南京虫 ③

 家に帰ってからパソコンで戦前のことを少し調べてみた。

 封建時代の結婚のことやシベリア抑留のことも……おばあちゃんも、『芦田時計店』のおじいさんも、日本にとって大変だった時代を生き抜いてきたのだと実感した。

 あの『芦田時計店』は町名変更で分からなかったが、実はおばあちゃんの生家のすぐ近くだった。会おうと思えば、いつでも会えたのに……頑としてねつけたのは、気骨きこつある大正生まれの女だから?


 好き同士なのに、一緒になれなかった二人――。

 誰を恨むこともできない、激動の昭和と戦争のせいにするしかないだろう。


 一週間後、『芦田時計店』に時計の修理を取りに行ったら、お店の扉に『喪中もちゅう』の紙が貼ってあった。不幸があったみたいだし帰ろうかと店の前で迷っていたら、ふいに扉が開いて人が出てきた。

 若い男性だったが、扉の前に人が立っていたので驚いた様子で、

「あ、すみません」

「いえ、こちらこそ」

「何かご用でしょうか?」

 男性は扉の『喪中』の紙を剥がしていた。

「修理の時計を取りにきました。……あのう、誰がお亡くなりになられたのですか?」

「祖父です。三日前、朝になっても起きてこないので様子を見にいったら眠るように亡くなっていました」

 その言葉に驚いて、私は絶句した。

 まさか『芦田時計店』のおじいさんが急に亡くなるなんて……。

「あんなにお元気そうだったのに……」

「高齢でしたから、心臓も弱ってきていました」

「先日、お邪魔した時にはたくさんお喋りをして……」

 元気そうだったおじいさんの顔を思い出して、胸が詰まった。

「実は前の晩に変なことを言っていたんです《逢いたい人に会えたからもう満足だ》そういって寝たら……翌朝に死んでいました」

 おじいさんは、千鶴ちづるさんの時計に会えたのが嬉しかったのかな?

 

 若い男性は、私を店内に招き入れて修理済みの南京虫を渡してくれた。腕に付けてリューズを巻くとおばあちゃんの時計が再び動き始めた――。

 ふと見ると、若い男性の腕にも古い時計があった。

「その時計は……?」

「祖父の形見です。戦前に買ったものらしいのですが、大事にしていたので僕が貰いました」

 大きさは違うが、祖母の南京虫と形がよく似ている。もしかしたら、この二つの時計はお揃い(ペア)だったのかも……しれない。

「この南京虫も祖母の形見なんです」

「ああ、だからそんな古い時計をもっていたんですね」

 その男性は同類を見つけたとばかりに、白い歯を見せて笑った。

「祖父と僕とは血の繋がりはありません。彼は生涯独身でしたので……芦田家の遠縁にあたる孤児だった僕の母を養女として育ててくれたのです。おじいちゃんは時計職人の腕はピカイチだったし、誰に対しても心の広い、優しい人でした」

 きっと芦田さんと結婚していたら、もっと幸せな人生を歩めたかもしれない。――そう思うと、おばあさんが可哀相だった。

 たぶん芦田さんの方も千鶴さんと結ばれていたら、生涯独身を貫くこともなかっただろう。運命の歯車が噛み合わなくて、不本意ふほんいな生き方しかできなかったのだ。

 あの時代に生まれた二人は、自分たちの意志で結婚することができなかった。――でも、今の時代なら違う。

「うちの祖母と芦田さんは幼馴染だったみたいで……」

「その南京虫は、おそらく祖父があなたのおばあさんに贈ったものではないかと思う」

 彼もやはり気づいていたのだ。この二つの時計がペアになっていることを――。

「僕はおじいちゃん子でね。この時計店も僕が継ぐことにしたのです」

 おじいさんの時計を見ながら、優しい笑みを浮かべて語る。その横顔に、言いようもなく親近感しんきんかんが湧いてきた。 

「私も大のおばあちゃん子でした」

「あなたも……」

 初めて二人は、まじまじと相手の顔を見た。二つの時計が時空を超えて、孫同士を引き合わせてくれたのだ。


 その時、私の南京虫と彼の時計が新たな運命の時を刻み始めるのを予感した――。



                 ― 完 ―

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