第5話
梅雨の時期は、アパートに居る時間がしんどいことこの上ない。高い湿度と
いやメンドくさいというか体がダルイのは、昨日はまともに眠れていないからだと思う。。
月曜。僕は仕事を休んだ。
お昼前に橘音と外で会う約束をしていたので、簡単な食事――トーストとコーヒーで済ますと家を出た。
外は雨は降っていなかった。梅雨の合間の快晴だった。
快晴は快晴でギラギラと照りつける陽の光が鬱陶しい。
葉や木々に溜まっていた露が蒸発している感じも鬱陶しい。
ギラギラと照りつける日差しが頭がボーっと熱くなり、帽子でも被ってくれば良かったと後悔したものの、自分は帽子を持っていないことに気がついた。
約束をしていた時間に紫色の衣の占い師が近づいてきた。
橘音だ。
顔にかけるレース状のものをめくり上げて頭にかけてある。両肩は出ている。赤い珠をつけたネックレスをつけている。
「どこに売っているの? そんな服」
「ネット」
はじめて見た。こんな服着た人。
バカじゃないかと思った。
「普段はここまでの格好はしないんだけどねぇ。じゃあ、いきますか。本陣へ」
「はぁ」
昨日の夜インターネットから印刷した「ハイドラジア・ライフ・エネルギー」という自己啓発セミナーのサイトに書かれている場所に向かった。
『新しい自己へ』『悩みの共有』『何でも見抜く力を持つスタッフが貴方を次のステージへ』
書かれている言葉が全てうさんくさい。その印刷したウェブサイトを見ながら、橘音はバカじゃないの? ウソくせーなどと言っていた。
鏡で自分の姿を見た方が良いと思った。
場所は小さなビルだった。中に入ると一階部分はエレベータと郵便受け。トイレ。自動販売機。あまり広くは無い。五階建てのビルで、二階から五階まで全て会社名プレートはハイドラジア・ライフ・エネルギーの名前がつけられていた。持ちビルなのだろうか。二階受付と書いてあるので二階に上った。
エレベータを出ると、前にスモークのガラスドア。廊下右へは非常階段と給湯室が見える。廊下左へはトイレという作りになっている。他に入り口やテナントなどは無かった。
ぐるっと回って後ろを振り返るといると、橘音は一人で勝手にドアを開けて受付に入っていた。慌ててついて行った。
「いらっしゃいませ」
奥から、アイシャドーの濃い女性が出てきた。橘音の姿を一瞥すると女性は眉を
「なんの御用でしょうか?」
「
でかい声で橘音が言った。こいつは昔からスイッチが入ると手がつけられない。
「私どもでは、グループセラピーと呼んでおります。全部で三段階までセラピーをご用意しておりまして、まずは無料の説明会を受ける形となりますが――お二人でのご参加でしょうか?」
「いや私じゃない。こっちの凡人なんです」
橘音はそういうと僕の首根っこを掴んで前に出した。
「この凡人の性根を入れ替えてやって欲しいんです! この凡人はただの凡人じゃない。平凡に目と口をつけたような凡人だ。このままじゃダメだ。第一可哀そうだろう! 二十歳にもなって、何の取り得も無く生きているのですよ。悲惨でしょう。私のところに来たこいつをここで引き取ってやってほしい。自己啓発だか、セラピーだか、罪の告白だか知らないが、何でも良いのでこいつの性格を入れ替えてやって欲しいのです」
橘音は一気にそうまくし立てた。
「少々お待ちください」アイシャドーの女性は一度奥に戻っていった。
――通報されたりしないかな、と僕が言うと。されて困るのはあいつらだからと橘音は言った。
もう一度アイシャドーの女性が出てくると、こちらへどうぞと奥に案内をさせられた。
間仕切りで切られた奥の場所になっていた。長机が4つ田の型につけられ、イスが四脚四脚で対面通しに置かれていた。案内をさせられたその場所で待つ形となった。
お掛けになってお待ちください、とお茶が出された。気が付けば上座に橘音がすでに座っていたのでその横に座ることにした。
