09 基本的に空手(1)

『ご来場の皆様に、ご連絡を申し上げます』


 物好きな三百人ほどの観客たちが、会場を追い出されてから約十五分後。

 ロボットか人間かはわからないが、女声のアナウンスがロビーに流れた。


『会場の準備が整いました。どうぞお近くの扉からご入場くださいませ』


 その声を合図に扉が中から開かれて、そろいの青いパーカーを着たスタッフが入場を促した。


「まーちゃーん、中入れるよー」


 退屈しきっていた美奈が、待ちかねたとばかりに正木の腕を引っ張った。


「ああ、わかったわかった」


 おざなりに答えた正木は、美奈に引かれるまま中へ入ったのだが、場内を一目見て、一瞬足が止まってしまった。


「これって……柔道? 空手?」


 正木たちの近くにいた男たちが、困惑顔で互いを見合わせている。彼らだけでなく、他の人間の反応も似たようなものだった。

 たった十五分ほど前までは、ここには据付型の椅子が整然と並んでいた。

 しかし、今やその椅子は影も形もなく、かわりに、広大なホールの中央には、空手の試合用の青いマットが敷かれていた。

 そこからかなり離れた場所には、緑色のシートが敷かれ、その上には折りたたみ式のパイプ椅子が何列も並べられている。


(ほんとにやりやがった……)


 想像はしていたものの、実際目にすると脱力する。


「皆様、大変長らくお待たせいたしました」


 いつもは壇上にいる司会者が、今日は観客と同じ高さに立っていた。呆然としている観客たちに頭を下げると、「どうぞ皆様、お好きな席にお座りください」とパイプ椅子の列を指した。


「今回の勝負は、観客の皆様にも危険が及ぶ恐れがありますので、少し遠目に座席を設置させていただきました。近くでごらんになりたい方は立ち見でもかまいませんが、命の保証はいたしかねます。どうぞご了承ください」

「いったい何が始まるんだ?」

「ここって、ロボコン会場だよな? 格闘技会場じゃないよな?」


 疑問を口にしながらも、ある人々はパイプ椅子に座り、ある人々は青マットの周りに立って次の展開を待った。

 正木たちは迷わず後者を選んだ。身内のことはより近くで見守りたいものだ。

 身内ではないが、近くで見たい人々のほうが多かったのだろう。最終的にパイプ椅子派は少数派になった。


「それでは、これより飛び入りのご説明をさせていただきます」


 観客が自分の居場所を定めたところで会場内の明かりが落ち、青マットの前に立つ司会者にスポットライトが当てられた。


「先ほど申し上げましたとおり、今回の飛び入り参加は二組です。勝負の方法は、空手ということでしたので、このように場内を模様替えさせていただきました。飛び入りでなければ、専用の会場を借りることもできたのですが」


 実は借りようとしたのだが、それだけはやめてくれと正木が言ったためこうなったことを、正木と千代子だけが知っていた。

 いくらスリー・アールといえども、コンテスト当日に申しこまれて、これだけの準備ができるわけがない。誰が飛び入り参加するかを知って、目の色を変えてF1のピット並みの練習を重ねてきたのだろう。仕事が完璧すぎる。


「あまり時間もございません。さっそく参加者のご紹介をいたしましょう。――呉千代子さん、どうぞ!」


 司会者が左手を差し伸べた、と、その先にある扉にスポットライトが当たり、スタッフによって厳かに開かれた。

 正木たちには自明のことだったが、そこに純白のスーツを着た女と、黒いマントにすっぽりと身を包んだ少女が立っているとは、観客たちは予想だにしていなかったのだろう。会場内は一瞬静まり返ってから、大きな歓声で満たされた。

 女っ気の少ないロボコン会場において、女性の存在はそれだけで貴重である。それも美人であればなおさらだ。たとえ中身に問題があろうとも。

 スポットライトを浴びた千代子は、緊張した様子もなく悠然と微笑むと、スタッフに先導されて司会者のそばに向かった。その少し後を粛々とモエが歩く。

 司会者はあっけにとられたように千代子たちを見つめていたが、自らの職務を思い出し、あわててマイクを持ち上げた。


「初めまして。ようこそおいでくださいました。――えー、呉さんはアメリカでロボットの研究開発をされていて、つい先日、帰国されたそうです。今回の対戦者とは同じ大学のご出身ですが、いろいろ因縁があるそうで、今回弊社のコンテストに飛び入り参加されました。――呉さん、そちらの方が、今回戦われるロボット、モエさんですね?」


 予測済みのこととはいえ、改めて司会者にそう言われると、やはり信じられない思いに駆られるらしい。場内に低いどよめきが起こった。


「ええ。格闘に特化していますので、会話は簡単なものしかできませんけど。――モエ。ご挨拶して」


 モエはぎごちなく司会者のほうを向くと、わずかに頭を下げた。


「コンニチハ。モエデス」


 黙って立っている分には人間のように見えるモエだが、声を発すると、やはりロボットだということがはっきりとわかる。前回、美奈を見た人々の中には、ひそかに彼女とこのモエとを比較している者もいたかもしれない。


