ところてん
ゆうきあずさ
ところてん
ところてん
あれは確か、高校一年生の頃だったかと思います。
情けないことに私はこの頃から朝が弱くて、遅刻ギリギリで出発しました。けれどその日は学校で健康診断があって、どうしても遅れられない日でした。(遅れると後日病院へ行かなくてはならなくなる)
しかもあいにくの雨模様。いつものように自転車でかっ飛ばすわけにもいきません。仕方なく私は電車に乗るために駅に向かいました。
その、電車に乗るために階段を駆け下りようとした瞬間です。
雨で足を滑らせたのか、私は階段のてっぺんから踊り場まで、一気に転げ落ちました。あまりの痛みにしばらく動けなくなり、近くにいたサラリーマンが「大丈夫か」と声をかけてくれました。痛みはありましたが、幸い大きな外傷はなかったので、私はそのまま学校に向かいました。
健康診断の途中、友だちに朝の出来事を話すと、
「災難だったね。痛いのこのへん?」
「がふっ」
ふざけてエルボーをかまされました。私も彼女も、見た目の怪我がなかったので、てっきり何も損傷はないと思っていたのです。しかしそれは間違いで、私は即早退となり、病院へ行くことになりました。あばらにヒビが入っていました。
「ついてないなあ」
私はがっくりと肩を落として病院を出ました。しかも雨の日に転んだせいか、風邪も引いてしまったようでした。まさかの病院二件目です。咳をする度にあばらのヒビが痛みます。とにかく今日はもう大人しく家で休もうと思い、私は家路につきました。
パジャマに着替えてベッドに入ると、やがて眠気がやってきました。
――そのしばらく後のことです。
意識がすうっと浮き上がり、私は身体を誰かに触られているような気がしました。両親は共働き、妹も学校に行っていて、家の中に家族は誰もいません。なのに足を掴まれる感触がはっきりと解りました。しかも足が向いている先は壁しかないのです。
一体どういうことだろうと、朦朧とする意識の中で考えました。とにかく嫌な予感がしたので、布団をはね除けてしまおう。そう考えました。でも、身体がどうしても動きません。
しかし足からずるずると引っ張られ、自分を構成する何かが壁の中へ引きずり込まれる感触は確かにありました。まるでところてんの機械になったようです。身体が機械、引っ張られる「何か」がところてん。
今思うと、それは魂と呼ぶようなものだったかもしれません。
シーツを掴む手の感触はあるのに、もう一つの手はお腹の中にまで寄せられている気分がするのです。
――このまま身体から「何か」が全部抜けたら、死ぬ。
雷撃のように頭の中にそんな言葉が響き渡ったことを今でも鮮明に覚えています。そう思った時、暴力的に全てを揺すられました。
天井まで届くかと思うほどに身体の中に残っている「何か」が振り回されます。ジェットコースーターみたいです。とにかく怖かった。けれど懸命に私は「行かない、行かない」と頭の中で言葉を唱え、ずるずると引き出される「何か」を元の場所に戻そうと努めました。
その攻防はたかが数分だったのか、それとも一時間くらいあったのか……。
突然、身体が自由になりました。私は布団をはね除けて、自分の五体が無事かどうかを確かめました。どこもちゃんと動く。心の底からほっとしました。しかし、掴まれた足首をそろりと見ると、そこは指の形のように、赤く鬱血した痕がありました。
もう私は恐ろしくて恐ろしくて、もう自分の部屋にはいられず、誰かが帰ってくるまでリビングでテレビをつけながら震えていました。
最初に帰ってきたのは、妹でした。私と妹は当時一緒の部屋で寝ていたので、状況を話して、何とか落ち着けてもらおうとしました。妹は私よりずっと現実的な人間なので、彼女がいれば幽霊なんてすぐに否定してくれると思ったのです。
しかし妹は私の話を聞くと、じっと押し黙ってしまいました。「どうしたの?」と訪ねると、妹は少し言いにくそうにこう言いました。
「朝、言えなかったんだけど。昨日の夜、隣で寝ている時に、うなされているお姉ちゃんの頭の上に、真っ黒な霧みたいなものが見えたんだ。なんだかすごく悪い予感がして、怖くて、私はそのまま寝ちゃったの。言っておけばよかったね」
ところてん ゆうきあずさ @himawari08
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