第3章 Mの困惑

1 若林宅(1)

 あたふたと若林が家を飛び出していった後。

 正木は一人で朝食を食べつづけた。

 一方、夕夜と美奈はその様を、さも珍しいもののように眺めていた。


「何だよ。俺が飯食ってんのが、そんなに珍しいか?」


 二人の視線がうるさくなって、正木はことさら嫌味っぽくそう言った。


「いや、あなたが食事しているのが珍しいわけじゃなくて……」


 夕夜は一瞬美奈と顔を合わせると、にこやかに答えた。


「あなたが今、この家で食事をしているのが珍しいだけです」

「しょうがねえだろ。俺んち焼けちまったんだからよ」


 無愛想に言って、正木はわざと音を立てて味噌汁をすすった。

 とにかく、早急に落ち着き先を決めなくては。今日はこれから不動産屋めぐりをしようと正木はひそかに思った。が、そう思ったのを狙いすましたかのように、満面の笑顔で美奈が訊ねてくる。


「でも、まーちゃん、しばらくはうちにいるんでしょ?」


 ――なぜ、それほど俺を慕う?

 いつものようにうるさがるのではなく、以前から漠然とだが感じていた困惑を強く覚えて、正木は美奈と夕夜を見やった。

 確かに彼らのプログラムを作ったのは正木である。だが、正木に絶対服従するようには作っていないし、育ててもいないはずだ。

 それなのに、どうしてこれほどまでに自分を、まるで子供が親を慕うように求めるのだろう。これでは本当にロボットではなくて、人間そのものを創造してしまったかのようではないか。正木が作りたかったのはあくまでもロボットであって人間ではない。

 正木は急に難しい顔になると、手に持っていた茶碗と箸とをテーブルに置いた。夕夜と美奈の顔を交互に見すえ、ひどく生真面目な声で訊ねる。


「おまえら、俺を何だと思ってるんだ?」

「は?」


 二人そろってぽかんとした顔になる。

 正木は少し苛立って、自分の前髪を乱暴に掻き上げた。


「つまりだな、おまえたちはもう俺なしで充分やっていけるのに、どうして今でもそうやって、俺にひっついていようとするんだ? 俺がおまえたちにしてやれることなんて、もう何もないんだぞ?」


 言いながら、正木は二人から視線をそらせた。

 どうも二人の顔を直視することができない。その理由を考えて、ただちに後ろめたさという答えを弾き出したとき、正木は自分で首をひねった。

 自分の言っていることはまさしく正論のはずだ。なのに、どうして夕夜たちに後ろめたさなど感じなければならないのだ。そうは思っても、やはりこの感情は後ろめたさとしか形容のしようがないのである。

 一方、夕夜と美奈は、いきなり正木にこんなことを言い出され、すぐには返答できなかった。彼らにとって正木を慕うことは、わざわざその理由を考察する必要もないほど自然なことであったからである。しかし、面と向かってそう言われてみると、改めてどうしてかなという気にならないわけでもない。

 美奈は手を組んで、えーとえーとと呟きながら、必死で何とか答えを絞り出そうとしている。夕夜はそれを尻目に、「たぶん……」と言った。


「僕たちは、あなたが僕たちを作ったということを抜きにしても、あなたが好きなんだと思います」


 ――……スキ?

 正木は機械的に頭の中で復唱した。何じゃそりゃ。畑の掘り起こしに使う――それはすき。思わず一人でボケとツッコミをやってしまった。


「だったらおまえら、俺なんかのどこがいいんだ?」


 ロボットに好悪の感情があるのか、などというのは愚問である。そんな低レベルのことを言う奴は、正木自身がぶっとばしてやるだろう。


「どこって……急にそんなことを言われても困りますが……」


 これには本当に夕夜も困った。具体例つきで一つ一つどこが好きなのかを説明することもできないではないが、そんなのはまだるっこしいし、第一、インパクトというものに欠ける。

 それにしても、いったいなぜ急にこんなことを正木は言い出したのだろう。もしかしたら、正木にとって自分たちはいつまでたっても彼にまとわりつづける厄介者にしかすぎないのだろうか。――そう考えると何だかすごく悲しくなってきてしまった。


「じゃあ、そうですね」


 こんなに慕っている自分たちを何かというと切り捨てようとする正木が逆に恨めしくなって、夕夜はわざとにこやかに微笑んだ。


「そう言うあなたはどうですか? 僕たちのことがお嫌いですか?」


 ――この野郎……!

