第三章 2 大晦日の打ち上げ花火

 翌日、さっそく地下通路を使って密かにギエモンさんの工房へと向かった。


「……そうか、やっぱり戦争は避けられそうになかとですね。こうなったらとことん龍馬さんに協力しましょう」

「そういってもらえると実に心強いが、蟻右衛門ギエモンさんのお立場が危うくなりませんか?」

「おいの願いはまず世のためになることです。損得やこの身の安全は二の次でよか。あなた方父娘は、内務卿のお屋敷で重大な情報ばつかんでこられた。そのお役に立てたのはこの上なく嬉しいし、お話の内容を聞いた今では願いは確信に変わりました。おいも傍観しとるわけにはまいりません」

「そのお言葉は千万の味方を得た思いじゃ!」

 リョウマは感激の面持ちでいった。


「なあに、おいにできることをして差し上げるだけのことです。こればお読みくだされ」

 ギエモンさんは半紙をとじたノートを広げてリョウマに渡した。

「これは……!」

 リョウマの細い眼がたちまちまん丸に見開かれた。

「政府の通信文ではないですか! ど、どうしてこんなものを?」


「おいが上亰ジョウキョウすることになったとは、もとはといえば政府に電信技術の開発と管理、指導を委託されたからなのです。電信がちゃんと機能しとるかどうか、つねに監視するのも仕事のうちですけんね。これくらい朝飯前ですよ。政府が玖州キュウシュウ方面や軍の関係でかわした最近の通信をまとめときました」

「なるほど。じゃが、そんなことをして捕まりはしませんか?」

「今おいば捕まえてしまっては、日ノ本ひのもとじゅうに張りめぐらされつつある電信網が、たちまち機能せんくなる。それに、当の政府だって、不穏分子の動きを見張る目的で個人の通信ば傍受しとるとです」


「なんですと!」

「おい自身がそれを依頼されたとですから、まちがいなか。もちろん、そやんか非道な行為はきっぱり断りましたがな。おいが技術ば教授した生徒の中には、警察や軍から明らかにそれにそなえるために派遣されたとわかる者が何人もおりました。こいくらいのイタズラは、お互いさまですわい」

 眼をキラキラ輝かせながら穏やかな口調で語る小柄なギエモンさんが、おいらにはとてつもない巨人に見えた。


「おいが協力できそうなことが、実はもう一つあるとです」

 ギエモンさんは声をひそめ、秘密めかしていった。

「ほう、それは何です?」

 リョウマも興味深そうに身を乗り出した。


「龍馬さんは、いったん玖州で火急の事態が起こったら、ただちに駆けつけるおつもりでしょう。ですが、船ば使っても最低六日か七日はかかります。港に上陸してからの移動も大変や。しかも、龍馬さんがそうやって動きだしたとなれば、警察や軍が黙っとるはずがなか」

「そのとおりです。わしらに手出しせんのはここいらでブラブラしちょる間だけじゃ。たとえ今のうちに行動を起こしたとしても、東亰とうきょうの外へは出してくれんじゃろうな。わしは完全にカゴの中の鳥なんじゃ」


