ジェイド国物語
矢車草
第1話 遠目に見つめるだけの人
かつて世界はその形を大きく変えてしまうほどの戦争を起こした。
半世紀の間、血で血を洗う凄惨な争いの中で、身寄りを亡くし世に溢れた子供たちの多くを引き取ったのは、《ブルーアゲイト》と称する傭兵組織だった。
見込みある能力を持つ子供たちを養い、将来の同胞とするべく彼らは子供たちの家を作った。
やがて成長した子供たちは、長く続く戦争を終わらせる国家連合軍の手足として存分な働きをし、西大陸の端に存在する群島をブルーアゲイトの所領として獲得した。これが現在の《ジェイド国》である。
表立っての傭兵稼業は影を潜めているが、国営の学園は現在も能力者を発掘する役目を担い、常に有能な人材を国防組織へと送り出していた。
さわやかな風が吹き、木々の青葉が擦れ合う音を聞きながら、少女たちは学園の中庭でランチタイムを楽しんでいた。
「そう。それでね、小麦袋をマイナ先生にぶちまけちゃった所を特権クラスの子たちに見られちゃったのよ」
「あららー。それは見事に笑われたでしょうね」
「あの人たち、一般生の事絶対蔑んでるよ」
悔しがって肉巻き野菜ロールをかみ切る少女は次の瞬間、深いため息をついた。
「・・・最悪なのは、特別生がいたってこと」
この言葉に、少女の正面にいたチマ=ルイジュは敏感に反応した。
「特別生!誰、誰?」
興味深々と輝く大きな双眸のチマを、隣りにいる大人しそうな少女が制する。
「チマ、お弁当膝から落ちる」
「わわわ、危ない」
慌ててずり落ちそうなお弁当箱を持ち直す。
「なあに、チマ。特別生にお気に入りでもいんの?」
「クッキもあんたも無謀ねえ」
「・・・目の保養にするだけだからいいでしょ、別に」
ぶう、と膨れる彼女にチマは焦れて再度聞く。
「それでクッキ。誰がいたの?」
学舎違いの特権クラス―――それも学院で優秀な存在だけが許される深い蒼の制服を着る特別生はあまり彼女たちの目に触れることはない。
「レキ=クラウとルカディア=イエメイと、アスファ=フォーク・・・」
「!ルカディアって、ルカくん?うわーうわああ、いいなあ!」
クッキの言葉が終わらぬうちにチマは歓声を上げた。隣りにいた少女が再びチマを注意する。
「チ、チマ。落ち着いて」
「だって、滅多に見らんないんだよ!ミノリ」
「う、ん。それは分かってるけど」
別グループの少女たちが振り返るようにしてこちらを見るのを気にして忠告するが、チマの興奮は収まらない。
「その辺の舞台俳優なんか目じゃないもんねえ」
名の上がった男子二人は能力値も高くて、学力も高い特別生でありながら、容姿にも恵まれている。
「よりによって、あの人たちに見られるなんて・・・」
クッキはさらに沈み込んだ。
「で、でも、笑ってはいなかったんじゃない?」
取り成すようにミノリが言えば、彼女は宙に視線をやり頷いた。
「そう、かも。特別生は、あんまり反応してなかった、かな・・・」
「でしょ。大丈夫だよ、クッキ。あの人―――たち、はそんなことで優越感持たないと思うよ?」
更にそう諭すミノリにチマは首を傾けた。
「ミノリ、何だかよく知ってるみたい」
「え?そんなこと、ないよ。ただ、ずば抜けた人ってそんなに人の失敗を面白おかしくは思わないんじゃないかなーって。どこか達観してそうじゃない?」
ふうん?、と呟くチマの正面ではクッキがうなだれる。
「でも・・・フォーク君は、無表情で凝視してたし・・・」
「たまにしか見ないけど、彼のあれは基本定型じゃないか?」
「そうかなー」
友人たちのそんな声を聞きながらチマは以前に偶然見かけたルカディア=イエメイの姿を思い浮かべた。
昨年の冬の終わりで、彼は踝丈の黒いコートを制服の上に着ていた。
吹き付ける北風の寒さの中でもそのすらりとした体躯は姿勢よく学園の回路をすすんでいく。やや癖のある白金の髪を風に躍らせながら、時折すれ違う女生徒の憧憬の眼差しをものともせずに、清廉な横顔は進む前方しか捉えていないのが分かった。