 正木は歯噛みして夕夜を睨みつけた。

 夕夜は相変わらず悠然と微笑んでいるばかりである。


(この二人って、顔だけじゃなくて、案外中身も似てるのかも……)


 正木と夕夜の不毛としか言いようのない意地の張り合いを傍観しながら美奈は思った。


「やめましょう」


 唐突に夕夜は目を伏せた。


「この議論はいくらやっても無駄です。僕もあなたも自分の感情にとらわれていて、話はどこまでいっても平行線です。でも、一つだけあなたに言っておきたいことがあります。……よろしいですか?」

「ああ、もう、何でも好きなだけ言えよ。聞くだけは聞いてやるから」


 正木はすっかり根負けして、投げやりに片手をひらひらと振った。


「それは有り難いです。では、言わせていただきますが……」


 夕夜の切れ長の目が、正木を正面から捉えた。端整な顔から笑みが急速に失せていく。


(これが本当にロボットなのか?)


 今さらながら正木は驚嘆した。


 ――おまえの作った人格が、百パーセント満足できるような体を作ってやるよ。


 昔、あの鈍感男がプロポーズさながらに告げた言葉。

 その言葉に嘘はなかった。仕事の上だけは、あの男は嘘をつかなかった。

 美しく精巧な体。滑らかな動作に微妙な表情の動き。ロボットには不可能と言われていたことを夕夜と美奈は軽々とこなしてしまう。むろんソフトの出来の問題もある。だが、それも優秀なハードがあればこそだ。


 ――俺にはこれしか取り得がないからな。


 照れくさそうに笑って、いつかあの男は言った。


 ――俺がロボットを作るのは、結局自分がどこまでできるかっていう挑戦のような気がする。でも、俺には思想ってやつがないんだ。技術屋だからな。だから、おまえが何らかのコンセプトを作ってくれるなら、俺はそれに応えられるようなものを絶対に作る。


「もしも、あなたが僕を邪魔だと言うのなら……」


 じっと正木を見つめたまま夕夜は言った。


「どうか、あなたが僕をスクラップにしてください」


 正木は目を見張って夕夜を見た。美奈も同様である。

 夕夜はあくまで真剣な表情をしていた。


「スクラップって……おまえな、おまえたちは俺一人で作ったわけじゃないんだぞ? 俺の一存でそんなことできるか!」


 半ば怒って正木はテーブルを叩いた。

 彼にとって夕夜と美奈は、他ならぬ若林との共同製作であるという一点において価値を持っている。

 逆に言えば、若林の手が加わっているからこそ、正木は文句を言いつつも二人につきあってやっているのである。自覚はないが、正木は常に若林中心で物を考えている。


「なら、僕たちを邪魔にしないでください。――いいですね?」

「あ、ああ……」


 いつになく鋭い目つきで夕夜が睨むので、正木はひるんで、ついつい言われるままうなずいてしまった。

 それを確認すると、夕夜は露骨に表情をゆるませ、ついとテーブルから立ち上がった。


「じゃ、そういうことで。片付けは僕がしますので、あなたは座っていてください」


 夕夜はテーブルの上に並んでいた空き皿を手早く重ねると、キッチンへ運んでいった。


(いったい、どうしてあんな話になったんだ?)


 腕を組んで正木は首をかしげた。確か、美奈が何か言って、それに対して自分が何か言って……それからずぶずぶと泥沼にはまっていったような気がする。

 ふと横を見ると、美奈が誰にも言われていないのに、白い急須から青い湯飲みに緑茶を注いでいた。若林家の躾はなかなか厳しいと見える。


「おい、美奈」


 ぞんざいに正木は呼んだ。


「なあに?」


 正木の前に湯飲みを置きながら、美奈がおっとりと答える。


「おまえ、俺のこと好きか?」


 ガシャン。

 無言のまま、正木と美奈が振り返る。


「すみません。手がすべりました」


 冷静な声で夕夜は言い、シンクの底に落とした皿を泡だらけの手で拾い上げた。が、その内心は、いったい何を突然言い出すんだという焦りで満ちている。

 今ここに若林がいたら、きっと夕夜と同じ思いをしたことだろう。いや、そもそもそのセリフは美奈ではなく若林にこそ言うべきではないのか?


「うん。好きだけど?」


 それにまた美奈が屈託なく答える。


「んじゃあ、どこが好きだ?」


 せっかく入れてくれた茶を飲もうともせず、正木は頬杖をつきながら真顔で訊ねた。


「うーん、いろいろあるけど、でも、私はね」


 美奈はにっこり微笑んで、正木の頬杖をついている腕を両手で握った。


「まーちゃんが、私たちを、本当の人間みたいに扱ってくれるとこが好き」


 正木は顔から手を離して、美奈を見た。

 黙って二人の話を聞いていた夕夜も、一瞬だが水洗いの手を止めた。


「俺……おまえを人間扱いしてるか? しょっちゅうロボットだとか言ってないか?」


 正木は再び困惑した。

 彼には美奈のこの発言は思いもかけないものだった。彼自身はいつでも夕夜たちをロボット扱いしてきたつもりでいる。


「うん。でもまーちゃん、私たちに本気で怒ったり、謝ったりしてくれるでしょ? 私たちを個人として、ちゃんと認めてくれてるでしょ? 私たちがロボットだって、誰よりもよく知ってるはずなのに。だから、私はまーちゃんが好き」