「まさにね。ばってん、そのカゴには、実際にフタがあるわけではありませんな。鳥なら楽々と飛び出すことができますよ」

「〝鳥〟って、どういう意味じゃ?」

 おいらは首をかしげて問いかけた。


「前々からおいが考えとったものです。こうなってはいよいよこの方法を使うしかなかようです。まだ原案にすぎませんが、こいば見てください――」

 ギエモンさんは、筒のように巻いてあった大きな図面を机の上に広げた。


「これは……」

「す、すごい!」

 リョウマとおいらは同時に声を上げていた。


   ※     ※     ※


 そうやってあらゆるものが変化したが、おいらの生活も変わった。


 原因は簡単なことだ。リョウマがおいらを置いて、代わりにヒジカタと連れ立って外出することが増えたからだ。

 出かけるのはたいがい夜で、おいらが眼を覚ます頃には隣の布団でいびきをかいて寝ていた。

 昼過ぎまで起きてこないこともしょっちゅうだった。


 その間、おいらは剣術の稽古をぼんやり眺めたり、サナコさんの買い出しにつき合ったり、ワガハイのイグランド語の質問にてきとうに答えてやったりしている。

 変わったというよりとり残されている感じだ。

 まったく退屈このうえない。


 たまにはリョウマの誘いで二人して出かけることもある。

 だが、それは監視の眼をごまかすための行動で、特別な用事があるわけではない。

 そんなときも、リョウマはミラナで買ったマントのそでにみっともない格好で手を突っこみ、上の空で何かぼんやり考えごとをしている。

 どういう気まぐれからか、深編笠ってものをかぶって顔をスッポリ隠すようになった。

 ますます怪しげな人間にしか見えない。


「何を考えているんだ?」

「……ん? いや、天下の大秘事じゃ。おまえは知らんほうがいい」

 きまってそういう答えが返ってくるばかりなのだ。

 おいらはますますおいてけぼりをくっている気分になった。


 そのうち、突然ワガハイまでいなくなってしまった。

 まったく不愉快なやつだが、いなければ退屈しのぎにからかってやることもできない。

 ギエモンさんの手伝いだというし、例の図面の機械がどうなっているかも知りたかったので、おいらはヒジカタに頼んで田仲タナカ製作所セイサクジョへ連れていってもらった。


「ああ、あの機械なら、ここで作っても動かせませんからな。東亰トウキョウから少し離れた秘密の場所で、いろいろ実験ばかさねながら制作中です。……さあ、いったいどれくらいできとりますかなあ。キンちゃんも、そこに行っとるんですよ」

 ギエモンさんの返事もそんな風で、なんとも要領をえなかった。


 そんな日々を送っているうちに、とうとう大晦日になった。

 千波チバ道場でも総出で大掃除に取りかかった。

 日常生活では万事ズボラなリョウマだが、その日ばかりは大はりきりで、まるで磨き上げるように隅から隅までていねいに雑巾がけした。


「ようし、今夜は特別じゃ。全員で初詣に行くぞ!」

 大掃除の後に年越しそばというもので腹を満たすと、リョウマがみんなにむかって大声で宣言した。

「〝はつもうで〟ってどんなところじゃ?」

「そうか、おまえは初詣も知らんのじゃな。場所のことじゃない。新年の幸運を祈願しに、神社仏閣にお参りに行くんじゃ」


 おいらは、通りに出てみて驚いた。

 東亰じゅうから湧き出したかのように、無数の人間であふれている。

 ふだんならとっくに寝ているはずの子どもや年寄りまでが、家族に手を引かれたり背負われたりして行列に加わっていた。

 街灯のない通りでも、人々がかざす提灯でどんなお祭りの夜よりも明るくてにぎやかだった。


「これだけの人波じゃ、わしらが堂々と歩いちょっても警察にはわかるまい」

 リョウマはのんびりとした声でいった。

「だけど、どこへ向かってるんだ? 東亰にはあちこちにでかい神社やお寺があるぞ。行列もてんでんばらばらの方向に向かってる」


 一年の厄払いをするという〝除夜の鐘〟が、方々の寺から聞こえていた。

 千波道場の子どもたちは、人波に流されないようにサナコさんやヒジカタの後ろにぴったりくっついている。

 おいらもリョウマの手を握ってけんめいに足を運んだ。


緋川ヒカワ神社っちゅうところが赤阪アカサカにあるんじゃ」

 ようやくリョウマとヒジカタがこの群衆にまぎれてカイシュウ先生に会いに行くつもりだということがわかった。

 ヒジカタはすこし手前でスッと姿を消したが、リョウマはおいらと門から堂々と入った。

 サナコさんは万事承知しているらしく、子どもたちを連れてそのまま神社へ向かった。


「おお、やっと来たか!」

 書斎にはカイシュウ先生が、例のごとく書物の山の間に座っていた。

 だけど、どういうことなのだろう。

 風邪でもひいたのか、ドテラを重ね着した上にさらに羽織りを着け、えらく着ぶくれている。

 首にはえり巻き、モモヒキの上からは旅用の脚絆、ぶ厚い革の手袋もしていた。


「準備万端なのはわかりますが、ちょっとばかし大げさですなあ」

 リョウマがあきれた声でいった。

「よけいなお世話だ。おれは、寒いのだけは大の苦手なんだ。何の因果で、こんな真冬にあんなところへ行くはめになっちまったのか……」

「カイシュウ先生も〝はつもうで〟に行くのか?」

 おいらは不思議に思ってたずねた。


「ウーム、初詣くらいならがまんもするがなあ……そうか、では、言子ちゃんにはまだ話してないんだな、リョウマ」

「はあ、まあ……」

「何の話じゃ?」

「実はなあ、言子ちゃん。リョウマとおれは、これから北海堂ホッカイドウへ行くんだ」

 カイシュウ先生の口から、驚くべき言葉が飛び出した。


「北海堂だって! だけど、もうすぐ正反対の玖州キュウシュウで戦争が始まるんだろ?」

 リョウマをふり返って尋ねると、しぶしぶうなずいた。

「もちろん、わかっちょる。だが、その前にどうしても北海堂のほうでやっておかにゃならんことがある。急で驚いただろうが、わしが東亰を出るには、この大晦日の喧騒と闇にまぎれこむしかない。おまえは、さな子さんたちといっしょに待っちょってくれ」