彼にとって自分も、眼中にない景色の一部でしかないのだと当時と同じように感じ、チマは少しだけ寂しく思う。
彼を初めて見たのは四年前―――チマがまだ十三の頃だ。
訳あって極東の島国から、このジェイド国へと編入して来たばかりのチマは、誤って特権クラスの学舎へ迷い込んでしまったのだ。
右も左も訳が分からず歩いていると、武術修練所で見たこともない綺麗な顔の子がいた。
顔だけなら少女でも通用しそうだったが、槍術の修練中乱れた衣装の合間に見えたのは、なだらかな胸板で、その子が少年なのだと気付いた。
状況も忘れて見惚れるチマは、指導官によって外へつまみ出されたのだけれど。
浮かんだ汗が激しい動きで宙に散り、その子自身が光を放っているかのように輝いて見えた。
綺麗だった。あんなに綺麗な男の子、初めて見た。
名前も知らない少年が、特別生候補でルカディア=イエメイというのだと知ったのは、その数か月後にたまたま見かけた彼を居合わせた教師に指さしながら尋ねたからだ。
彼はチマと同じ年だったが、特別生候補はすでに中等部入学から高等部にある特権クラスに入ることに決まっていて、当然滅多に見かけることはない。だから、少しでも近くに居られる高等部入学が待ちきれないくらい待ち遠しかった。
それ故か、妙に想像力が鍛えられてしまい・・・チマは、ほんの少しばかり違った方向に進んでいた。
(ああ・・やっぱり、ルカくんには無垢な白がいい・・・。周囲には真っ赤な薔薇。むせ返るような芳香の中、あたしはひとつ、またひとつシャツの釦を外して)
乱れたシャツの間からすべらかな肌がのぞく様を思い浮かべ、チマはふふふっと怪しい笑みを浮かべ、それをミノリが訝しんで見やる。彼女はチマの空想、元いい妄想癖を知っている。
「チマ・・・顔、崩れてる」
「!」
ほっぺたを叩いて、正気に戻るチマ。
すでにランチタイムは終わり、日直だというミノリと共に皆より先に教室へ向かう通路を歩いていた。
「あは。また夢想しちゃったみたい」
「内容は聞かないけど、ちょっと緩み過ぎだったから」
面目ないと頭をかくチマを見つめ、ミノリは少し迷うように逡巡した後、一つ息を吸い込んだ。
「チマ」
「なに?」
チマより十センチは背の高いミノリは、その大人しそうなと表現される優しい面立ちに何か決意した色を見せた。
「あなたに話しておきたいことがあるの」
「改まってどうしたの」
中等部からの友人であるミノリは東国人同士ということもあってか、他の少女よりも仲が良かった。互いに知らないことの方が少ないのではないかというほど親しい彼女の様子にチマは首を傾けた。
「わたしね、付き合ってる人がいるの」
「そうなの?へえー・・・」
笑顔でしばし固まったチマは驚愕の表情で親友を見上げ、立ち止まった。
「えええ!?」
大声に近くの教室の窓が開く。
「チ、チマ」
慌てて彼女の口を塞ぐミノリは、足早に曲がり角を回った。
「ど、どういうこと?」
解放されるや否やチマは聞き返さずにはいられなかった。
何故ならミノリは恋愛に興味を示す素振りもなかったし、増してそれらしき男子と歩く姿などチマは見たことがない。
「そんなに前からじゃないの。ほんの、五日前くらいからで」
「それで!?」
両の手を組み、落ち着きなさそうに語るミノリにチマは鬼気迫る表情で促す。
「誰なの、お相手は!」
ミノリは、口を開きかけて閉じ、言いづらそうにしていたが、顔を上げた。
「えっと信じないかも、だけど、本当のことなのよ?」
「分かってる。ミノリはこんなこと嘘で言う子じゃないもん」
「チマ―――」
ほっと表情を緩めるミノリをチマが促すと、彼女はやっと口にした。
「レキ=クラウ・・・さっき話に出てたレキ君と付き合ってる」
ルカディアと同じ特別生である彼の名前に再びチマは大声を上げそうになり、今度は自分の手で押さえた。それでも大きく見開いた双眸でミノリを見上げ、驚きを伝える。
