報奨1



 会場が一斉に歓喜と祝福の歓声とブーイング、割れんばかりの拍手喝采、色とりどりの紙吹雪、ゴミ――いろんな物が入り乱れて嵐のように吹き荒れた。

 その中でシオンは悠然と剣を鞘に納めようとして、刀身がなかったことを思い出したのかバツが悪そうに頭を掻いた。

 それから観客席の私にいつもの優しい笑みを向けて、手を振った。


 その笑顔をみた途端、凍ったように萎縮していた全身の力が抜けて、へたりと座り込んでしまう。


(無事で、よかった――……)


 なにより、それが嬉しかった。

 ずっと生きた心地がしなかった。

 いつのまにか目尻に溜まっていた涙をハンカチで拭って、なんとか笑顔を作って返す。

 すると、突然彼は私に向かって手招きした。

 会場がざわめいたところをみると、通例ではないようだ。困惑し、助けを求めてヒース様を見れば、少し眉をしかめて溜息をついた後、


「悪いが、付き合ってやりなさい。もし耐えかねるようなら、私が許可する。気兼ねなく殴ってかまわん」


 と、さらに意味のわからない許可を出された。


「サラ!!」


 この大観衆の渦中に飛び込むにはかなり入念な心の準備が必要だと言うのに、シオンはよく通る声で私を呼ばわる。おかげで会場中の視線が向けられ、どこにも居場所がないではないか。

 やむなく、右手で左手薬指の指輪をぎゅっと掴み、勇気を振り絞って歩き出した。




 この1万をゆうに越える視線をなぜ平然と受け流せるのかその神経が理解できないと少々恨めしく思いながら、ティナに慣れないドレスの裾を持つのを助けられつつ、ようやくシオンのもとに辿り着いた。

 その気苦労をわかっているのかいないのか、シオンはにこりと笑顔を浮かべて私の手をとった。


「サラ、ありがとう。この勝利は君のおかげだ」

「………?」


 礼を言われる意味がわからずに、首を傾げる。

 剣をとっていたのはシオンだし、私は声援を送っていたわけでもなく、ただ観客席からハラハラと見守っていただけだ。

 しかしシオンがカラム様に視線を投げると、彼は苦笑いで頷いた。

 対戦中になにか話している様子ではあったが、観客席の誰も聞き取ることはできなかった。


(……もしかして、先日のお詫びにと騎士団長がシオンに勝ちを譲ったとか……?)


 そんな考えが脳裏をよぎらないわけもなかったが、しかしシオンもカラム様もそんな、神聖な試合を汚すようなことをするとも思えないから、さらに頭を捻る一方だ。

 頭をひねっているうちに、シオンは私の手を包む両手に力を込めた。


「サラ、約束の褒美をもらうよ」

「……は……?」


 呆気にとられて、なんのことだかすぐには思い当たらなかった。


(約束の褒美? 褒美の、約束――って……まさか――!)


 ようやくそのに思い当たり、一気に頭から爪先まで熱くなるやら寒気がするやら、めまぐるしくて目眩がした。

 それを見たシオンの笑顔はかなりたちの悪いガキ大将みたいにきらきらと輝き、正解なのだという絶望に、さらに目眩に拍車がかかった。

 シオンは背筋を伸ばして私を脇に抱き寄せると、す、と深く息を吸い込んだ。


「この勝利はここにいる我が妻――式の日取りまであと半年ほど残してはいるが――サラの、内助の功によるものだ」


 ぴんと張りのある金色の剣士の声が、会場全体に朗々と口上を述べた。


「故に、この勝利の栄光を愛する妻に贈る」


 シオンは歓声と喝采が入り交じるのを満足げに聞きながら、唖然としている私をくるりと向かい合わせにする。


「そのお返しとして、妻から私に祝福の口づけを――」

「そ……そんなの、聞いてないわ!!」


 ようやく我に返って袖を引いてシオンの口上を遮ると、密やかに文句を言った。

 この1万人の観客の前なんて聞いていたら了解するわけがない。だが、シオンは悪びれた様子もなくにこりと笑った。


「もちろん、言ってない。言ったら君は了承しないだろうから」


 あっさりとそう言ってのけ、「結婚式の練習だと思って」とさらに催促する始末だった。


 そんな不公平な約束があるだろうか。

 こんなの詐欺だ。


――もし耐えかねるようなら、私が許可する。気兼ねなく殴ってかまわん。


 ヒース様の口下手を恨めしく思ったことは後にも先にもこの時だけだ。

 いっそのこと本気で平手打ちを見舞おうかという考えもちらりと脳裏をよぎるが、さすがにこの場でそれをする度胸はない。

 代わりに小声で文句を言うに留める。


「結婚式でもこれほどの人はいないし、だいたいそれは人前で披露するためじゃなくて神に誓う一生に一度の大事な儀式だから――」

「私はちゃんと覚悟しておいてと言ったし、約束は約束だ。そうだろう?」


 慌てふためいた苦情を静かに諭されると、先ほどまでの審判兼司会進行の役人が私達のひそひそ話にしびれを切らせた様子でこほんと咳払いをした。

 シオンは大丈夫というように笑顔で手を挙げてそれに応える。


「……サラ。嫌かもしれないけど、耐えて」


 再度私に向き直ったシオンが小声で囁いて、沸騰していた血がふっと冷えた。

 その目の奥にただの悪ふざけではない真剣さをみてしまい、それ以上の文句が出なくなる。

 要するにシオンはこの大観衆と殿下に、私に手を出したら競技会優勝者の剣の露にしてやるという牽制を目論んでいるのだ。このやたらと派手な演出は、知らなかったとか覚えてないとは言わせない、という無言の圧力か。


(ほんっとうに、無茶苦茶なんだから……!!)


 心中では悪態をつきながらも、最早引くに引けない状況だ。

 彼のためならなんだってすると覚悟を決めたでしょう、と自分に必死に言い聞かせて指輪をはめている左の手のひらを強く――傍目には殴りかかりそうに見えるほど戦慄いているが――握る。

 覚悟を決めたのを察したらしく、シオンは私の肩を抱き寄せると、少し身を屈めて目を閉じて褒美を待つ。そんなシオンを半分睨むように見つめながら、胸のあたりを掴んでつま先立ちになり、目を閉じてゆっくりと唇を寄せた。


 かすかに触れた瞬間、身を引こうとする。

 が。

 引き際、両肩を掴まれ、シオンは殿下に見せつけるように位置を調整しつつ強引に唇を塞ぎ続けた。




「この剣技と名誉を、愛する我が妻サラに捧げる!」


 冷やかしと歓声と口笛が飛び交い、酸欠か羞恥か判断できないほどにくらくらと眩暈がする頭に、切っ先のない剣を掲げた金色の剣士がよく通る声で朗々と念押しの口上を述べた。


(なんであなたはいつもそう――!)


 喉元まで溢れていた文句は、


「そして、殿下。私はこの競技会優勝の褒美として、法の改正を願い出る」


 不敵な笑みを添え、殿下に向かって真っ直ぐに放たれた言葉に遮られて消えた。


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