08 飛び入り

 正木はただでさえ目立つ男だ。人のほとんどいないロビーなら、難なく見つけ出せる。


「まーちゃん!」


 美奈は一声叫ぶと、小走りに駆け寄った。


「おう」


 正木は短く答えて片手を挙げた。彼の挨拶はいつもこんなものである。だが、美奈を一瞥すると、大きく苦笑いした。


「それ、変装のつもりか?」


 今日の美奈は長い黒髪をお下げにして、おまけに赤いフレームの眼鏡までかけていた。もちろん伊達眼鏡で、度は入っていない。


「うん。私はこの前ここに出てるから、常連の人にわからないようにだって」

「そうだな。好きな奴は毎回来てるだろうし」


 しかも、前回若林が参加したことによって、スリー・アールのコンテストの注目度は上がっている。今回は出品者リストに若林の名前はないから、若林目当ての人間は来ていないだろうが。


「じゃあ、俺も変装しとくか」


 正木はジーンズの尻ポケットに突っこんでいた赤い野球帽を取り出して被ると、上着のポケットからサングラスを取り出してかけた。それを見た美奈がぽつりと言う。


「何か、知らない人みたい」

「なら成功だ。ところで、おまえ一人か? あいつらは?」

「係の人に呼ばれて打ち合わせに行った。その間、まーちゃんと一緒にいろって言われたの」


 ――つまり、お守りか。

 内心、正木はぼやいたが、すべての発端は自分にあるので、口には出さなかった。


「まーちゃんは中に入らないの?」


 美奈が会場の扉の一つを指さす。そろそろコンテストは終盤を迎えているはずだ。


「俺はもともと、こんなのには興味ねえんだよ」


 前回は、美奈が出るから仕方なく来たのだ。

 今回も、夕夜が出るから仕方なく来たのだ。

 若林が出るからでは、断じてない。


「えー、じゃあ、ずっとここにいるのー?」


 とたんに美奈が不満そうに赤い唇を尖らせる。


「つまんないつまんないつまんなーい!」


 ――千代子よ。ほんとにこんなロボットが欲しいのか?

 美奈の人格プログラムを作ったのは正木だが、正直失敗したと思わないこともない。

 しかし、だからといって、美奈を処分しようとか作り直そうとか考えたこともない。ということは、自分は今の美奈を嫌ってはいないのだ。


(それに、俺一人で作ったわけじゃないし)


 たぶん、それが美奈を気に入っている(のだろう、やっぱり)正木の最大の要因だった。


   *


 スリー・アールは、日本で唯一ロボットコンテスト専用のホールを持つロボットメーカーである。

 もともとテーマパークなどに使われるロボットを製造していたというこの会社は、オモチャのロボットから高度な介護ロボットまで手広く扱っており、その品質も高いと好評を得ているが、この会社が月一、二回の頻度で開催しているロボットコンテストはイロモノ扱いをされていて、ロボット工学関係者からの評価は必ずしも高くない。

 ゆえに前回、そのスリー・アールのコンテストに、ロボット工学の最先端を行くK大教授の若林が参加したことは、ロボット工学関係者には鬼の霍乱としか思えない所業と映ったようだ。K大内部では、若林が己の才能をひけらかすために、スリー・アールのコンテストに参加したと見る向きもある。

 参加した真の理由を話せない以上、そう思われても仕方がない。せめて今後はもう二度とスリー・アールには関わるまいと誓っていたのに、またしても若林はこの場所に来てしまった。前回と同じく正木がらみで。

 もっとも、今回は逃げようと思えば逃げられたのだから自業自得だ。結果がどうあれ、夕夜たちからも教授会からも責められることは必至である。

 しかし、そうとわかっていても、若林にはあきらめることができなかった。今までまったく使われたことのない、夕夜の秘められた機能を確認できる機会を。相手が人間ではなく、夕夜と同じロボットであれば、何の手加減もなく戦うことができる。こんな好機はもう二度と訪れまい。

 きっと、若林のこういうところが、正木や夕夜たちの反感を買っているのだろう。若林にとっても、夕夜たちはロボットの範疇を超えた特別な存在なのだが、正木とは違い、彼らを実験動物のように冷徹に観察する目も持ち合わせている。まったく正木の手が入っていなかったのなら、若林は間違いなく、夕夜たちをそのように見なしていた。


「ごきげんよう」


 ミーティングルームで一週間ぶりに会った千代子は、一点の染みもない白いスーツを着ていた。トマトジュースでも引っかけてやったらさぞかし爽快だろう。ちなみに、彼女に投げつけられたあの白手袋は、夕夜が丁重に手洗いし、正木を通して返却済みである。

 そんな若林の横に立っていた夕夜は、千代子の服に墨汁で落書きしてやりたいと、ある意味、製作者よりも凶悪なことを考えていたが、部屋の中に千代子と担当者以外の人間がいないことに気づき、軽く首をかしげた。モエは今どこにいるのだろう?