「おいらは行っちゃいけないのか?」

「おまえが東亰にいるっちゅうことが、河路カワジたちの眼をくらます何より効果的な方法なんじゃ。おまえがじゃまなわけじゃない。それも大事な役目じゃぞ」

 リョウマはおいらの頭に手を置き、静かな声でさとすようにいった。

 肩に乗ったボコイが、首を伸ばしておいらのほっぺたをペロペロなめた。

 それでやっと、自分の眼から涙がこぼれていることがわかった。


 カイシュウ先生はリョウマに荷物を持たせると、玄関ではなく縁側に出て、脚絆の上からさらに革の編上げ靴をはいた。

「ご家族には挨拶せんのですか?」

「とっくにすませてあるさ。いい歳こいて、涙で見送られるなんてのはかなわんからな」

 カイシュウ先生はさっぱりした声でいい、すっくと立ち上がった。

 おいらにはよくわからないが、並々ならぬ決意が感じられた。


 リョウマがカイシュウ先生と北海堂へ行くということは、ショウザン先生を訪ねるのが目的なのにちがいなかった。

 こういう緊張した時節だから、ショウザン先生の最新兵器がいよいよ必要になったのだろうと、だいたいの想像はつく。


 だけど、アインの村にはミサトさんがいる。

 もしかしたら、カイシュウ先生はこんどこそ本気でミサトさんを連れ帰るつもりなのかもしれない。

 そうでなかったら、なぜカイシュウ先生までいっしょに行かなければならないのか、その理由がわからない。

 もしミサトさんが説得されるとしたら、それはリョウマに……おいらの頭の中で、さまざまな想像がぐるぐる渦を巻いた。


 カイシュウ先生が向かったのは、庭の隅にある井戸の中だった。

肘方ヒジカタが、水の涸れた古井戸を利用してつくったんだよ。刺客に踏みこまれたときの用心のためだったが、こんなことで初めて使うことになろうとはな」

 抜け穴は、隣の旧大名屋敷の放置されたまま荒れ果てた庭の一角まで、かなり長くつづいていた。


 庭石の陰に隠された出口をはい出すと、それを待っていたように植え込みの間からヒジカタが人力車を引いて姿を現した。

 すると突然、リョウマとヒジカタが着物を脱ぎだしたので、おいらはびっくりした。

 二人はそれを交換し、すばやく身に着けた。

 両方とも体格的にはたいして変わらない。

 ザルのような形の車夫の編笠とリョウマの深編笠も取り替えると、ほとんど見分けがつかなくなった。

 つまり、リョウマはヒジカタに化け、カイシュウ先生の護衛のふりをして北海堂へ渡るつもりなのだ。


 リョウマとヒジカタは、お互いの格好を見てどちらからともなく笑った。

「なんだか、立場がまるで逆転したようですね」

「向かう方向まで逆じゃ。わしはまた北へもどる」

 カイシュウ先生が、横からやけくそのようにいった。

「ふん。おれにとっては初めての北海堂だがな。しかも、こんな真冬に。……そうだ、言子ちゃん。出発の景気づけに、きれいなやつを一発打ち上げてくれんか」

「いいのか? 警官がワッと駆けつけてきても知らんぞ」

 おいらがたずねると、リョウマが笑っていった。

「かまわん、かまわん。わしが人力車を引っぱって力いっぱい突っ走ればいいんじゃ」


 ボコイは、庭のむこうに広がる江渡エド城の外堀の水面にむかって、虹のようにさまざまな色が混じったきれいな火を噴いた。

 遠くの道を行き交う人々から上がる大歓声と拍手が、ときならぬ潮騒のように聞こえてきた。

 ボコイが打ち上げた火炎の中で、まちがいなくこれがいちばん多くの人の眼に焼きつけられたものとなったことだろう。


「後は頼むぞ!」

 リョウマが怒鳴り、庭のはずれにむかってカイシュウ先生を乗せた人力車を走らせた。

「承知――」

 ヒジカタは短く答え、おいらを抱き上げると、反対側にむかって駆けだした。

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