第6話 古き良き新しいセキュリティ ver.1.11(完結)

古き良き新しいセキュリティ


 科学の進歩とは早いもので、新技術を使った製品は最初こそ値段が高いものの、だんだんと安くなり、ある時期を境に誰でも買えるほどに格安になるものだ。指紋や瞳の模様を鍵として用いる生体認証技術もそのうちの一つである。「家の鍵を持ち歩く」なんてものは前時代的な文化で、いまやこの国の錠はすべて生体認証による開錠システムだ。鍵を無くしてしまって家に入れないとか、出かける前にどこに置いたか忘れた鍵を探し回る必要もない。そんなわけで、鍵屋は時代に合わせて生体認証の技術をなんとか学んでやっていくか、そうでなければ職を変えるしかなかった。

 ここにも、職を失った男がひとり。


「なんだあの指紋認証と言うやつは。鍵を差し込んでカチャカチャやるあの感じがいいんだろうが。で、植木鉢の下に隠したり、ポストに入れたりしてよお。あの古きよきカラクリの良さがなんでわからないかなぁ。」


 男は決して頭が悪いわけではなく、指紋認証の技術も習得していた。しかし男がこの仕事を選んだ理由は、まだ電気がない時代の様々な知恵と趣向を凝らして作られた機械仕掛けのカラクリ錠に魅せられたからであった。従って指紋さえ合えば、単純な電気信号のオン・オフで錠が開いてしまう最近の製品には面白さを全く感じていなかった。


「よし、世の中の奴らに、生体認証なんて役に立たないことを知らしめてやる。」


 男は生体認証技術の脆弱性を証明するため、最新の最高級の生体認証錠を突破して、おまけにちょろっと小遣い稼ぎをすることを思いついた。つまり、泥棒である。このあたりでは有名な金持ちの豪邸に忍び込んで、それをマスコミに取り上げてもらおうと考えた。


 まずは、指紋採取である。男は作業服を着て、高台にある豪邸に向かった。そして、呼び鈴を鳴らした。


「すみませーん。掃除屋ですが、あなたのお家をピカピカに、してみませんか?」

「あら、掃除屋さん?あいにくうちは間に合ってるのよ。悪いけど帰っていただけるかしら?」


 気取った話し方をするのが、いかにも金持ちの妻という感じだ。


「まぁまぁ、奥さん。ちょっとこれだけでも見て、決めてくれませんか?この門をサッと40秒でピカピカにしてご覧にいれましょう。もちろん、気に入らなければお代は頂かずにすぐに帰りますから。」

「本当にそれだけの時間で終わるのかしら、少し気になるわね。」

「では、さっそく始めましょう。」


 男はテキパキと門を磨き、予告通り40秒で門のサビをピカピカにして見せた。男は趣味で古いからくり仕掛けの錠前をたくさん集めていたが、ただ集めていたわけではなく、ちゃんと動作するように細かいところまで磨いて保存していた。この程度のサビ取りなら、朝飯前だった。


「すごいわね。キッチンもお願いしようかしら。」

「ありがとうございます。失礼いたします。」


 難なく豪邸に入った男は、掃除という名の指紋集めをその隅々までおこなった。


「奥さん、キッチンのしつこい汚れはね、この接着剤を塗ってから、剥がすと…ほら汚れがごっそり取れた。」


 奥さんの指紋もごっそりである。


「お父さんの書斎も埃がかなり溜まってますね。おや?この前掃除した?いいえ、まだ全然ダメですよ。」

「お子さんのおもちゃ、毎日触るからこそ、綺麗にしておかなくてはいけません。」


 次々に掃除をして家族全員の指紋を集め終えた。最後に飾ってある家族写真もカメラで撮っておかなくては、ここの錠前は目の模様、つまり虹彩を認証する機能も付いている。それも複製して、コンタクトレンズを作っておかないと…

 と、そこでこの家の主人と子供が帰ってきたようだ。


「おや、また知らない人を家に上げて、着物とか、壺とか買ったのかい?」

「いいえ、あなた、掃除屋さんよ。キッチンを見てみて。」

「おお、これはまるでここに引っ越してきた時みたいにピカピカじゃないか。」

「喜んでいただけたようで、良かったです。」

「綺麗にしてくれてありがとう。ところで君のその肩にかけているカメラ、話題の超高解像度カメラじゃないかね?」

「そうですが…何か?」


 盗撮しようとしているのがバレたのだろうか。いやそんなはずはない。


「いや、せっかくだ。それで家族写真を撮ってくれないかね?新しい庭を造ってもらったばっかりで、その記念にね。そのカメラの性能も知りたいところだった。」

「ああ、なるほど、もちろんです。写真は後でお送りいたしましょう。ペットのネコちゃんも一緒に撮りましょうか?」

「いや、いい。彼は写真が苦手でね。写そうとしても逃げてしまうんだ。」


 労することなく、虹彩複製用の顔写真も手に入れた。運も味方しているようである。


 そうして男は採取した指紋つき接着剤を仕事場に持ち帰り、超高解像度のカメラで撮影した。その指紋画像を透明フィルムにレーザプリンタで印刷。印刷されたシートには指紋の形のごく小さい凹凸がある。その上にボンドを流し込むと、あっという間に指紋の複製ができあがりである。瞳の虹彩の模様も、コンタクトレンズに印刷をした。家族全員分、これで楽勝だ。と、男は確信した。


 そして作戦決行当日、豪邸の家族の旅行している間にさっさと正面から鍵を開けて入って堂々と鍵を開けっ放しで出て行く、というのが男の予定だった。その作戦とも言えないシンプルな手口に、男の自信が表れている。

 まず、門は錠が一つ、妻の方の虹彩を複製したコンタクトと妻の指紋を指につけ、指紋認証と虹彩認証を行った。すると錠が開き、門は男を受け入れた。あまりにすんなりと入れたが、男は当然、という感じですたすた玄関のドアまで歩いていく。しかしそこで、この豪邸のもう一匹の家族と目があった。この前の写真が苦手な猫である。古き良きセキュリティである番犬の代わりの番猫と言ったところか、ただし猫ではその役には立てないだろう。


「お前、留守番か。寂しくないのか。」


 と男は言ってみたが、猫の方はもう男に興味を失ったようでトコトコと歩いて、庭の池の水を飲み始めた。


「犬じゃなくて良かった。」


 男はそう思い、猫の方は気にしないでドアの解錠作業を続けることにした。ここは錠が上下二つだ。上の鍵は先ほども使っていた母親の方の指紋と虹彩で解錠出来た。しかし、下の方が上手くいかない。ならば、息子の身長に合わせて作ったものだろうと当たりをつけ、息子のもので生体認証を試してみたが、全く開く気配がない。では父親のかと思い、父親の瞳と指紋でやったが、何も起こらない。おかしいぞ。家族は全員で3人のはずだし、そもそも母親のだけで錠は開くはずだったのだ。長期旅行だから特別に3人の指紋と瞳を揃えないといけないとも考えたが、それも違ったようだ。あとは、錠を分解するか、電線をほじくり出して偽物の信号を流すか、だが両方とも非常ベルが鳴るリスクがあった。そして盗むだけなら他にも窓を壊すなどの方法があったが、男の目的は錠を開けること自体であったので、これ以上有効な策を思いつけなかった。


「くそっ!」


 男は悪態をつきながら、本当は開けっ放しにするはずだった玄関の上の錠と門の錠を設定し直して閉めて、また挑戦することにした。ただ、男の確固たる自信は揺らぎつつあった。まさか自分の技術でも開けられない錠があったとは、果たしてあの錠は何で開くのだろうか。今度は近所の友達関係も調べて、その指紋も試してみるかと考えていたら、玄関の方からニャー、と鳴き声がした。そちらを見てみると先ほどの猫が、下の錠に手を乗せて認証カメラに顔を近づけている。そしてこちらをあざ笑うようにちらっと見た後、自動で空いた扉から家の中に入っていった。ドアは当然、すぐ閉まった。

 さて、写真嫌いの猫をどうカメラに収めるか、考えなくてないけないな。これは骨が折れそうだ。と男は思った。

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