決断1
(珍しい――というより、初めてだな)
掴まれた手をまじまじと見つめながらそう思った。
いつもなら寂しくなるくらいにあっさりと「また明日、おやすみなさい」と告げるだけの別れ際に、そばにいたいと惜しんでくれるなんて。
(でも――)
舞い上がりそうな気持ちを押さえつけて時計を見、わずかに悩む。
父が緊急会議の召集をかけた時間まで、余裕はまったくなかった。
けれど、いつもならサラはこんなふうに縋るように私の腕を掴んだりしない。どんなに手に余っていても差し伸べられた手を取ることすら躊躇するほど自立心が強くて、なんでも一人で抱え込もうとばかりしてきた。そんな彼女が呼び止めたのだから、どんな用事だろうと放り出して帰るなんてできなかった。
「緊急会議があるから10分くらいしかないけど、それでもよければ」
「ありがとう」
全力疾走でもギリギリ間に合うかどうかという時間を提示すると、サラは申し訳なさそうなまま安心した表情を滲ませてそっと寄り添った。
「……忙しいのにわがまま言ってごめんなさい」
「これくらいのことがサラの力になるのなら、いつでも言って欲しいくらいだよ」
消え入りそうな小声で謝罪するサラが愛おしくて髪を撫で、軽口で答える。
「あらま、坊ちゃん。いらっしゃい! 急いでお茶をお持ちしますからゆっくりしてってくださいねぇ」
威勢のいいサラの母・ナタリーさんが顔を出し、照れたサラは弾かれるように手の中を飛び出すと花かごをナタリーさんにぐいと押しつけた。
「もう、母さん。シオンはすぐに戻るし、お茶はいいから。これ、片づけてきて」
「せっかく坊ちゃんがいらしてくださったんだから、お茶くらいはねぇ」
「いいから!」
ナタリーさんがサラにぐいぐいと家の奥に押し込まれながら、苦笑いで私の方を伺う。
「今日はすぐ帰らないといけないから、お茶はまた今度ゆっくりといただくよ」
母娘の小突きあいを微笑ましく眺めながら答えるとナタリーさんは渋々了承した。
* * *
サラの部屋はいつもなら療養中の動物達の声と花の香りに溢れている。けれど今はすべて森に帰してあるからしんと静まり返っていた。
元々、ベッドを兼ねているソファと作業机だけの狭い部屋だった。机の上には薬草やら生花やらドライフラワーやらすり鉢やら道具がいっぱいにひしめいていて賑やかで――けれどそれらは輿入れの準備のためにすべて整理されて、大きな箱をいくつか積んだだけのがらんとした机に姿を変えている。
(花の残り香がやけに寂しく感じるのは、サラの佇まいが不安げだからだろうか……?)
サラは自室だというのに遠慮がちにぎこちなくソファに腰掛ける。
そんなふうに考えながら肩を並べて座ると、サラは黙って私の肩に頬を寄せ、目を閉じた。
しばらく、サラの髪を手櫛で梳くだけの時間が流れる。風でもつれた髪が整っていくのと同じ速度で、サラの不安が溶けていけばいいのにと願いながら。
サラが自分の気持ちや考えを言葉にするのは、いつも時間がかかる。
それが本音に近ければ近いほど、長い時間が。
時間があるなら、彼女が口を開くまで辛抱強く待つべきだ。そうでなければ意味がない。だがいかんせん、今日は時間が限られている。10分ではサラは一言も本音をこぼさないまま、今度こそ「また明日」と手を振って、ひとりで抱え込んでしまいかねない。
やむをえない、と諦めて問う。
「――それで、何が君をそんなに不安にさせているんだろう?」
サラは眼を丸くして私を見上げ、それから俯いて目を伏せただけだった。
「結婚式がうまくいくかどうかとか、城で暮らしていくこととか、そういうこと?」
「それは……確かに、少し不安だけど……。でも、そんなことじゃないのよ」
サラは否定し、俯いた。
そして、言葉を続けようとしなかった。
過去に何度か、こういうことはあった。
不安そうにしながら、しかし人を頼ろうとせず、シオンやまわりが気遣っていろいろと心当たりを尋ねるのに、当たっていても違うと言い張ったことすらあった。
だから、今回も本当は結婚のこと、またはその後の生活のことではないかと思った。
そう決めつけてしまった
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