第六章 Big Firework Over the Sumida 澄田川大花火
第六章 1 ワガハイがヒマなとき?
ワガハイが変わったのは、ひまなときにリョウマとおいらのブラブラ歩きにつき合うようになったことだ。
いかにもワガハイらしいのは、
やっぱり、あいつは変人だとしか思えない。
とくに、古い由緒ある町名が安直に新しい地名に変更されていたり、大ざっぱにまとめられて消えてしまったとわかると、ワガハイは口汚くののしって怒り狂ったものだ。
まあ、ここはこういういわくの場所だからこういう名前になっているとか、なかなか興味深い話も聞けるから、ワガハイの案内は役に立ったし、おもしろくもあったが。
で、ワガハイが〝ひまだ〟というのがどういう意味かということだ。
ワガハイは、剣術の稽古をするわけでも、サナコさんの手伝いをするわけでもない。
ときどきふらりと出かけることもあるが、働いているようにはまったく見えない。
いくら親が金を出しているからといって、それではほかの子どもたちにしめしがつかないのじゃないかと思って、サナコさんに聞いてみた。
「ああ、あの子はね、ときどきカラクリ
「カラクリ……ギエモン?」
その奇妙な名前に、おいらは不思議な興味をかきたてられた。
「そういう通称なの。
サナコさんの話では、学校をさぼって街歩きをしていたワガハイが、東亰でいちばん風景の変わった
ワガハイの境遇を知って同情したギエモンが、親切にも親と交渉し、千波道場にワガハイの身柄をしばらくあずけることで話をまとめてくれたのだ。
「おまえが手伝いに行ってる〝カラクリギエモン〟って、どんな人なんだい? 何を発明したんだ?」
ワガハイが散歩に同行したとき、おいらはとうとうがまんできなくなってたずねた。
「ああ、蟻右衛門さんのことかあ……」
ワガハイのことだから得々として話しはじめるかと思ったら、意外にも浮かない顔をして口ごもってしまった。
リョウマがその話を引き取った。
「それは、
「なんで創意や工夫を禁じたりしたんだ? 生活をもっと便利にするとか、多くの人に役立つようにと新しいものを考え出すのは、当然のことじゃないか」
「それでは支配がしにくいと考えたんじゃ。どこかの藩が画期的な産業を興して豊かになったりすれば、幕府をおびやかす力を持ちかねん。藩は藩で、米を納めさせる税で成り立っていたから、農民が別の産業に流れてしまってはこまる。そうやって産業や職業を固定化しておくためにも、新奇なものは支配者から忌み嫌われたわけじゃ。この職業の者はこういう道具を使ってこういうものを作ること、親の土地や仕事は代々子に受け継がせていくこと、人が好き勝手によその土地に移動することもまかりならん――こういう形で三〇〇年の幕府の支配がつづいてきたわけじゃ」
「なんて息苦しい世の中だったんじゃ!」
「その前の戦国の世にくらべたら、多少の不便や不自由さを我慢しさえすれば、安楽で安定した生活が送れた。多くの民衆にとっては、そのほうがまだましだったんじゃな。こうして、
そうか――
リョウマが機関車や蒸気船なんていう新しいものがやたらに好きなのは、その有用性を評価しているのはもちろんだが、日ノ本の停滞した精神や保守的なものの考え方を圧倒するような迫力を感じるからなのだ。
「実は……」
ワガハイがようやく口を開いてモゴモゴといった。
「蟻右衛門さんには、放火事件の翌日、すぐにおまえたちのことを話してしまったんだ。さな子さんには、けっしてだれにもいっちゃいけないと、かたくいましめられていた。だけど、
「なあんじゃ。おんしは、それを気にしとるのか」
「だけど、蟻右衛門さんは、わが輩が話したとたん、『そんな非科学的なことはありえん。わしの前で二度とそんなホラ話をするな』とえらい剣幕だった。だから、
「では、ほんとうに火を吹くとわかって、もういちどその話をしたのか?」
ワガハイは下を向いて力なく頭を振った。
「蟻右衛門さんはきっと、自分の眼で見ないかぎり信じちゃくれないよ」
「ふーむ。カラクリ蟻右衛門といえば、
リョウマがあっさりそんなことをいい出したので、びっくりした。
「ちょっと待てよ。おいらたちの正体を知られてもいいのか?」
ボコイのことが話題になれば、どこでどうやってそんな奇妙な動物を見つけたかと聞かれるにきまっている。
当然、おいらたち自身のことも話さなかったら、とうてい信じてもらえるわけがない。
「正体を明かすかどうかは、蟻右衛門どのに会ってみてからじゃ。それより、いろいろおもしろいものが見られるじゃろう。楽しみにしちょれ」
「そうか、会ってくれるのか。わが輩は、てっきり断られるものだとばかり思って……」
ワガハイは心底ホッとした表情になった。
ワガハイとすれば、ギエモンさんの信用を失い、おいらたちにも拒否されたら、立つ瀬がなかったにちがいない。
おまけに、おいらたちがそのことをサナコさんにいえば、彼女からもこっぴどくしかられることになったことだろう。
そういう、あっちにもこっちにも気をつかわなければならない状況というのが、おいらには、いかにもワガハイの複雑で微妙な境遇を象徴しているように思えた。
イグランド語の歌を聴いただけで涙をあふれさせたのは、その苦悩にわずかでも裂け目が入った瞬間だったのだろうか?
すくなくとも、ギエモンさんのところに向かうことに決まってからのワガハイの足取りは、ずっと軽やかになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます