噺小屋の二階から
領家るる
掌編集
--*--*手癖の侭--**
大匙一杯、薄味につき
オーブンを開けた瞬間、肉汁のジュワーという音が聞こえた。ほんの十数分前から支度を始めて即興で作り上げた酒の摘まみは、輪切りにした玉葱の隙間に合いびき肉を詰めた、彼女の創作料理である。
彼女は厚手の手袋を嵌め、湯気が立ち上り肉汁弾ける皿を俺の前に置いた。その後にシルバーを添えると、後は勝手にやれと言わんばかりに、そそくさとテレビの前に戻っていった。ビールと手料理と彼氏を放置して、さっきから騒ぎ立てているテレビの前にスタンバイする。今日は気に入りの俳優が出演するらしい。
「ソースは何つければいいの?醤油?」
「そのまま食べて」
「……」
もはやこちらを振り向くことさえしないまま告げられた。これは、高血圧上等、濃味筆頭である俺に突き付けられる処刑宣告だ。ただでさえ最近、薄味を強要されすぎている気がするのに。昨日の水炊きなんてポン酢さ許して貰えなかった。いったい俺が何をしたっていうんだ。嫌がらせとすら思えてくる。
「私のこと好きなら、そのまま食べてよ」
何かとこの、「好き」を逆手に取られることがうざったい。だが彼女の性格にも諦めが付いてきたので、俺はさっきから神々しく見える醤油を手に取るのを止めた。
味が足りない。俺が求める濃い味との乖離を彼女の愛とやらが埋めてくれりゃぁ世話もないが、俺はテレビの中のあの俳優に勝てそうもない。愛が薄けりゃ味も薄いのか。大匙一杯の愛情を醤油に変えて垂らしてくれないものだろうか。
俺は肉詰め玉葱を口に入れ、すぐにビールを流し込んだ。肉詰めにはナッツやナツメグ等、一風変わった風味を覚え、そこに手間と工夫を感じたが、一番搾りののど越しが口腔と鼻孔を上塗っていく。手間を掛けてくれるが、何かと物足りない。気づいてくれよと思いながら満たされないまま、うんざりする。
ビールと共に嚥下してもう一度彼女を見ると、ソファから顔半分だけ覗かせてこちらを睨んでいた。忌々しいものでも見るような視線に苦笑しながら、今度は肉詰め玉葱だけを口に入れて味わった。しっかり味わうと、計算された味付けを知る。 ありがとう、創意工夫ができる彼女よ。だが俺は味の種類にこだわっているんじゃない。濃淡にこだわっているんだ。
「味が薄くてもおいしいでしょ?高血圧になるからそういう食の楽しみ方、覚えてよね」
「……愛情の分だけ濃い味になるっていう発想はないのかい?」
「バカなんじゃないの?」
彼女はそれだけ言うと、気に入りの俳優の出番に食いついた。もはや愛さえ薄味だ。だが計算された薄味だったらもう暫くは付き合ってもいいかもしれない。分量に比する愛があるならば手間と暇の分だけ掛け合わさる愛もあるんだろ。
結局のところ、好きなんだからしょうがない。
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