第9章 唄
9-1 侵入
解放軍の隠れ家には、政変の報を聞きつけた同志が既に七人ばかり集まっていたが、俺が到着して間もなく、疾風デルベラスと斥候ガルンシュも相次いで姿を見せた。
「もぬけの空さ。人っ子一人いなかった」
「武器の類もね。残ってたのは、役に立たないガラクタばっかり」
二人はここに来る前に、密輸組織の根城へ偵察に行っていたようだ。その二つ名に恥じぬ暗躍ぶり。頭脳たるサヴェイヨン亡き後も、有事の際の連携は失われていないのだ。さすが同志。
「ジールセンが武器を密輸していたのは、凡て今日の武力政変のためだったわけだな」
俺の言葉に頷く一同。
全滅に瀕してもおかしくなかった先の大戦闘では、三名の死者を出したのみで残る四の三倍……十二人は奇跡的に生還できたのだが、重傷者や片腕を失った者もいたため、今ここにいるのは全部で十人。それでも両手指を埋める数が集結したのは心強い。
「行くか」
「ああ」
「もちろんだ。参謀たちの弔い合戦でもあるんだろ」
俺が切り出すまでもなく、同志たちは得物の準備を始めた。頼もしい限りだ。
戸口のベヒオットに至っては、抜き身の黒刀をさっきからずっと上段に構えたり片手で突いたりしている。額と背中に巻いた包帯はまだ取れていないが、気合は充分といったところか。あんまり無茶するなよ。
「議長殺されたんだって?」
「らしいな」
さすがに情報が早い。まあ
「惨殺されたって聞いてるぜ」
「首でも刎ねられたのか」
「さあな、車裂きの刑とかじゃないか」
「護民卿の時代みたいに、水槽に閉じ込めて溺れさせたりしてな」
「そりゃ堪らんな。ベヒオット、お前泳げないんだろ? 向こうででかい水槽見かけたら気をつけろよ」
「…………」
「ま、議長なんざどうでもいいけどな」
「ああ、俺たちにゃ関係ない話だ」
「外務大臣が今の議長に取って代わるだけじゃん」
「今の議長がどんななのかだってよく知らんしな」
「俺なんか顔も見たことないぜ」
「ここにいる全員そうだろう?」
「宮廷に辿り着いたら死に顔でも拝んでやるか」
「そのご尊顔がちゃんと原形を留めていたらの話だけどな」
「ハハ、違ぇねえ」
「…………」
こ、こいつらまで言いたい放題言いやがって。サヴェイヨンがいてくれたら、この手の無駄口はすぐさま注意してくれるんだがなあ。
準備を終えた面々が、雄々しい足取りで扉へ向かう。そこに立つベヒオットは、何故か部屋の反対側に眼を据えたままだ。
「どうした、ベヒ」
視線の先には、あの濃紺の軍旗があった。
「そうか、軍旗か」
「持って行きますか? 仮面公」
俺たちの相手は密輸組織の武装集団だけじゃない。場合によっては、宮廷に仕える正規の衛兵たちとも刃を交えねばならない。戦の規模も、前回を凌ぐ苛烈なものになるかも。我が〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉は、今まさに正念場を迎えていた。
「ああ」俺はきっぱりと言った。「ベヒ、旗を頼む」
無言で頷き、旗の許へ近づくベヒオット。そう、今こそ軍旗を揚げるべきときだ。
「では、行くぞ」
サヴェイヨンの剣を鞘に収め、一同を見渡す。
「おお!」
一斉に上がった掛け声を最後に、全十名の解放軍は一切の言葉を差し控えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宮廷内に潜入するのはさして難しいことでもなかった。
もう四年も生活している上、先の逃走劇に懲りて廷内のありとあらゆる通路を――それこそ排水口の経路に至るまで――徹底的に調べ上げておいたからだ。
裏門は詰め寄る民衆と押し返す門番らでごった返しており、通過など端から不可能。俺は仲間を率いて着替え用の物置を通り過ぎ、数区画奥に建つ民家の屋根を伝って喬木に飛び移り、高い煉瓦塀を乗り越え、足場を固める必要もなく敷地内に降り立った。
「仮面公はこの辺の地理に詳しいんですね」
「まあな」
「そりゃそうさ。うちの首領はここの独房に入ったこともある猛者なんだぜ」
ガハハと笑って肩を叩く優男。おい、そんな大声出すと見回りに聞かれるぞ。
「そこで何をしている!」
ほらな。案の定衛兵に見つかった。
がしかし、不恰好に長剣を差し出す相手をデルベラスは軽くいなし、当て身を喰らわして地表に倒した。見つかってから衛兵が倒れ伏すまで三秒の三倍とかかっていない。
「なんつー弱さだ」
「一撃かよ。張り合いねえな」
「手練の武装集団よりも、よっぽどやりやすいわ」
「余裕だなこりゃ」
油断はできないが、俺を彷彿とさせる及び腰で構えを取っていれば、そりゃあ見くびられて当然だろう。こんな奴でも身分相応の給料を貰っているのかと思うと、少し腹が立った。せめて賃金分の働きはしてくれよ。
吹き抜けの庭より屋内へ。そして更に先へ進む。
宮廷内は人影もなく、異様に静かだ。
採光窓から洩れる陽光が矩形に張りついた長い長い廊下を、靴音を殺して歩いていく。先導は俺だが、何かあったらすぐ飛び出せるようにベヒオットが指呼の間を置いて付き従っている。
仮面の奥で、俺はどうしたものかと思案していた。
……空中庭園の所在地が判らない。
以前、ドルクに見に行くよう勧められたのだが無視した。結果、俺は一度も庭園に赴いていない。廷内の道という道はほぼ頭に入っているはずなのに、庭園への経路がさっぱり判らないのだ。
どこだ? どの出入り口が庭園に続いているんだ?
このまま当てずっぽうに歩いていても仕方がない。確か正面玄関の受付前に宮廷全体の見取り図があったはずだが、庭園の配置など最早記憶の埒外だし、今から見に行けるような距離でもない。
こうなったら誰かに道を訊かないとな。しかし、一体誰に訊けばいいんだ?
この宮廷内に常勤する連中といえば、省庁勤務の役人、書記、兵隊、秘書、ほかの議員ども、料理人、掃除係、その他世話係、神官連中、それと……。
ああ、あそこにもいるな。
背に腹は代えられん。あそこに行くか。
あそこなら、あるいは。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここで十五分間だけ待て。それ以上経っても俺が戻らなかったら乗り込んでよし。後の動きは各自に任せる。
そう指示を出し、俺は独り牢獄へ降りていった。
独居房にいる犯罪者に経路を尋ねるためだ。数年以内にぶち込まれた新参者なら、庭園の場所も知っているかもしれない。そう考えたわけだ。いつものことだが冴えてるな、俺。
前回来たときにはなかった重い閂を開け、幅狭い廊下空間へ。その一番間近にある鉄扉の前に立つ。
「おい」
返事はない。無人なのか、扉が厚すぎて聞こえないのか。
「誰かいないのか」
拳で扉の表面を叩きながら、
「ん」
俺は重大なことに気づいた。
鉄扉が僅かに開いている。
外の異変に乗じて逃げたのか? いや、それだと完全に開け放たれていないのはむしろおかしい。それによく見ると、床に紅いものが点々と付着している。
血だ。
まだ真新しいその血液は、扉の下を起点に今通ってきた通路の方向へ……。
違う、逆だ。
この血の主は外から来て、この中に逃げ込んだのだ。
その証拠に、扉の隙間から、
「う……うう……」
消え入りそうな、呻き声がした。
「お前……」