「こんにちは。今日はよろしくお願いしますね」


 だが、司会者は美奈と対したときと同じ態度でにこやかにそう答えると、モエから目を離して観客たちに向き直った。


「では、このモエさんと戦われる、もう一方をご紹介いたしましょう」


 明らかに、司会者は興奮していた。彼はモエの対戦相手であるロボットもその製作者もすでに知っている。しかし、そのロボットのほうは四年前に一度しか公開されたことがなく、しかも、限られた少数の人間しかその顔を知らないのだ。


「まさか、ここでもう一度、この名前をお呼びする日が来るとは思いもしませんでした。――若林修人さん、どうぞ!」


 スポットライトは、今度は千代子たちとは反対側の扉を照らし出した。スタッフは充分ためを作ってから、うやうやしく扉を開けた。

 あらゆる取材を拒みつづけた正木とは違い、若林のほうはそれなりに顔を知られている。ここにいるような人間なら、知っていて当然だろう。だが、扉の向こうに立っていたのは、長身で有名な若林教授ではなく、黒いスーツ姿の美青年だった。

 何かの間違いではないかと観客の大部分が思ったとき、その青年は自分の横にいる誰かを引きずって、スタッフよりも先に司会者の元へ歩いていった。製作者が同じだと、行動パターンも同じになるらしい。

 司会者は誰がここへ来るのかは知っていた。しかし、実物が自分の横に立ち、困ったように笑って首をかしげるまで、一言も発することができなかった。


「あの……」


 控えめにそう囁かれたところで、司会者はやっと我に返った。


「あ、すいません! ようこそいらっしゃいました!」


 なぜか司会者は体育会系の勢いで、青年に向かって頭を下げた。青年はにこやかに微笑んだまま、自分の後ろに隠れるように立っている若林――身長の関係上、隠れられるはずもなかったが――を、司会者のほうへと突き出す。


「どうも。またお世話になります」


 勝負はしたかったが、人前で挨拶はしたくなかった若林は、観念したように会釈した。


「いえ、こちらこそ、教授にまたご参加いただけるなんて、光栄の極みです! 先日の美奈ちゃんは本当に素晴らしかった! 今日は美奈ちゃんは来ていないんですか?」


 美奈の名前が出ただけで、また歓声が湧き起こる。その騒ぎの中で、美奈は得意げに「来てまーす」と叫んで右手を挙げかけたが、正木は力ずくで美奈の手と口を押さえつけ、これ以上余計な言動ができないようにした。


「来てないです」


 そんな正木が見えていたわけではあるまいが、若林は引きつった笑顔で答えた。


「そうですか。それは残念ですね」


 決して口だけではない様子で司会者はそう言うと、若林の横に立っている青年に目を戻した。ここにいるのがどうしても信じられないような顔つきである。


「ですが、今回は……すいません、その、本当に、なんですか?」


 司会者にあるまじき曖昧すぎる質問だったが、青年は彼の言わんとしたことを正確に理解したらしく、黒子ほくろ一つない美しい顔に、苦笑に近い複雑な笑みを浮かべた。


「はい。確かに僕が、この若林に(このとき、そこはかとなく冷たい口調になった)作られたロボットで、そちらのモエさんの対戦相手です」


 ――ロボット! これが?


 一転して、場内は静寂に包まれた。

 観客の誰一人として――もちろん、正木と美奈は別として――この青年がロボットだとは、夢にも思わなかったのだ。

 言われてみれば、千代子がモエを連れて登場した以上、若林と一緒に現れるのは、彼の作ったロボットであってしかるべきなのだが。

 それほどに、この青年型ロボットには、モエのような〝ロボットらしさ〟というものが皆無だった。前回、この会場で紹介された美奈も、人間の娘としか思えない見事な出来だったが、彼――どうしてもそう呼びたくなる――は人間として見ても〝完璧〟だった。

 若林が関わったロボットといえば、K大主導で作られた〝桜〟がやはりいちばん世に知られている。〝東洋の奇跡〟と評されたこの女性型ロボットは、現在は原因不明の機能停止状態に陥っているが、それまで様々なメディアで公開されており、少しでもロボットに興味がある者なら、誰でもその日本人形のような容姿を知っている。

 だが、若林の名を不動のものにしたのは、彼が個人で作り上げた一体のロボットだ。

 高名なロボット工学者に〝破滅的に美しい〟とまで言わしめた、人間型ロボットの最高傑作。


 ――まさか……あれが、あの……


 ここにいるような人間なら、その名前だけは知っている。

 振り仮名がなければ、とても読めないような名前。


「初めまして。夕夜と申します」


 美しい青年の姿をしたロボットは、軽く胸に手を当てて、優雅に一礼をした。


「教授……本当に、よろしいんですか?」


 司会者が心配そうに念を押す。

 若林が個人所有物という理由で夕夜を非公開にしているのは有名な話だ(実際は平気で外を歩かせているのだが)。一応、このスリー・アールのロボコンは、場内撮影厳禁、違反者は以後永久に出入り禁止ということになってはいるが、しょせんイロモノである。夕夜ほどのロボットならば、もっと格調高くて華々しい舞台がいくらでもあるはずだ。