応対スペースにはセミナーを紹介する張り紙が数枚。時計。額で紫陽花の写真が飾られていた。
パンフレットを持った男性と女性が二人で入ってきた。「本日は、蒸し暑い中ようこそこお越しくださいました。私代表の
男はそういうと私の前に座り、女性は橘音の前に座った。男はパンフレットを広げて話し出した。
「グループ・セラピーの方をご希望とのことで、弊社のセラピーの流れを紹介したいと思います」
即効性のあるやつを頼みます。と橘音が言った。
「即効性はあると思います。弊社のセラピーの基本は他人を受け入れること。自分をあるがままに受け入れてもらうこと、そこを念頭に置いております。信頼こそ人間の持つ真の力でございます」
橘音がテーブルに両手を重ねる形で置き、前を向かずに口を開く。
「あるがままで受け合うのじゃ性格なんて変わらないんじゃないですか?」
「変わります。人は何かしらの劣等感や罪の意識を持っています。それを暴露し合い共有し合います。そして、そのままを受け入れあうのです。自分自身が自分自身たることに自信を持つのです」
僕には劣等感も罪の意識もあるとは思えない。
「セラピーは三段階となります。まず第一段階がグループ形式でのゲームを行います。これは自己の暴露というテーマとします。このビルにて行います。費用は四万円です。第二段階が三泊四日での合宿にてロールプレイを中心とした自己の変革をテーマとします。費用は二十三万円です。ここまでで基本は終了となりますが、第三段階がございます。これは新しい自分がテーマです。このセラピーを知人の方へ紹介していただく期間です。半年間という期間の中で変化した自分を見ていただき、そしてまた別の方をセラピーに紹介していただく。場合によっては、新しい方とまた第一段階から参加して頂いても構いません」
このセラピーは本当に効果があるんですか? と聞いた。
「ございます。皆様喜ばれる方ばかりです」家元の隣の女性が言った。
橘音がテーブルに置いている右手を二、三センチ程度軽く持ち上げた。
――右手を軽く上げた場合はウソとあらかじめ決めてあった。
僕は続けた。
「セラピーの参加はいつ頃から可能ですか?」
家元がパンフレットをめくりながら答えた。
「本日中に手続きが終えました場合は、現在第一段階目の予定が今週の火曜となります。その後、早い方で水曜から金曜にかけての第二段階となります。基本的に毎週このサイクルとなっております。第二段階の参加は今週でなくも別途あとから受ける形でも可能です」
橘音は手を動かさなかった。
「先ほどの説明の中での、第一段階の自己の暴露とはどういうものでしょうか?」
「集まった方々で、自分自身をお話していただくことが中心になります。話せる範囲で構いません。日々の不満。仕事の悩み。自分の性格。そうしたことを話していただきます。そして、互いに受け入れあうことを目的としたゲームを行います。これが第一段階です」
橘音の手は動かない。
「僕の勘違いかもしれないのですが、世間から噂で伺った話ですが、こちらのセミナー――セラピーを通じた宗教との関わりがあると聞いたのですが」
家元が眉を
「ございません。――事実無根の噂ですね」
――橘音の手を見た。
――上がっていた――。
「そうですか。申し訳ございませんでした。それと――自己啓発セミナーにて、まれに死者が出て社会的な問題になるケースがあると思うのですが、過去にそうした事例はございますでしょうか?」
「――ございませんが?」
「セラピーなどの一環で麻酔などを使用いたしますか?」
「――そのようなものは用いません」
――橘音の手は上がったままになっている。
――僕は――右手で手探りでズボンの中の携帯で一番目に設定しておいた、風見さんへのリダイヤルへ電話をかけた状態に――
――しかけた時に家元に
――そこで、意識は途切れた。
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