断罪4



「――申し訳、ありませんでした……っ!」


 サラが泣き始めてほどなく、侍女メイドがそれ以上の勢いで泣きながら私達の前――気を失ったままのヴィオールの脇で平伏ひれふした。


「おふたりは私達の憧れなのに……なのに、こんなこと……っ」


 サラは自分の涙をさっと拭うと私の腕の中からするりと抜け出し、子供のように泣きじゃくる少女を抱き起こして背中をさする。


「いいのよ。殿下に命じられては、あなたにどうにかできることじゃないもの」

「…………っ」

「逆らう意志すら奪われる辛さも痛みも、私にも覚えがあることだから」


 罅の入った硝子細工をいたわるようにそっと優しく慰められた少女は一層慟哭を深め、サラはなおのこと優しく慰めの言葉をかけ続ける。


「まったく、自分のことは次々後回しにして……」

「本当に。とてもかなう気がしませんわ」


 その背中を眺めながら溜息をつくと、続くようにエミリア様が深い溜息をついた。虚を突かれて目を丸くすると、エミリア様はにこやかに笑った。


「私、あなたのために自害するほどの覚悟はありません」

「……それは不要な決意のはずだったんですが」


 私のぼやきを、エミリア様はくすくすと笑った。それからしずしずと歩み寄ってサラの隣に腰を下ろす。


「私も、ごめんなさいね。言い訳にしか聞こえないでしょうけれど、こんな悪事に手を貸すつもりではなかったのよ。噂ばかり信じてあなたの人柄を疑っていたから――」


 慰めるようにサラの肩に優しく触れて申し訳なさそうに微笑んだエミリア様に、緊張しきりのサラが慌てて笑みを返す。


「いえっ、あの、その……私は大丈夫です」

「サラの“大丈夫”はただの口癖だと思っていただきたいのですが」


 苦笑混じりに添えると、エミリア様は強くサラの手を握った。


「ヴィオール様がなにを言おうと、私は私が知る事実をあるがままにお話するわね」


 サラも私も目をみはって息を呑む。

 王家に連なり尊き血を引くアグライアの姫君の証言――発言力ならばヴィオールに軍配があがるだろうが、こと女性問題に関しては日頃から悪名高い男だ。信憑性の高さならば、その証言は十分に有益であるはずだ。


「でも……あなたが共謀した罪に問われるのではないのですか?」

「あら。自分の犯した過ちですから、そんなことは当然ではなくて?」


 エミリア様はあっけらかんとして言い放つと、絶句しているサラの手を――そこにある痛ましい痣をゆっくりとさすった。


「あなたの決意には遠く及ばないもの。この程度で償えることではないけれど、せめてもの贖罪はさせてもらうつもりですのよ。――カラム殿、あなたは?」


 決意を秘めた約束をしてから、すっと視線をスライドさせてカラムを見る目つきは手のひらを返して冷ややかだ。

 ミントグリーンのドレスの切れ端で止血処置された自分の腕に手を添えたカラムは、目を回したままのヴィオールからわずかに視線をそらし、無言で私達に向かって深々と頭を下げた。


「……あの、後できちんと手当してくださいね。応急手当をしただけですから」


 頭を下げられ慣れていないサラが居心地悪そうに助言すると、なおのことお辞儀が深くなったような気がした。サラはヴィオールの胸に残るほんの1センチあるかどうかという傷にわずかに視線をやると、怯えるように私の腕を強く握った。