 若林は溜め息をついてから、淡々と答えた。


「はい。……そのために来ましたから」


 あの正木に逆らってまで。


「いえ、私どもとしては、本当に有り難いんですが……お二人の因縁って、いったい何なんですか?」


 若林と千代子は黙って顔を見合わせたが、千代子のほうがすぐに目をそらせた。


「それを説明し出すと、朝までかかるわよ?」

「え、それは困ります。明日も仕事がありますから」

「じゃあ、さっさと始めてちょうだい。私は夕夜を倒しにここに来たの。思い出話をするためじゃないわ」


 きっぱりと断言されて、司会者は恐縮したように頭を下げる。


「はい、おっしゃるとおりです。申し訳ありませんでした。それでは、スタンバイお願いします」


 事前に打ち合わせてあったのか、二組はそれぞれ青マットの左右に分かれた。その間に場内は明るくされ、審判らしき人間が数人、新たに中へと入ってくる。


「えー、今回は耐久性の問題もありますので、試合時間は二分間ということにさせていただきました。武器の使用は禁止ですが、攻撃箇所の制限は一切ありません。制限時間内に勝負がつかなかった場合のみ、こちらの審判の皆様に判定していただきます。対戦者がマットの外へ出た場合、不測の事態が起こった場合等を除いて、どちらかが戦闘不能になるか、ギブアップするまで、試合が中断されることはありません……」


 司会者の説明が滔々と続く中、若林と何事か話している夕夜を見ながら、正木はぼそりと呟いた。


「しかし、何で今日もスーツなんだ?」


 決して大きな声ではなかったはずだが、美奈がすかさず答える。


「何か知んないけど、ポリシーなんだって」

「ポリシー?」

「うん。ポリシー」


 しばらく二人は黙っていたが。


「あいつも意外と変だよな」

「変だよね」

「みんな騙されてるよな」

「うん。騙されてる」

「ま、だから〝最高傑作〟か」


 正木は軽く肩をそびやかすと、若林たちのいるほうへ向かって歩き出した。あわてて美奈もついていく。

 観客は一定の距離以上は対戦者たちに近づけないよう、スタッフによって制限されていたが、夕夜のほうがいち早く気づき、自ら正木に近づいた。


「おまえのポリシーは尊重するが、靴と靴下は脱いでやれ」


 夕夜が口を開く前に、呆れたように正木が小声で言った。夕夜は苦笑いしたが、素直に靴と靴下を脱いで裸足になる。

 若林も夕夜の視線の先を見て、そこに正木たちが来ていることを知ったようだったが、正木に夕夜を説得させたことが気まずかったのか、ここは他人のふりをしておいたほうがいいと思ったのか、夕夜の後を追ってはこなかった。


「博士。約束ですよ」


 上着を脱ぎながら、夕夜は誰にも聞こえないように正木に耳打ちした。


「僕が誰かを傷つける前に……必ず」

「わかってる。俺だっておまえを前科者にしたくない」


 夕夜はにっこり笑うと、上着と靴を両手に提げ、若林のところへ戻りかけたが。


「美奈。負けたらごめん」


 不安そうな顔をしている美奈に、そう言い残して背中を向けた。

 美奈は眼鏡がずれるくらい激しく首を左右に振ったが、それは夕夜には見ることはできなかった。


「それでは、お二方。準備はよろしいですか?」


 司会者の声を合図に、夕夜とモエは審判の待つ青マットの中央へと進み出た。が、夕夜は上着は脱いだもののスーツのままで、モエはモエで、いまだ黒いマントを羽織ったままだった。

 服装だけを見るなら、双方共に、これから(基本的に)空手の試合をするようにはとても思えない。と、千代子がモエに近づいて、彼女のマントをふわりと外した。

 格闘用に作られたという彼女は、いったいどんな体をしているのか。

 男性が大部分を占める観客たちは、期待をこめて見守った。


「そう来たか」


 野太い歓声と拍手を聞きながら、正木は思わずぬるく笑った。

 今日のモエが着ていたのは、ハイネックの白いレオタードだった。

 もしもモエが人間だったなら、まるで人形のようだと賞賛されていたことだろう。長い手足は異常に細く、腰は理想的にくびれている。だが、人工皮膚を使っていない手足は、安価な義手や義足のように見えた。

 夕夜には手にも足にも綺麗な色と形をした爪があったが、モエには足はもちろん、手にすら爪はなかった。純粋に戦うロボットを作りたかったなら、爪はなくてもいいだろう。しかし、それなら最初から少女の姿にする必要もなかったのではないか。

 人間は、人間のような人形を欲する一方で、その人形に人間にはできないことを求める。


 ――人間の欲望から生まれた、矛盾に満ちた人工生物。


 ロボットとは、そういうものなのかもしれなかった。

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