断罪3



「あなたの剣は、私利私欲のためには振るわないのではなかったの? リュイナールの街を、私や弱者を守るためのみに振るうと誓ったのでしょう?」


 君を守るためだと心の隅で叫びつつも――私憤に違いないという後ろめたさが言葉を詰まらせた。


「どんな理由があっても、私怨で人を殺したらあなたは人殺しに――しかも王家の人間を殺した大罪人になるのよ」

「……私は……どうなろうと構わない」


 ついさっきヴィオールに一片の迷いなく言い切った言葉を、サラには弱々しくしか言えなかった。サラは激しく首を振り、薄い闇に包まれた室内で星屑のように涙が舞い散った。


「私が、耐えられないわ」


 ぽろぽろぽろぽろと涙をこぼしながら、サラは弱々しく呻いた。


「謂われのない噂や誹謗中傷ならいくらでも聞き流せる。だけど、あなたが私のために王弟殿下をあやめたら、その事実に耐えて生きていくなんて、できない……」


 嗚咽を堪えてぽつぽつと訴えられ、どうしていいのかわからなくなる。


「サラ――……」


 その涙に怒りの炎は否応なしに勢いを弱める。

 サラは左手の薬指にはめられた指輪を撫でて、伏せていた目をまっすぐに私を見上げた。潤んだ瞳に、決意を秘めて。


「シオン、愛してる」

「――は?」


 潤んだまっすぐな視線に射抜かれ、場違いにも心臓が一際強い鼓動を打って、一瞬すべての思考が吹き飛んだ。


「少しくらい短気でも子供っぽくても、あなたのこと全部愛してる」


 それは、今まで聞いてもねだっても、はぐらしかして今まで一度も口にしてくれなかった言葉だ。時々、もしかしたら無理して付き合ってくれているだけなんじゃないかと不安になるくらい、一度も言ってくれなかったのに。なんで今――。


「だけど私は、あなたの愚かしいほどの優しさが一番好きなの」


 左手はしっかりと剣を握る私の手に添えたまま、右手だけが私の頬に触れた。


「……だから、お願い。そんな怖い顔をしないで」


 自分がどんな顔をしているか分からなくて、どう答えていいのかわからなくて。狼狽える間にもひんやりと冷たいサラの手の温度が、怒りに紅潮した頬を冷やしていく。

 頭が冷えてくると二日酔いみたいにぐるぐると酷い気分がして、頭を抱える。この細い体を力一杯に抱きしめてなにも考えずに泣いたらすっきりするだろうにと思う。


「あなたの手を汚さなくても、処罰は下されるわ」

「……処罰、されなければ?」


 収まりかけていた怒りの火が再燃して声が震えた。

 この男はいくらでも虚偽の申し立てを通せる権力を持っているし、都合の悪いことは簡単にもみ消してしまえる。

 さっきの言ったように、サラが誘惑してきたのだと偽証すれば、それが通ってしまう。

 これだけ卑劣な罠をかけた男が無罪放免で王権を握り続けるなんて、絶対に許せない。それなら――。

 昏い思想を掻き消すかのように、サラはふっと笑みを浮かべた。


「こんな暴挙がいつまでも許されるはずがない。たとえ法が裁くことができなくとも、いずれ必ず天罰を受けるわ。もしそれまで我慢できない時は――この国を、出ていきます」


 今までずっと国を出ることを忌避してきたのにと目を見張ったら、サラは苦笑いを浮かべた。


「こんなことがまかり通り続ける国では、お父さんお母さんや大事な人達は安心して暮らせない。私達の我慢にだって限界はあるのよ」


 気持ちいいくらいに理路整然と、口元に微笑みすら湛えるサラを見ていたら、これが誰のための怒りだったのかと混乱して力が抜けてくる。

 それでも、この男を許せないという思いが剣を納めることを躊躇わせる。サラは目をそらすように俯き、短剣を持つ私の手をもう一度両手で包んだ。


「もしあなたがどうしても殿下を手に掛けると言うのなら……せめて私もともに剣を握り、ともにその罪を背負います」


 滝の中に放り込まれたような衝撃に、残っていた怒りの熾火など一気に消し飛んだ。


「――なぜ、君が背負う必要がある」


 サラの手を殺人の罪に染めさせるほどの大罪はないと思った。

 これは両親や森の動物達を無数に救ってきた天使の手だ。

 なぜこの手を、こんな男の血で汚す必要がある。


「あなたが背負う必要もないものだから。喜びも苦労も共にすると誓ったあなたが私のために背負う罪ならば、私もともに」


 短剣を握る手にぐっと力がこもり、その悲痛な決意を物語る。

 許せるものかという思いとサラに背負わせるわけにはいかないという葛藤に、手が震えた。サラが顔を上げ、彼女の涙がいっぱいに貯まった若草色の目と視線が絡み合い、目が離せなくなる。


「――シオン、お願いだから剣を納めて」


 私の手を包む手は、願う声は、震えていた。

 剣を握ったことなどないだから、当然だろうか。


(サラには、一生かなう気がしないな)


 苦笑し、嘆息した。

 煉獄のような激しい怒りの炎は、完膚無きまでに鎮火させられていた。


「……わかった、わかったから。サラ、手を離して」


 サラは私の様子を伺いながらゆっくりと手を離す。


「愛してるって、もう一度言ってくれる?」


 サラは躊躇いがちにしばし視線を泳がせてから、耳元に顔を寄せ、虫の羽音のようなかすかな声で囁いた。

 ふわふわと頬をなでる髪の感触、花の香り、寄り添って伝わるぬくもり――それらに、ささくれだった心が安らぐ。ゆったりと、凪いでいく。


「……やっぱりあなたにはその顔が一番似合う」


 ぽつりとそう呟いたサラの細い指が私の頬をなぞり、くすぐったさと居心地悪さで胸が溢れる。簡単には取れないように短剣をベッドの下へと投げ捨て、気恥ずかしそうに頬を染めて俯いているサラを両腕でしっかりと抱き寄せた。


「ごめん」


――自覚は、しているつもりだ。

 後悔も反省もしているが、自分ではどうにもできない。感情の、特に怒りの起伏が激しくて、どうしようも押さえられなくなる。

 サラにだって何度も八つ当たりして傷つけてきた。

 なのにサラは恐れることなく叱りつけたり宥めたりして、いつも最後には笑顔で手を差し伸べてくれる。

 サラを失うかも知れないと考えると――一切の躊躇なく自害しようとしたあの姿が脳裏をよぎると――薄ら寒くてどうしようもない焦燥に駆られ、抱き寄せる腕に力が籠もる。


「でも、君は勝手だ。自害しようとしておいて、私には残された自分がどうなるか考えろなんて。君に先立たれて残された私がどう思うかは、考えてくれた?」

「ごめんなさい」


 サラは一応謝罪を口にしたが、どうにも反省しているようには見えなくて苦笑が漏れた。


「君の大丈夫ほど信用できないものはないけど、ごめんなさいも似たようなものだな」

「――……ふふ、ごめんなさい」


 サラはかすかに笑ってから猫のように背中を丸めて寄り添い――それから、緊張の糸が切れたのか、声を殺して静かに泣きはじめた。


「ごめんなさい……だって、怖かっ…た……すごく怖くて、必死で――」

「うん、ごめん。本当にごめん……」


 なにから謝ればいいのかよくわからないほどその気持ちは次々と溢れて、嗚咽に揺れる頼りない背中をさすった。

 


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