子を合わせた。正木がそうやってごまかすつもりなら、今はそうしておいたほうがいい。


「そうか? 俺には美奈が嫌がってるように見えたけどな」

「遠慮してたのよー。前にも買ってもらったからー」

「遠慮? おまえもずいぶん大人になったもんだな」


 からかうようにそう言ったが、若林はそれで納得したようだ。勘のよすぎるウォーンライトと会った後だけに、今はこの単純さがたまらなく愛しい。

 鈍感もよく言えば、細かいことは気にしないということだ。なんて男らしいんだろう。と正木は思っている。


「しかし、驚いたよ。どこかで聞いた声がすると思ったら、美奈がおまえの手を引っ張って喚いてるから」

「内容聞いたかっ!?」


 はっと我に返って、正木は若林の襟元を右手でつかんだ。

 確か、美奈は思いきって若林に好きだと言えとか何とか、そんなことを言っていなかったか。


「内容って……何か言ってるのはわかったけど、内容までは……何かまずいことでも言ってたのか?」


 正木の気迫に多少ひるみはしたものの、若林はおっとりと答えた。

 若林が苦手とするのはこういう荒っぽい正木ではなく、自分に特別な関心を抱いているように思える正木である。だから、第三者が聞いていたらかなりきつく思うだろう正木の罵りも、若林はわりと平然と受け流すことができる。こういうことをするから〝鈍感〟などと言われてしまうのだろうが、正木の言うことにいちいち傷ついていたらとても神経が持たない。


「いや……そんなことはない――けどよ」


 正木は笑ってごまかして、若林から手を離した。

 若林がそう言うのならそうなのだろう。この男は嘘をつくのがとても下手なのだ。と正木は思っている。


「でも、ここで会えてよかったよ。俺、おまえたちに訊きたいことがあって、さっき家に電話したんだ。でも、留守電になっててさ、誰も出ないんだよ。もしかしたら買い物行ったんじゃないかとは思ってたんだけど、やっぱりそうだったんだな」


 内心、まだ正木が自分の手の届くところにいてくれたことに、若林はほっとしていた。

 だが、正木は急に深刻そうな顔になると、自分より少し高い若林の肩に右手を置いた。


「スマホ」

「え?」

「夕夜と美奈はスマホ持ってる」


 その一言で、若林は思い出した。


「忘れてた――」

「しっかりしろよー。そのためのスマホだろー?」


 情けなさそうな声を出して、正木がぽんぽん若林の肩を叩く。

 ――割れ鍋に綴じ蓋。

 そんな二人を見ながら、そんな慣用句を美奈は思い出した。

 たとえ告白できなくても、案外彼らはうまくいっている。いや、実はすぐにくっついてしまったら面白くないから、ずっと片思いごっこをして遊んでいるのではないか。なんて傍迷惑な〝両親〟。〝子供〟の苦労も知らないで。

 美奈がそんなことを思っていたとき、その携帯電話スマホが電子音を発した。あわてて自分の白いコートのポケットを探り、赤いケースつきの携帯電話を取り出す。

 正木は電子音がした時点で若林から離れ、脇から美奈の携帯電話を覗きこんでいた。画面を見て、冷たく若林に言い放つ。


「見ろ。夕夜のほうが頭がいいや」


 わけがわからず、若林も覗いてみると、そこには某中華風ファミリーレストランの店名と一緒に、『お昼にしませんか? 夕夜』というメッセージが表示されていた。

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