第六章 Big Firework Over the Sumida 澄田川大花火

第六章 1 ワガハイがヒマなとき?

 ワガハイが変わったのは、ひまなときにリョウマとおいらのブラブラ歩きにつき合うようになったことだ。


 千波チバ道場に来る前は、学校に行くふりをして家を出ると、東亰トウキョウじゅうをあてもなく歩きまわっていたという。

 いかにもワガハイらしいのは、江渡エド時代の古地図を手にして、どこどこ藩の下屋敷が現在の高級官僚のだれそれの本邸になっているとか、道や坂がどうつけ変えられたり広げられたりしたかとかを調べていくのが、なにより楽しかったのだという。

 やっぱり、あいつは変人だとしか思えない。


 とくに、古い由緒ある町名が安直に新しい地名に変更されていたり、大ざっぱにまとめられて消えてしまったとわかると、ワガハイは口汚くののしって怒り狂ったものだ。


 まあ、ここはこういういわくの場所だからこういう名前になっているとか、なかなか興味深い話も聞けるから、ワガハイの案内は役に立ったし、おもしろくもあったが。


 で、ワガハイが〝ひまだ〟というのがどういう意味かということだ。


 ワガハイは、剣術の稽古をするわけでも、サナコさんの手伝いをするわけでもない。

 ときどきふらりと出かけることもあるが、働いているようにはまったく見えない。

 いくら親が金を出しているからといって、それではほかの子どもたちにしめしがつかないのじゃないかと思って、サナコさんに聞いてみた。


「ああ、あの子はね、ときどきカラクリ蟻右衛門ギエモンのお手伝いに行っているのよ」

「カラクリ……ギエモン?」


 その奇妙な名前に、おいらは不思議な興味をかきたてられた。


「そういう通称なの。日ノ本ヒノモト一の発明王よ。実は、キンちゃんをうちに紹介してくれたのが、その蟻右衛門さんだったのよ」


 サナコさんの話では、学校をさぼって街歩きをしていたワガハイが、東亰でいちばん風景の変わった金座キンザに来てカラクリギエモンの店を見つけ、しばしば夜になっても「帰りたくない」と駄々をこねるほどに入りびたるようになったのだという。

 ワガハイの境遇を知って同情したギエモンが、親切にも親と交渉し、千波道場にワガハイの身柄をしばらくあずけることで話をまとめてくれたのだ。


「おまえが手伝いに行ってる〝カラクリギエモン〟って、どんな人なんだい? 何を発明したんだ?」

 ワガハイが散歩に同行したとき、おいらはとうとうがまんできなくなってたずねた。

「ああ、蟻右衛門さんのことかあ……」


 ワガハイのことだから得々として話しはじめるかと思ったら、意外にも浮かない顔をして口ごもってしまった。


 リョウマがその話を引き取った。

「それは、田仲タナカ久重ヒサシゲどののことじゃろう。その人の名は方々で耳にしたな。天下の大発明家だっちゅう話じゃ。そもそも日ノ本が科学や技術の発達の面で欧米に大きく遅れをとってしもうたのは、鎖国で情報が制限されたことと、もうひとつは、德河トクガワ幕府が創意工夫というものをいっさい禁じたからなんじゃ。欧米の先進技術を見せつけられ、いやおうなくそれを取り入れていかなければならなくなって、ようやくカラクリ蟻右衛門のような人が評価されるようになったんじゃろうな」

「なんで創意や工夫を禁じたりしたんだ? 生活をもっと便利にするとか、多くの人に役立つようにと新しいものを考え出すのは、当然のことじゃないか」

「それでは支配がしにくいと考えたんじゃ。どこかの藩が画期的な産業を興して豊かになったりすれば、幕府をおびやかす力を持ちかねん。藩は藩で、米を納めさせる税で成り立っていたから、農民が別の産業に流れてしまってはこまる。そうやって産業や職業を固定化しておくためにも、新奇なものは支配者から忌み嫌われたわけじゃ。この職業の者はこういう道具を使ってこういうものを作ること、親の土地や仕事は代々子に受け継がせていくこと、人が好き勝手によその土地に移動することもまかりならん――こういう形で三〇〇年の幕府の支配がつづいてきたわけじゃ」

