第35話 幕間

「澪さん。ちょっと一発俺を殴ってくれませんか。」

「よし来た。」

静かに音楽の流れる店の中で、みながクスリと笑う。リクさん一人だけ、慌てている。

「ちょっ、澪さん待って!こないだもう大切な人のためにしか拳を握らない、ってナツミさんに誓ってたじゃないですか!!せめて左手!右手じゃユキ君死んじゃいます!」

「いやだって、常連が頼むから…。ダメですか?ナツさん。」

「別にいいわよ。」

「それでもちょっと待ってください!ユキ君も澪さんもストップ!巧さん!!!!」

澪さんは、女子と見まごうほどに華奢で美しい人だが、腕は誰よりも立つ。

「入っておいで。ユキ君。とりあえず、話を聞かせて。」

いつも通り微笑んだ巧さんにいつもの席ではなく、カウンターに誘われる。

「まだバータイムじゃないけど、特別ね。」

この店の美しさは、特別だ。店員目当てで訪れる客がいるというのもうかがえる。三人ともどこか憂いを帯びて美しい。顔はとびぬけて澪さんがいいが、リクさんと巧さんも普通に綺麗な人だ。ただ、憂いが強いからなかなか直接的な人は現れないけれど。

「店のほういいんです?」

「ちょうどおひとり帰られてね。夜の部に切り替えようとしていたんだ。表にもCLOSE出てたでしょう?」

「気づかなかった…。」

「ユキ君は常連なんで特別です。」

僕のことをユキと呼ぶ、唯一の場所。タクミとタクマは響きが似ている。分かりづらい。ただそれだけの理由だったけれど、それだけで俺にとって特別だった。俺たちの空気を読んだか、ナツミさんが声をかけてくる。

「巧、澪、リク。少し買い物に行ってくるわ。」

「ありがとう。ナツミ。」

「どういたしまして。夜が始まる前には戻るわ。何かあったら連絡して。」

ナツミさんが店から出ていく。

「さて、ユキ君、話してくれますか?」

巧さんは俺の前にコーヒーを置いてくれる。

「話したら喝入れてくれます?」

「もちろっ…。」

「澪さんはやめてください。ユキ君が死にます。やるなら僕がやります。」

澪さんの言葉を遮ってリクさんが言葉を継ぐ。

「ユキ君。死にたくなければ、本当に澪さんだけはやめたほうがいいですよ。澪さん、尋常じゃなく、強いから…。」

「僕だって力加減くらいできる。」

「それでもです。」

どこか不満そうな澪さんをリクさんがたしなめている。

「必要なら僕が喝でもなんでも入れますから。良ければ話してください。君が澪に殴られに来ようとした理由を。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る