「もしかして、モエを捜してる?」


 じっと夕夜を注視していた千代子がぼそりと言った。


「え、あ、はい」


 あわてて夕夜はうなずいた。別にこんなことで嘘をつく必要もないだろう。


「心配しなくても、ちゃんと控室にいるわよ。打ち合わせだけなら私一人で事足りるから」


 心配していたわけではないが、わざわざ反論するほどでもないと思った夕夜は、「そうですか」とおとなしく引き下がった。

 通例、スリー・アールのロボットコンテストの出品申込の締切は開催日の一ヶ月前である。それから出品者リストを作成し、ホームページで公開するのだ。

 観客のほとんどは、そのリストによってそのコンテストに行くか行かないかを決めている。当然、無名の製作者よりすでに実績のある製作者が多く出品しているときを選ぶ。

 そのため、人間型ロボットの第一人者と言っても過言ではない若林が参加した前回のチケット売り上げは、スリー・アールのコンテスト史上過去最高だった(と、スリー・アールのホームページにはあった)。今回も飛び入り参加ではなく通常参加であれば、スリー・アールは売上記録を更新できたはずだ。

 この飛び入り参加は、スリー・アールのコンテストの特色の一つである。飛び入りというからには、文字どおり、コンテスト当日に出品することなのだが、事前に申しこまれたものとは違って、コンテストの勝敗――観客の人気投票によって決まるのだが、これも専門家たちの間で不評を買っていた――の対象にはならない。ゆえに、飛び入り参加する者は、大きく二つのタイプに分けられる。

 一つは単純に申込が遅れて、それでも人前に出したいという者。しかし、スリー・アールでは毎月コンテストを開催しているから、実際このタイプは少ない。

 あと一つ。飛び入りの多くを占めるこのタイプは、ただ一言に集約される。

 タイマン。人前で特定の相手とケンカができる。

 飛び入りの申込は簡単である。コンテスト当日、出品者専用の出入口にある受付カウンターに行き、飛び入り参加したい旨を伝えて、自分の身分証明書を見せ、出品する自分のロボットの名前と、そしてこれが肝心だが、対戦する相手の名前を告げる。ただし、そのためには通常より割高の参加費を支払う必要がある。開催時間の都合上、できるだけ数を制限したいのだ。

 そのかいあってか、飛び入り参加する者は非常に少ない。年に数組あるかないかである。今回のコンテストでは、飛び入りは若林たちだけだった。


「えー、では、説明を始めさせていただきます」


 夕夜をしげしげと眺めていた若い男の担当者は、はっと我に返ると、手に持っていた資料をあわてて広げはじめた。


   *


 コンテストはいつものように滞りなく進行していた。

 しかし、最後の一組が終わったとき、眼鏡が最大の特徴である司会者は、妙に弾んだ声で、「実は」と切り出した。


「今回は、飛び入り参加が二組あります」


 とたんに起こる歓声。一組ではなく二組と言われた時点で常連ならわかる。今回はタイマン勝負なのだ。身内のケンカは憂鬱だが、他人のケンカなら娯楽になる。審査結果が出るまでのいい時間つぶしになるだろう。


「このお二方はそれぞれご高名なロボット工学者でありますが、わけあってロボットで勝敗を決したいということで、光栄にも当コンテストを会場としてお選びくださいました。しかし、この勝負のためには多少の準備が必要です。お客様方、恐れ入りますが、今から十五分ほどロビーでお待ちください。準備ができしだい、館内放送でお知らせいたします」


 普通なら不満の声の一つも上がるだろうが、スリー・アールのコンテストに来るような客は物わかりがよく、次々と会場を出ていった。

 結局、美奈に負けて扉の前で立ち見をしていた正木は、人の波が押し寄せる前に、いち早く美奈を連れてロビーへと逃れた。


「準備って……いったい何するつもりだ?」


 その勝負の方法が空手だと知っている正木は思わず独りごちたが、最後の客がロビーへと出て、扉が完全に閉まったと同時に、中から突貫工事のような大音響が響きはじめた。

 ロビーにたむろっている人々は、皆ぎょっとして扉の向こうを見つめている。


(なるほどな)


 確か、ホールの椅子は床に収納できるようになっていたはずだ。人海戦術で行けば、十五分以内に何とか準備を終えることもできるだろう。それにしても。


(何て無駄な金の遣い方だ)


 そんな金があったら社員に還元してやれと、他人事ながら正木は思わずにはいられなかった。

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