独房に足を踏み入れた俺は息を呑んだ。
冷たい石の床に腹部を押さえて倒れていたのは、俺の良く知る人物だった。
「ドルクじゃないか、なんでここに」
「た、助けて……」
俺と全く同じ服装の、その上衣の腹の辺りに赤黒いものが滲んでいる。むろん第二秘書お手製の紅茶などではない。ただでさえ悪い顔色はこれ以上ないほど白くなっていたが、出血の量はそれほどでもなかった。適切な処置を施せば数刻で回復しそうだ。
「こ、殺さないで……」
助命を嘆願する声がドルクの口から洩れた。ああ、そりゃそうだ。何せドルクの眼には、俺が剣を手にした正体不明の鉄仮面に見えているのだから。
「殺さねーっての。俺だよ俺」
剣を放り投げ、仮面を外してみせる。
それを見たドルクの表情ときたら……後々語り種にしたくなるような、最高の顔だった。俺にいっぱしの画才と手頃な画材があれば、忘れぬうちに書き留めておいたんだがな。
「ぎ……ぎ……議長!?」
「誰にやられた?」
「が……外務大臣の、手下、です」
「やっぱりな。じゃ、空中庭園の場所を教えろ」
「……へ?」
ぽかんと口を開け、呆けた様子のドルク。目まぐるしく変わる事態に、なかなか思考がついていけないのだろう。まだまだ若輩者だなおい。
「あの、ち、治療は」
「治療? んなもん後回しだ。ていうか俺には無理。そのうち頼りになる連中が来るから、そいつらに治してもらえ。俺はすぐにでも庭園に行かにゃならんのだ。つべこべ言わずにさっさと教えやがれ。大体な、用心が足りないんだよお前は。そんなだからジールセン如きの手下にやられちまうし、俺が投げた氷も避けられないんだ」
ドルクは涙目になって道順を伝えた。諦念に満ちた小さな声で。
「なるほど。そんな所に通用口があったか」
俺は未だ起き上がれずにいるドルクの傍らに、鉄仮面とサヴェイヨンの剣を置いた。
「心配すんな。その二つがありゃ、後から来る連中がお前を助けてくれる。念のため合言葉も憶えとけ。いや、教えるだけの時間はないな。ま、ディーゴの翼は紅いとか、啼かないけど歌うとか、そんなことを言っとけば大丈夫だ」
「ディ、ディーゴ……あの、オウムの、ですか?」
「ああ。それにしても運がいいぞお前は。申し合わせたみたいに、今日も俺と瓜二つの衣装なんだからな。真紅のディーゴにお目通ししたら、礼の一つでも言っとけよ」
「ディ、ディーゴ、ですか?」
「旗だよ旗」
「は、旗?」
「おう。神に感謝するより、ずっと現実的だろ? じゃあな」
俺は急ぎ足で通路を逆に辿り、同志たちに出くわさぬよう別の道を通って上階に到達した。
武器が手許にないのはかなり不安だが、使いこなせる技量もなくお守り程度の存在だったわけだし、仮面を脱いで身軽になれたことは単純に嬉しい。
俺は走った。
軽い、軽いぞ。躰が実に軽い。今の俺なら、多少の攻撃など殺陣の達人の如く楽々躱せる気がする。実際に襲われたら、踵を返して逃げ出すに違いないのだけれども。
んん? いやいや待て待て。
今や俺は仮面公ヌリストラァドに非ず。議長のライアなんだ。となると、衛兵も最早敵に非ず。注意すべきはジールセンお抱えの武装集団のみ。
「にしても、ジールセンの奴」
空中庭園は目前に迫っていた。
最後の十字路を右へ折れ、不自然に盛り上がった長く緩やかな坂道を駆け上がると、
外界の明かりで眩く光り、その先は見通すことができない。
あれだ。あそこを潜れば庭園に出る。
間に合ってくれればいいが。
「でなければ……」
ジールセンの奴、もう殺されてるかもしれない。
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