01 若林宅(1)

 若林修人は、実はそれほど鈍感な男ではない。自分の作ったロボットたちの行動パターンも、それなりにわかっている。

 だから、彼らがこそこそとリビングを出ていったときも、自分に隠れて電話をかけるつもりだなとすぐにわかった。

 そして、彼らがそうして電話をかけるところといえば、たった一つしかない。そもそも、そこ以外に彼らにかけるような場所はなかっただろう。

 別に怒りはしないのに、と若林は思っている。ただ、相手の迷惑にならなければいいがと心配しているだけだ。

 ゆえに、このときもさして気にも留めずにソファで新聞を読みつづけていたのだが、それからいくらも経たないうちに、彼らがリビングへと戻ってきた。


「どうした?」


 えらく早いな、とは言わなかったが、彼らがじっと自分を見ているのに気がついて、若林は顔を上げた。


「ちょっとお訊きしたいんですが……」


 控えめにそう切り出してきたのは、彼らのうちの一人、否、一体、〝夕夜〟だった。

 〝人間型ロボットの最高傑作〟と評される彼は、作った若林の目から見ても、非常に美しい青年型ロボットである。しかも、専門家に人間ではないのかと疑われたほど精巧だ。彼がロボットであることを、時々若林も忘れてしまう。若林にとってその顔は、とても懐かしいものでもあったので。


「訊きたいこと? 何だ?」

「実は……」


 と何事か夕夜は言おうとしたが。


「〝チヨコ〟よ!」


 夕夜を押しのけるようにして、もう一体のロボット、〝美奈〟が叫んだ。

 こちらは女性型のロボットである。艶やかな黒髪と雪のような白い肌を持つ、やはりとても美しいロボットであるが、若林は彼女よりも夕夜のほうが美しいと思っている。

 もちろん、それ以上に美しいと思っているのは、夕夜の顔のモデルとなった人物だったりするのだが、これは恥ずかしいので一度も口に出したことはない。だが、そのことは夕夜も美奈もよくわかっているのである。そのことは当然若林は知らない。


「チヨコ?」


 いきなり女名前が飛び出してきたので、若林は眉をひそめた。あわてて夕夜が美奈を肘で小突く。


「美奈、いくら何でも、それじゃ博士にはわからないよ。最初から順に話さなくちゃ」

「順も何も、話すことなんてないじゃない。訊きたいことはそれだけなんだから。ねえ、若ちゃん、〝チヨコ〟って知ってる? 今からまーちゃん、その人に会いにいくんだって。もしかしてその人って、まーちゃんの恋人だったりするの? それとも、若ちゃんも知らない人なの? だったら問題だあ」

「美奈、美奈」


 言葉とは裏腹に、実に楽しそうににやにや笑う美奈を、夕夜が呆れて諌める。

 つい最近起動したばかりの彼女は、ちょいとばかり性格が破綻している。それだけ人間くさいと言えなくもないのだが、若林のことを〝若ちゃん〟などと呼べるのは、世界でただ一人、彼女だけだろう。さらに、〝まーちゃん〟とは――


「正木が?」


 やっぱり、と思ったのはしかし一瞬だった。若林はすぐさま記憶の中から〝チヨコ〟という名を検索した。美奈ではないが、これは確かに問題である。女名前であるというところが特に。


「チヨコ、チヨコ……ああ、そういえば」

「思い出したっ?」


 ずいと美奈が顔を突き出してくる。


「ああ、確か大学の同期で、くれ千代子ちよこさんっていう人がいたよ。正木とはずいぶん仲がよくて、大学時代はいつも一緒にいたな。正木の話だと、今アメリカにいるってことだったが……じゃあ、こっちに戻ってくるのかな。たぶん、その千代子さんで間違いないと思うよ」


 そして、それなら安心だ。若林はほっとして新聞に目を戻した。


「まーちゃんにそんな人いたの?」


 信じられないとでも言いたげに美奈が叫ぶ。


「僕も知りませんでした」


 同様に夕夜。だが、彼は若林の耳元で怒鳴ったりはしない。


「ねえ、じゃあ、まーちゃんの恋人じゃないの? まーちゃんと仲よかったんでしょ?」

「うーん……正木は親友だって言ってたけどなあ……」


 実は、若林も疑ったことがある。若林以外の人間は、疑う以前にそのように二人を見なしていたが――若林はあずかり知らないことだが、それはあくまで千代子がK大に在籍していた大学時代限定で、現在は若林が正木の恋人だと見なされている――第三者に確かめる術はない。

