迷い3



「……でも、どうしてわざわざ騎士団が?」


 ようやく街の人々の歓迎から解放され、私の家に向かって歩き始めてから話の続きを促すと、シオンは苦笑いで肩を竦めた。

 グラドは竜の加護を受けた英雄の国なのだから、普通に考えれば手負いの竜が現れたのなら手厚く保護されそうなものだった。あんな子供ならば、なおさら。

 けれど先程のシオンの言葉にも今の態度にもそんな意図が感じられない。


「王都やこの街に危険が及ばないように、だそうだ」


 シオンの返事は吐き捨てるようだった。

 王は何年も政治を顧みることなく、代理で王権を執った王弟ヴィオール殿下の暴虐も放置し続けた。王弟が失脚してからも、ほとんどの執務は元老に任せきりのままだと密やかに嘆いているのを知っているだけに、それが苦み走っているように思えたのかもしれないけれど。


「……本当は王が〈竜の血〉を御所望なんじゃないかという噂だ。竜なんて滅多にいるものじゃないから」


 シオンが人目を憚って囁いた瞬間、ソウジュの深い傷跡が脳裏に閃いて消えた。


「竜の……血? なぜ?」


 薄ら寒さを感じて思わず腕をさする。

 それは風が冷たいせいだけではないだろう。


「サラは竜の血を飲むと不老不死になるって話、聞いたことない?――まぁ、伝説みたいなもので本当のところはどうだかわからないけど」

「竜の心臓とか角が薬になるって話なら、本で読んだと思うけど」


 読み書きの勉強にとシオンの部屋で一緒にたくさんの本を読んでいるが、以前父の病気の助けになる知識がないかと探した時にそんな一節があったと思う。


「うん、そう。それと同じだ。実は王は以前から王子が難病を患っているだとかで竜の血を欲しがっていて、怪しげな儀式をしているとかって真偽のしれない噂があったんだ。だから、今回の討伐令もおそらくは、ってね」


 鳥肌が立ち、気休めに強く自分の腕を握る。

 ならば、ソウジュのあの怪我は王がそう望んだ結果だということになる。


(そんなことをしたら、この国は――)


 物語の挿絵にあるような怒り狂う竜の姿が瞼の裏に浮かんで、強く目を閉じた。


「……サラ? 顔色悪いけど、大丈夫?」


 ざわざわと気持ちが波立って、彼の言葉は右から左の耳へと通り過ぎていた。顔を覗きこまれていることに気が付き、慌てて頭を振って意識を引き戻すと、すでに私の家の前に立ち止まっていた。


「なんでもないわ、大丈夫。送ってくれてありがとう」


 慌てて花かごを受け取って笑顔をつくるが、シオンは神妙な顔をしたままだった。


「サラ。竜の件が落ち着くまで森には入らない方が――そもそも街を出ない方がいい」

「ええ……でも、ならばなおさら、今日拾った子の容体も気になるし、それに花も。しばらく世話できないならそれなりの準備をしてあげないと」


 ソウジュのことを言うべきかという迷いが再び戻ってきて、心臓がばくばくと暴れた。


「竜が森に逃げ込んだままでは、式が延期になる可能性もある」

「ならない可能性もあるんでしょう? ――お願い、シオン。これは私の最後の仕事だから、半端にして後悔したくないの」


 ソウジュのことは別にしても、明日もう一度畑を見に行くのはどうしても譲りたくなかった。

 小さい頃は自分の結婚式は会場からブーケまで全部自分の育てた花で飾るのが夢だった。自分でも忘れてしまったような幼い頃の夢の話なんかいつしたのかも覚えていなかったのだけれど、シオンはそんな他愛もないことをしっかり覚えていて、やろうと言ってくれた。元々のその夢は盛大な貴族の結婚式をイメージしたわけではなかったのだけれど。それでも、領主の家に嫁ぐ前の一世一代の大仕事として、結婚式の会場を飾る花はすべて自分で育てると決めたから。



 決意の目で訴えると、一拍見つめ合った後にシオンは溜息をついた。こういう時の私を説得できた試しがないという諦めが滲む溜息だった。


「ならば、せめて私も一緒に行こう」

「あなたには領主の補佐っていう大事な仕事があるでしょう。普段は暇な分、有事の時くらいしっかり働いてくれないと困るわ」

「……手厳しいな」


 窘めるとシオンは苦笑した。


「じゃあ早朝の1時間だけ。帰って来ないときは迎えに行く」

「ありがとう。約束する」

「うん。じゃあ、また明日」


 手を振って帰ろうとしたシオンの手を、慌てて花かごを置いて掴まえていた。

 シオンが不思議そうに小首を傾げるのももっともだ。自分でも驚いているくらいだから。恥ずかしくなって顔を上げられず――けれど、やはり、手を離すことができなかった。


「……シオン。もう少しだけ、傍にいて?」


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