「ヴィオール様は……お任せしてもよろしいでしょうか……?」

「あんなかすり傷に、大仰な。大体、カラムの手当も君がする必要は皆無だったと思うんだが。はあいつがつけた傷だろう?」


 サラの手首の痣に触れると切なさと怒りがこみ上げるが、サラは両腕を背中に隠しながら苦笑した。


「血を見るのは苦手だから、つい咄嗟にね」

「自分の傷は捨ておいているくせによく言う」


 隠しても知ってる。うっすらとだが、切り傷があることを。

 諦め半分の苦笑で指摘したら、サラは失笑した。


 もしヴィオールが命に関わるような怪我をしていれば、迷いはしてもやっぱり最終的に手当するんだろうな――と、その光景を脳裏に描きそうになって、溜息が出る。

 そんな光景を見るくらいなら死んだほうがマシだと思うくらい不愉快極まりない。

 思い留まってよかったとしみじみ思い、こういう時のサラには何を言っても無駄だという諦めに似た感慨だけがあとに残る。


「あの……サラ様。これしかご用意できませんが、どうかお召し替えください」


 いつのまにか涙を拭った侍女が深紅のドレスをおずおずと差し出した。

 確かにこの切り裂かれたドレス姿で出歩くわけにもいかないが、その色はサラに絶対に似合わないと思った。

 同感なのだろう眉を顰めたエミリア様がサラの代わってそのドレスを軽く広げて検分する。ヴィオールの好みと思われる妖艶な意匠に、彼女は心底うんざりという深い溜息をついてからサラに手渡した。


「ひとまずそれを着たら、私のお部屋にいらっしゃいな。幸い私と背格好が似ているから、仕立て直さずに着れるものがあるでしょう」

「え………あの、私は――」


 遠慮を口にしようとしているサラを見ることなく、エミリア様はカラムと――そして私をきっと睨んだ。


「このような姿の乙女の前に、殿方がいつまでいらっしゃるおつもりなのかしら? ヴィオール様を連れて早々に退室してくださいませ」

「――失礼しました」


 カラムは命じられた通りに慌ててヴィオールを抱えあげる。


「シオン様も。いくら婚約者と言えど、お召し替えに同席しようなどと思っていらっしゃらいますの? それとも私が信用ならないのかしら?」


 踵を返したカラムの隣で動けずにいた私に、叱咤に似た声音が鋭く刺さる。


「え、いや……信用していないわけではないのですが……」


 エミリア様の意外な仕切りに困惑したものの、そういえばこの人が主立った社交会の主催を取り行っているんだったと思い出していると、サラは同じく困惑した様子ながらも「大丈夫だから外で待ってて」と言った。


「――お願いします」


 私がやむなく頭を下げると、満足の笑みを口の端に乗せたエミリア様は続けて侍女にくるりと向き直る。


「あなた、ちょっと手伝ってくださる? ――ええと、お名前は?」

「アイリと申します。喜んでお手伝いさせていただきます!」


 手際よく準備を進めるアイリと名乗った侍女とエミリア様に急き立てられ、男達は揃って部屋から追い出された。








「……彼女は、いつもあの調子か?」


 私は当然扉の前で待つことにしたのだが、ヴィオールを抱えたカラムもまた足を止め、問いを投げられる。


「私は……抵抗できない弱き者に剣を向けることに手を貸した。目を瞑ってその涙を見ず、耳を塞いで悲鳴を聞かず――痣が残るほど強く押さえつけた」


 ようやく胸に納めた怒りが再燃する前にさっさとヴィオールを連れていけばいいのにと思うけれど、呻くような声音でかけられた問いを無下にするのはさすがに躊躇われた。腕に巻かれたミントグリーンの包帯代用を未だに信じられない様子で眺めているなら、なおさら。


「なのに彼女は命令に逆らえない気持ちはわかると言って、これを――」


 決して揺るがないグラドの盾の異名を持つ騎士団長が困惑し続ける様は昔の自分を見ているようだった。


「まぁ、およそ。父は私がバカ息子に戻っては困ると結婚を認めてくれたくらいだからな」

「ふ、」


 父の言葉に、生真面目な騎士の表情が緩んだ。


「家名の名誉と誇りを守り続けてきたヒース殿が、らしくない決断をしたものだと思ったものだが」


 デジェル家は建国の時代からバジリオ家に仕える忠臣だが、父との折り合いは悪くなかったはずだ。だからこそ、こんな悪行に手を貸した事実が許しがたくもある。


「目が醒めるんじゃないか? お前の主人がどうかは知らないが、私はサラがあの調子でいつも私を叱ってくれるのをとても感謝している」


 ヴィオールを抱えたカラムは苦い顔をし、再度深々と頭を下げた。


「……いずれ、正式な謝罪に伺おう。できることなら、主に伴われて」



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