 そもそも、恋人同士であるないというのは本人たちが決めるもので、その片割れが親友だと言っているのだ。若林としてはそれを信じるより他はない。


「ふうん、まーちゃんにもそんな人いたのね」


 ひどく感心したように美奈が言う。正木が聞いたら、さぞかし憤慨することだろう。


「だったら、私たちに紹介してくれてもいいのに。ねえ、夕夜?」

「それはまずいと思うよ。一応、僕たちは若林博士のロボットだし」


 夕夜が苦笑まじりに答える。〝一応〟というのは、美奈のプログラム製作者は〝まーちゃん〟こと正木凱博士であり、実は夕夜も、若林と正木が共同で作ったロボットだからだ。

 ただし、夕夜のほうは、世間的には若林一人によって作られたことになっている。それが正木が共同製作を承諾するにあたって出してきた条件だった。


「でも、見てみたかったな。……あ、そうだ。若ちゃんはその人のこと知ってるんでしょ? ねえ、どんな人? まーちゃんより美人?」

「美人って、おまえ……」


 そんなことあるわけがないと言いそうになったが、さすがにそれはまずいと思い直した。一応は男性である正木を、〝美人〟と表現するのも適切ではないような気がする。


「そうだなあ……確か、二階に大学のアルバムがあったと思ったが……」

「ああ、それなら僕の部屋にあります。取ってきますよ」


 そう言って、夕夜がリビングを出ていこうとしたとき。


「ところで、おまえたち」


 わざと新聞を見たまま若林は言った。


「もう俺に、正木と会ってることを隠さなくてもいいのか?」


   *


 若林家に気まずい沈黙が流れていたとき、〝まーちゃん〟は近年になく上機嫌だった。

 久方ぶりに、〝千代子〟に会える。

 彼女が別の大学の院に行ってしまって以来、時々電話やメールでやりとりはしていたが、直接会う回数は激減してしまった。

 正木は学生時代と同じように千代子とつきあいたかったのに、千代子のほうが何かと理由をつけて正木の誘いを断るのである。ことに千代子がアメリカへ渡ってしまってからは、一度も会えていなかった。

 それが突然、昨日になって、明日日本に帰国するとメールを寄こしてきた。

 もちろん正木は驚いたが、それ以上に嬉しかった。たとえ直接会えなくなっても、やはり千代子こそが正木のたった一人の〝親友〟であり、自分の心の内を気がねなくさらけだせる、たった一人の相手だった。

 そんなわけで、正木は夕夜と美奈を容赦なく振った後、七年ぶりに帰国する親友を出迎えに、いそいそと空港に向かったのだった。

 車は持っていないので、電車を利用した。しかし、そのせいで、思い出したようににやにやする顔を乗客に見られ、不気味がられることになった。中にはあんなに綺麗なのにと、哀れんでいる様子の者までいた。

 正木の場合、黙って普通に座っているだけでも目立つ。身長は一八三センチメートル。顔は小さく、手足は長い。色素の薄いさらりとした髪を背中まで伸ばし、無造作に一つに結んでいる。おまけに、その顔が美女と見まがうほどに整っているのだ。指名手配でもされた日には、すぐに捕まってしまうだろう。

 ゆえに、正木は必要に応じて周囲の視線に無関心になれる技に長けていた。そんなものをいちいち気にしていたら、とても神経が持たない。だが、このときは嬉しさのあまり、最初から他人のことは眼中になかった。自分が周囲を不気味がらせていることになど、まったく気づいてもいなかったのである。

 結局、正木は千代子が乗っている便の到着予定時刻より三十分も早く空港に着いた。時間にルーズな正木としては驚くべきことである。

 それだけ、正木は千代子との再会を楽しみにしていた。話したいことも聞きたいことも山ほどあった。

 しかし、何をするにしても、千代子に会わないことには始まらない。まずは昼飯だなと考えながら、正木は人で混み合うロビーをぶらついていた。

 繰り返すが、正木は何もしていなくても目立つ。ジーンズのポケットに両手を突っこみ、所在なく歩いているだけで、周囲の視線を引きつける。だが、到着予定時刻を三十分以上過ぎても、正木に声をかける女性は現れなかった。


(到着が遅れてるのか?)


 そうも思ったが、そのようなアナウンスはなかったし、念のため空港の係員に確認してみても、予定どおりに到着しているとのことだった。


(遅らせたか、早めたかしたのかな)


 正木は首をかしげながら、普段は電源を切りっぱなしにしている携帯電話で千代子のそれにかけてみた。しかし。


『お客様のおかけになった電話番号は、現在電波の届かない場所にあるか……』

「……千代子ー……」


 携帯電話を切って、正木はぼやいた。


「いったい今どこにいるんだよー……」


 ――変なことに巻きこまれでもしていなければいいが。

 正木はそればかりを心配していた。

 だから。

 千代子が正木に嘘をついてすでに違う便で帰国しており、彼もよく知っているある場所に向かってタクシーを走らせている真っ最中だとは、まったく夢にも思わなかったのである。


   *


 一方。

 緊迫した空気の漂う若林家では、夕夜がどうやってこの場をごまかそうかと悩んでいた。


(今さら、しらっばっくれるわけにもいかないし……)


 ならば、もう開き直るしかない。


(別に、僕らは悪いことをしてるわけじゃないし)


 何しろ、夕夜と美奈の人格プログラムを作ったのは正木なのだ。〝子供〟がもう一人の〝親〟を慕って会いにいって何が悪い?


