第1章 三重に偉大な議長の来年度予算審議

1-1 〈円卓の間〉にて

「異議あり!」


 挙げていないほうの手で円卓の縁を平手打ちし、外務がいむ大臣のジールセンは一際声を張り上げた。会議場たる広大な〈円卓の間〉に、朗々たる大音声が響き渡る。


財務ざいむ大臣の言い分は小児のそれに等しい。国家予算を捻出ねんしゅつできないからといってそう簡単に税率を上げていては、国民が黙っておりませんぞ」


 対する財務大臣ギャンカルは特徴的なそのギョロリとした両の眼を大いにひん剥いて、


「ほな、ほかにどうせいっちゅうんですか」


 と、地元のなまりを強く残した口調で言い返す。


「物価の高騰は落ち着く気配もなく、外貨も不安定。自国の資本も心許ない。あんさんさっきから目先の利益にこだわるなだの、もっと大局的にものを見ろだの言うてはりますけど、今の不況かてその芽は何年も前に兆しとるはずやろ。今できることを先延ばしした結果の現状なのとちゃいまっか?」


 はっきり言ってジールセンもギャンカルも俺は嫌いだ。だから二人で勝手にやり合うのは構わない。ただ、そのせいで会議が長引くのは気に喰わない。どうしたものかと手をこまねいていると、


「だからといって、すぐに増税案を持ち出すのは早計に過ぎるのではありませんか」


 そう口を挟んだのは、労働ろうどう大臣のフィオだ。

 いかにも慎重派らしい言い方ではあるが、最年少の評議員ながらその態度は堂々たるもので、引け目や尻込みはおよそ見受けられない。いいぞフィオ。もっと言ったれ。


「手っ取り早く計上したい気持ちは判りますが、前年度と比べても急激に景気が悪化しているわけではありませんし、もうしばらく様子を見てもいいのでは」

「そら甘ちゃんの意見でっせ。労働大臣殿」


 今度はジールセンに隣接するフィオに矛先を向け、ギャンカルが吠えた。財務相という職業柄か、予算の話題となると耳が痛くなるほど口うるさい。


「いずれやるなら、早いに越したことはないやろ。こと予算に関しちゃ、後手に回ったらどんどん不利になる一方やがな。ここは民草に向けて、一発ドカーンと大砲をですな」

「わたしも財務大臣の考えに賛成です」


 頃合いを見計らい、労働相フィオの横に座る唯一の女性議員、公安こうあん大臣エトリアが静かに口を切る。


「国民が黙ってないと外務大臣はおっしゃいますが、このまま静観したところで、まず最初に国庫が窮乏に陥り、結局そのツケを国民が払わされることになるのは眼に見えています。初めこそ反発も激しいでしょうが、長期的視野に立てば、やはり増税に踏み切ったほうが上策なのではないかと……そのためには国民への充分な説明も当然必要でしょうが。その点いかがです? 軍部ぐんぶ大臣」


 話を向けられ、軍部大臣ゴルバンは軽くうめいて首を振った。長い顎鬚あごひげが胸許に擦れて音を立てる。判断に迷っているのだろう、広い肩幅がやけに小さく見える。無骨というかバカ正直というか。

 と、右隣から微かな溜め息のような物音が聞こえてきた。文部もんぶ大臣のピートに違いない。


「どうかしましたか、文部大臣」早速聞きとがめるエトリア。「理由はともかく、大事な会議中に溜め息とは、感心しませんね」


 この手の追及の苛烈かれつさは、チェリオーネに匹敵するものがある。美人の部類に入る相貌ながら、その眼光はどこまでも冷たい。

 当のピートは机上の紙に視線を向けたまま、


「いやね、この見積書に盛り込まれてない内容の話だから、どこか余白にでも書き込んでおこうと思ったんだけど、よくよく考えてみたら書き留めるほどの内容でもないなと思って」


 口調はあくまで軽めだが、舌鋒は鋭い。


「そりゃまたどういう意味でっか?」


 財務相の野太い声が飛ぶ。


「言った通りの意味ですよ。こいつは予算審議の名を借りた増税決議でしょ。書き留めるまでもない、俺は反対に一票。以上」


 素晴らしい。評議員随一の皮肉屋らしい、見事な一撃。


「文部大臣、それは困りますな」異を唱えたのは外務相ジールセンだった。「いや、増税案に反対なのは君と一緒だが、その態度にはいささか問題がある」

「態度の違いが議論に支障を来すようなら、そんなの最初から大した議論じゃなかったってことですよ。正論こうが悪態こうが、反対は反対です。意図するところは一緒ですんで。以上」


 切り返しも申し分ない。さすが親議長派の急先鋒。いいぞピート。


「なんとも投げやりな言い種ですね」公安相エトリアが言う。「議長の隣にずっと座ってるせいで、悪い癖が移ってしまったのじゃないかしら」

「やれやれ、今頃気づいたんですか公安大臣? そんなのとっくの昔のことなんで」


 なんだそりゃ。席のここそこから失笑が洩れる。コラコラ俺をダシにして笑ってんじゃねえ。会議の真っ最中だぞ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 毎月最後の安息日に、当共和国首都〈春風と果実の都〉の宮廷内にて催される定例評議会。とりわけ今月……三の月は来年度の予算審議も併せて行われるため、今年一年の国政を占うという意味において、年間を通じて最重要の会議といっても過言ではなかった。ただし、内容はどうあれ会議の時間がわずらわしいことは変わりないし、あまりにも一つの要件にかかり切りだとほかの議題まで皺寄せを喰いかねない。


「大体、外務大臣は新しい官邸の増築で資金が入り用なのとちゃいます? 増税は願ってもないことだと思うんですがねェ。千客万来好機到来でっしゃろ」

「そ、それとこれとは関係ないですぞ。何を急に」


 狼狽うろたえるジールセン。

 なるほど、こいつ金に困ってるのか。憶えておこう。要注意だ。


「第一、税金は国庫に充てられるのであって、わたしの懐になど一ポォたりとも入りませんぞ」

「あーもういい判った」


 円卓の反対側で応酬する二人を手と声で制し、俺は傍らで議事録を記しているこちらも二名の書記官にそれぞれ目配せした。

 これ以上ずるずると議論していてもらちが明かない。持てる限りの力を注ぎ込み、適当に片づけてやる。


「お互いの言い分はよーく判った。けどな、今ここで結論を下すのは性急だと思う。第一、具体的な税率を定めるには、どうしたって時間がなさすぎる。予算案も然り。増税云々の決着後でなければ固めようがない」


 しばし間を置く。後の言葉をより効果的なものにするためだ。刹那の沈黙に、森閑と静まり返る〈円卓の間〉。

 それにしても。

 常々思っていることだが、なんなんだこの部屋の不必要な広さは。今の面積の半分に切り詰めてもまだ広い。出入り口からこの円卓までだってかなり歩くし。ていうか俺の席が一番遠いのも釈然としない。真っ先に退席したいのは、多分この俺なんだぞ。

 四年前まで、護民卿ごみんきょうはこの広い部屋を独占していたのか。おおかた重臣を集めてお茶会でも開いてたんだろうな。優雅なこったよ。

 誰かの咳払いで、横道に逸れていた意識を会議に戻した。そうだ、早く片づけないと。


「では、三重に偉大な我が共和国の象徴、この円卓の座に懸けて」


 机に両手を乗せ、故意に声色を変える。まあ単に雰囲気の問題だ。他意はない。


「民意の代表として集いし諸君らに問う」

「おう!」


 残りの議員たちも気勢を上げる。


「増税案並びに予算審議に関し、二週間後に臨時評議を行いその場にて結論を出すことを、評議会議長ライアはここに提案する」


 そして腕を組み、椅子に反り返る。威厳の見せ所だ。


「異のある者はそこを動くな、そして賛同する者は立ち上がりて賛意を示せ!」

「おう!」


 更に声を重ね、幾人かがすっくと席を立つ。

 慣例として書記官がいちいち数え上げるが、そのくらいぱっと見で判る。賛成が四に反対が三。


「賛成四名、反対三名です」

「裁定はここに下った。賛成多数により本案は可決とする」


 あ、あぶねー。

 辛くも可決に持ち込めたか。まあ僅差だろうがなんだろうが、可決は可決だ。その価値になんら差異はない。評議会の決定は絶対にして不変、覆すこと能わずなのだからな。


「議題は尽きた。これにて三重に偉大なる議会を解散する!」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 議員らは思い思いの様子で円卓より離れていった。これで俺もようやく一息吐ける。今日は特にしんどかったわ。

 さて、野暮用も済んだことだし……。

 残務処理に追われる書記らを残し、そそくさと〈円卓の間〉を出た。そのまま私室で休憩を、というささやかな目論見は、戸口の陰からひょっこり現れた姫君にあっさり破られてしまったのだけれども。


「ゲッ……これはこれは姫君。いかがなされた」

「ゲッとは何よ、ゲッとは」


 豪奢な巻き毛に彩られた金色の頭部を揺すりながら、神官長猊下しんかんちょうげいかのご令嬢であらせられるマリミ姫は形のいい唇を尖らせた。


「会議って、どうしてこんなに時間がかかるの? わたくしもうすっかり待ちくたびれたわ」

「くたびれたのは俺も一緒ですがね。一刻も早く誰もいない別室で休憩したいわけで」

「まあライア。あなたはずっと柔らかい椅子に腰掛けてらしたんでしょう? わたくしなんか一時間以上立ち通しよ。わたくしほど疲れていないはずだわ」


 なんつー暴論だよ。そりゃそっちが勝手に突っ立ってただけの話じゃないか。

 と、廊下にいた文部相ピートが、


「おやおや、議長に姫様ではございませんか。こいつはどうも。大変仲のよろしいことで」


 ここぞとばかりに冷やかしてきやがった。隣にいる労働相フィオまでもが、控え目にではあるが口許に含みのある笑いを浮かべている。


「議長殿、ここは一つこのピート様の顔に免じて、姫様の望み通りにして差し上げてはいかがかな」

「なんだよ望み通りって」

「そいつは姫様自身に訊くべきだ。俺の想像を遥かに超えるものだろうけれどね」

「あら文部相殿」姫君は気分を害したように頬を膨らませ、すぐに言葉を継いで、「そこいらのワガママ女どもとわたくしを、一緒くたにされては困るわ。わたくしはただ、話を聞いてもらいたいだけ。些細な身の上話よ」


 嘘だ。何が身の上話なもんか。俺は一番の被害者だからいやというほどよく知っている。

 確かに身の上に起きた話であることは間違いないが、それはもっと否定的な感情に溢れたものだ。口を開けば側近がうるさいだのお爺様が厳しいだの、自分が属する神官団の愚痴ばかり。心身共に疲弊しきった状態で不平不満をぶつけられるのは、たとえそれが自分に直接関わりない事柄であってもなかなかに堪えるものだということを、この温室育ちのお嬢さんは理解できないらしい。

 政府を叩く民衆。神官団を叩く姫君。満足できない現状に、身分の差はさほど関係ない。人という生き物は、愚痴をこぼさずにはいられないように創られているようだ。がしかし、何故に彼女の不満のけ口は決まってこの俺なんだ?


「よっぽど気に入られてるんだね、ライア議長」


 フィオがそんな恐ろしいことを言ってきた。気に入られてる?


「おい、冗談じゃないぞ」

「うん、冗談じゃないよ」


 そうじゃないっての。齢が俺と近く、評議員の中でも親議長派と目される二人にいいようにからかわれ、俺はにわかに孤立した。暗澹あんたんたる思いだ。まあ、それが軽口で済んでいるのは、相互に信頼し合っている何よりの証左でもあるのだけれど。

 こうなったら、その友情を逆手に取って巻き込んでやるか。


「よっしゃ判った。フィオにピート、今日はお前らも残れ。姫君のありがたいご高説、お前らもたまわりたいだろ?」

「お断りします」


 素っ気なく言い返すフィオ。


「ご両人の邪魔をしちゃあれですから」

「右に同じく」


 と呟いたのち、白手袋に覆われた姫君の手を取りうやうやしく挨拶を交わすピート。


「それではご機嫌よう。麗しの姫様」


 なんて調子のいい奴だ。しかもそう言いながら既に脚は帰りの方向をしっかり向いていやがる。は、腹立たしい。そんなに帰りたきゃ、とっとと帰りやがれってんだチキショーめ。

 去りゆく両名の背中に心中呪詛じゅその言を吐きつけたが、大して効果はないだろう。俺に呪いの力は皆無だし。まあこの程度のことで呪われても、それはそれで困る。

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