 正木はまじまじと、この人工物の集合体である娘を見た。

 美奈はまったく媚びたところのない、素直な笑顔を浮かべている。

 その表情は人間の娘のものと何ら変わるところはなかった。


「まーちゃん?」


 自分をじっと見つめたまま何も言わない正木を不審に思ったのか、美奈は今度は不安そうな顔になって彼を覗きこんできた。


「どうしたの? また怒ったの? でも、私は嘘は言ってないよ。全部ほんとのことだよ?」

「ああ。わかってる」


 低くそう答えたものの、正木の真剣な表情は変わらない。


「じゃあ、美奈。おまえはロボットであることが嫌か? なれるものなら、人間になりたいか?」


 美奈は黒目がちの目を丸くしたが、すぐにまた笑顔になった。


「ううん。なりたくない」


 はっきり、きっぱり、美奈はそう答えたのである。今度は正木が目を丸くした。


「どうしてだ? 人間だったらおまえ、誰にだって人間として扱ってもらえるんだぞ?」

「でも、私が人間だったら、まーちゃん、私のこと、かまってくれないでしょ?」


 少しすねたように言った、この何気ない美奈の言葉に、正木はおろか、夕夜でさえも衝撃を受けた。


「おまえ、意外と面白いな」


 ぽつりと正木は言った。

 これは嫌味ではなく、起動してからまだ二月も経っていない美奈がこれほど鋭い洞察力を持っているとは、想像だにしていなかったのである。


「そう?」


 だが、美奈は正木の評を嫌味ととったようだ。少し不満そうに首をかしげた。


「ああ。面白い。おまえがそこまで考えられるなんて思いもしなかった。いっそ電脳取り出して、分析かけたいくらいだ」


 そう言う正木の目は全然笑っていない。


「何よー。バカにしてんのー。それにそんなことしたら、私、死んじゃうじゃない」


 正木のまんざら冗談でもなさそうな態度に、美奈はぞっとしたように声を張り上げた。


「いや、そこはそれ、うまくやるからさ。なー、どーだ?」


 儲け話を持ちかける詐欺師のように、正木はにやりと笑った。これは冗談だ。本気で言っていない。美奈にもそれがわかったのか、ほっとしたように表情を和らげた。


「やーよ。まーちゃん、時々失敗するんだもん」


 そんな二人のやりとりを、夕夜はずっとシンクの前で聞いていた。

 こういうとき、本当に美奈が羨ましいと思う。

 夕夜だって、美奈のように自然に正木と話したり、正木に甘えたりしてみたいのだ。しかし、どうしてもいつも最後には喧嘩腰になってしまう。

 正木も夕夜には厳しいのに、美奈にはかなり甘い。

 確かに美奈は生まれてからまだ二ヶ月も経っていないけれど。

 自分はもう五年も経っているけれど。


(何か、差別を感じるな)


 傍目には、まるで仲のよい兄妹のようにじゃれあっている二人を、夕夜は横目で見た。

 人の親がそうであるように、正木もやはり〝息子〟より〝娘〟のほうが可愛いのだろうか。


「そういや、若林、いたんだよな」


 ふっと夕夜が我に返ると、正木がそんなことを言っていた。


「急に何言ってんの。ついさっきまで、そこでご飯食べてたじゃない」


 美奈は不可解そうにそう答えたが、夕夜は正木のその一言で彼の言わんとしていることがわかってしまった。

 ばっと夕夜が顔を上げると、椅子の背に腕を乗せてこちらを見ている正木と目が合った。

 だが、その表情は夕夜が想像していたほど冷ややかなものではなかった。


「夕夜。騙したな」

「……申し訳ありません」


 苦しいながらも言い訳しようと思えばできたかもしれないが、これ以上嘘の上塗りをするのも辛くなってきたので、夕夜は素直に謝った。


「どうしても、あなたにここへ来てほしかったんです。それ以外に他意はありません。まさか、若林博士があんな状態になっているとは夢にも思いませんでした」

「知っててやってたら怒るぞ、こら」


 言葉とは裏腹に、正木は苦笑した。

 どうやら夕夜が危惧していた最悪の事態――夕夜たちともう二度と会ってくれないこと――だけは避けられそうだ。


「まあ、夕夜。とりあえず、そこ座れ」


 しかし、正木はすぐに無表情に戻り、向かいの席を顎で横柄に指した。

 この頃には美奈も正木が何のことを言っているのかわかったようで、はらはらした様子で正木と夕夜の動向を見守っていた。


「はい……」


 ――やはり、最悪の事態は避けられないかもしれない。

 夕夜は観念して、言われたとおりに席に着いた。

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