「びっくりだよね、うん。わたしもびっくりした。だって、あの人がまさか特別生だなんて知らなかったんだもの」
微苦笑を浮かべるミノリに、チマは押さえた声で尋ねる。
「・・・どうやって知り合ったの?」
チマの様に憧れの対象がいるわけでもない彼女は、めったに出会うことのない彼らとの接点など何処にあるのかと疑問に思うのだ。
「商業区のマーケットでね、わたし、強盗にあったの」
聞き覚えのない話に身を固くするチマ。
「ごめん、心配かけたくなくて。でも、本当に被害はなかったの。偶然通りかかったレキ君に助けられたから」
買い物袋を抱えた状態でナイフを突きつけられたミノリは恐怖に竦んだけれど、固く目を閉じた次の瞬間、背中に感じていた鋭い切っ先は消え、足元に男が転がり落ちるのを見た。振り返ると、背の高い青年が安心させるように笑んだのだという。
「お礼をするって言ったんだけどね。構わないって、歩いて行っちゃうの。お婆ちゃんから恩を受けっぱなしは駄目って教えられてるし、そのままで済ませられないから後を追って何とか連絡先と名前を聞こうとしたんだけど、彼、学園行きの乗合い馬車に乗ったから、同じ学生だって気付いたの」
ミノリは学園前に降り立つと、是非何か恩返しをさせてほしいと頼んだ。彼は困ったようだったが、ミノリの持つ紙袋を見ると、その中にあった紅蜜果という果物を一つ所望したという。
「危ないところを助けられたのに、果物一つでいいなんて、何だか申し訳ない気がしたんだけど」
「それで?その後どうしたの?」
思わぬ友人のロマンスに期待で双眸をキラキラさせてチマは話をせがむ。
「わたしお菓子作りのクラブに入ってるでしょ?」
「うん」
不器用なチマと違い、彼女のお菓子作りの腕は本格的だ。
「窓を少し開けて換気をしてたら、窓の外に彼が居たの。何か、運動の後ですごくお腹すいてたみたいで」
焼き菓子の香ばしい匂いにつられてきたらしい。聞けば、時々クラブの他の少女からおすそ分けを貰ったこともあるとのことで、ミノリに気付いた彼は、照れながらもお菓子をくれないかと言う。
以前のお礼も兼ねてお菓子を差し出すと、その場で食べたレキは、大きく目を見開き、これからも分けてくれないかと申し出た。
時折、お菓子の材料になりそうな差し入れを持参するレキを餌付けしているような奇妙な気分を持ちながらいたある日、レキから交際を申し込まれたのだ。
「初めはね、付き合うなんて考えられなかったんだけど、わたしの作るお菓子をあんなに嬉しそうに食べてくれる男の人なんてあの人だけで。普段、打ち解けて話せる男子なんていないけど、レキ君とはすんなり話せて、楽しいなって」
特権クラスだとしっていたが、制服の色が他の生徒と違うことに首を傾げていたという。まさか特別生だとは思っていなかったらしい。
「そっかー。だから、さっき知ってるっぽかったんだね」
こくんと頷くミノリの頬がほんのり赤い。
「皆には悪いけど、チマにだけは本当の事話しておきたくて」
熱狂的なファンが、彼らにはいる。もし、特定の存在が出来たのだと知れたらミノリの立場は悪くなる。
「絶対誰にも言わないし、あたしがミノリを守ってあげる!」
「チマ!」
むん、と両手を握りしめるチマをミノリは抱きしめた。
紅蜜果のような甘い香りのするミノリの髪越し、チマは羨ましく感じていた。
彼女のような出会いが自身に起こりえないことを自覚していたからだ。
(あたしは、時々でも姿が見られれば、いい。そうすれば、いつでも想像できるもん)
誰にも興味を覚えないような清廉さを持つルカディアを独占出来る。
妄想って、素晴らしい・・・!
もちろん、それはチマの強がりではあったのだけれど。
―――奇跡は、起きるのである。
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