「ええ。今日限りで隠すのはやめます」

「夕夜!」


 美奈があせった声を上げる。


「これからは、あなたにも断って、堂々と会いにいきます」


 若林は初めて新聞から顔を上げた。意外なことにその端整な顔は怒ってはいなかった。


「何で今までそうしなかったんだ?」

「は?」


 夕夜は拍子抜けして若林を見つめた。


「俺はおまえたちに、正木に会うなとは言ってなかったと思うが」

「そんな……」


 ことはないと夕夜は反論しようとしたが、確かによくよく考えてみれば、若林は〝会うな〟とは今まで一言も言っていなかった。

 夕夜が正木に会って帰ってきたときも、〝正木に会ったな〟と言うだけだったし。その後、〝もう正木に会いにいくな〟とも言わなかったし。


(ということは……)


 こっちが勝手に変な気を回しすぎていただけ……?

 夕夜は強い脱力感に襲われた。


「ずっと不思議に思ってたんだ」


 そんな夕夜を眺めながら、しみじみと若林は言う。


「正木なら、会いたくないなら今日みたいにはっきり断るだろうし、何で俺に隠すのかなと」


 ――それならそうと、もっと早くにそう言って!

 夕夜も美奈も共にそう思った、そのときだった。

 インターホンが鳴って、彼らに来客の存在を告げた。


「お客さんだ」


 美奈が呟いて、インターホンのモニタを見にいく。

 画面には、鍔広の黒い帽子を目深に被った女が映っていた。はっきり言って、今までにない種類の客だ。


『こんにちは』


 門の前で女は言った。少しハスキーな声。若林と同じくらいの年代か。


「こんにちは」


 こちらの姿は見えないのに、美奈がぴょこんと頭を下げる。彼女はまだ客というものに慣れていないのだ。若林と夕夜は苦笑したが、微笑ましくも感じて、黙ってそれを見守っていた。が。


『あなた、〝美奈〟ちゃん?』

「え?」


 いきなり名前を呼ばれて、美奈は戸惑った。美奈の記憶にこの女の声はない。


『期待どおり可愛い声ねー。おっと失礼。私、くれというものですけど、若林修人さんはご在宅かしら?』

「え? クレ?」


 どこかで聞いた覚えのある名前である。それもつい最近。

 うさんくさい勧誘や営業のときには居留守を使うので、今回もそうしたらいいのかどうか判断しかねて、美奈は夕夜に助けを求める視線を投げた。


「代わるよ」


 口早に夕夜は言い、美奈と交替した。


「代わりました。おりますが、どういったご用件でしょうか?」

『……その声は、〝夕夜〟ね?』


 しかし、〝呉〟は夕夜の質問には答えず、探るようにそう言った。


『確かに正木によく似てるわね……中途半端に知ってる人間だったら間違えるわ……』

「失礼ですが」


 夕夜は意を決して遮った。


「あなたは、呉千代子さんですね?」

『あら、知ってたの?』


 私ってけっこう有名? とカラカラ笑う。

 ――何となく、不快。


『ま、いいわ。若林がいるんなら、ちょっと会わせてくれないかしら? 彼に用があるのよ。大事な用が』

「確か、今日はこれから正木博士とお会いする予定だとお伺いしましたが?」


 おい、代わるぞと脇で無言で訴えている若林を無視して、夕夜は言葉を紡ぐ。


『あら、やあね。正木ったら、そんなことまであんたたちに話してるの?』


 また笑い。

 ――ますます不快。


『正木には今日中に会うわ。とにかく、今は若林に会わせて頂戴。……大丈夫よ。そんなに警戒しなくても。今は何もしないわ。今はね』

「夕夜、代われ」


 ついに若林が手を伸ばして、夕夜をインターホンから引き離した。


「もしもし。……お久しぶりです」

『ついに真打ち登場? ――お久しぶり。呉よ。確か、大学の卒業式以来かしら?』

「たぶん。今、門を開けますよ。待っててください」


 若林はインターホンを切ると、足早に部屋を出ていった。


「何でうちに来るの?」


 呆然とその後ろ姿を見送った後、美奈は不安そうに夕夜を見上げた。


「僕にもわからないよ」


 夕夜は肩をすくませた。

 ただ一つ、でわかったことは。

 あの女は、〝敵〟だ。

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