「なんて息苦しい世の中だったんじゃ!」

「その前の戦国の世にくらべたら、多少の不便や不自由さを我慢しさえすれば、安楽で安定した生活が送れた。多くの民衆にとっては、そのほうがまだましだったんじゃな。こうして、日ノ本ヒノモト人はおとなしい家畜のように飼いならされてしもうた。新奇な技術や画期的な製品は生まれず、技術者は洗練された伝統技法を磨くことと過度な装飾にばかり心をくだくようになった。そういう歴史が生み出したのが、欧米が感嘆するみごとな工芸品や芸術の数々だったというわけなんじゃ」


 そうか――

 リョウマが機関車や蒸気船なんていう新しいものがやたらに好きなのは、その有用性を評価しているのはもちろんだが、日ノ本の停滞した精神や保守的なものの考え方を圧倒するような迫力を感じるからなのだ。


「実は……」

 ワガハイがようやく口を開いてモゴモゴといった。

「蟻右衛門さんには、放火事件の翌日、すぐにおまえたちのことを話してしまったんだ。さな子さんには、けっしてだれにもいっちゃいけないと、かたくいましめられていた。だけど、六儀園リクギエンでボコイが火を吹いたのを見てしまったら、そのとんでもない現象に興味を示してくれそうな人に、どうしても話を聞いてもらいたくなったんだ」

「なあんじゃ。おんしは、それを気にしとるのか」

「だけど、蟻右衛門さんは、わが輩が話したとたん、『そんな非科学的なことはありえん。わしの前で二度とそんなホラ話をするな』とえらい剣幕だった。だから、坂元サカモト龍馬リョウマが生きていたなんてことも、頭から信じてくれなかった。それで、わが輩は自分の手でボコイに火を吹かせてみるしかないと思ったんだ」

「では、ほんとうに火を吹くとわかって、もういちどその話をしたのか?」


 ワガハイは下を向いて力なく頭を振った。

「蟻右衛門さんはきっと、自分の眼で見ないかぎり信じちゃくれないよ」

「ふーむ。カラクリ蟻右衛門といえば、佐九間サクマ象山ショウザン先生と並ぶ天才じゃ。そういうお人が天下の金座に堂々と店を開ける時代になったか。わしもぜひ会ってみたいのう。キンちゃんの知り合いとなれば、かえって好都合じゃ。これからでもさっそく会いに行こう」

 リョウマがあっさりそんなことをいい出したので、びっくりした。


「ちょっと待てよ。おいらたちの正体を知られてもいいのか?」


 ボコイのことが話題になれば、どこでどうやってそんな奇妙な動物を見つけたかと聞かれるにきまっている。

 当然、おいらたち自身のことも話さなかったら、とうてい信じてもらえるわけがない。


「正体を明かすかどうかは、蟻右衛門どのに会ってみてからじゃ。それより、いろいろおもしろいものが見られるじゃろう。楽しみにしちょれ」

「そうか、会ってくれるのか。わが輩は、てっきり断られるものだとばかり思って……」

 ワガハイは心底ホッとした表情になった。


 ワガハイとすれば、ギエモンさんの信用を失い、おいらたちにも拒否されたら、立つ瀬がなかったにちがいない。

 おまけに、おいらたちがそのことをサナコさんにいえば、彼女からもこっぴどくしかられることになったことだろう。


 そういう、あっちにもこっちにも気をつかわなければならない状況というのが、おいらには、いかにもワガハイの複雑で微妙な境遇を象徴しているように思えた。


 イグランド語の歌を聴いただけで涙をあふれさせたのは、その苦悩にわずかでも裂け目が入った瞬間だったのだろうか?

 すくなくとも、ギエモンさんのところに向かうことに決まってからのワガハイの足取りは、ずっと軽やかになっていた。

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