南京虫 ②

 祖母の形見の時計は壊れているようで、ネジを巻いても動かなかった。

 近所の時計屋に持っていったら「こんな古い時計はうちでは修理できない」と断られてしまった。ゼンマイや古い部品が現在では手に入りにくいらしい。どこか修理してくれる所はないですかと尋ねたら、「芦田時計店のご主人なら古い時計が直せるかも知れない」と言われた。

 さっそく教えて貰った住所を頼りに『芦田時計店あしだとけいてん』へ向かう。そこは車で三十分くらいの距離だった。


 そのお店は洒落た煉瓦作りのレトロな時計屋さんで、ショーウインドウにはアンティークな時計ばかり飾られていた。店内に入ると、カウンターの奥でおじいさんが一人、眼にルーペを付けて時計の修理をしていた。

「いらっしゃい」

 私に気付いたおじいさんが気さくな笑顔で迎えてくれた。

「あのう、この時計を修理して欲しいんです」

 桐の箱に入った祖母の時計を渡した。

「おや、南京虫じゃないか? 戦前に流行った婦人用の腕時計のことだよ。若いお嬢さんが持っているのは珍しいね」

「これは祖母の形見なんです」

「そうかい、だったら直してあげようね。ひとつだけ部品が残っている、それでお終いだよ……」

「お願いします!」

千鶴ちづるさんのお孫さんのお願いだから断われないなあー」

 そういって、おじいさんがニヤリと笑った。

「えっ? どうしておばあちゃんのを知っているんですか!?」

「この時計を千鶴ちづるさんに贈ったのは、この私だからだよ」

「……本当ですか?」

 突然の話に私は茫然ぼうぜんとしてしまった。いったいこのおじいさんは何者なんだろう?


「――もう故人こじんだというなら、話しても構わないだろう」

 おじいさんは南京虫を眺めながら、ひとり合点がてんをするように呟いた。

「戦時中の話だよ。千鶴さんとは同じ町の出身でね。幼馴染だったが、大人になったら千鶴さんをお嫁さんに欲しいと思っていたんだ。だけど、昔のことだから家柄が合わないからと千鶴さんの親に縁談を断わられてしまってね。その内、私に赤紙がきて出征することになったんだ。その時、千鶴さんに南京虫を渡した。戦地から生きて帰れたら……きっと迎えにいくからと……」

「――そうなんですか」

 初めて入った時計屋さんで、若い頃の祖母の話を聞かされるとは思ってもみなかった。しかも、その話はおばあちゃんが生前、私に喋ったこととかぶるのだ。

 もしかして……おばあちゃんの霊がここに導いてくれたのだろうか。

「シベリアに抑留されて……ようやく日本に帰ってきたら、千鶴さんは嫁にいっとった。あはは……」

 おじいさんは自嘲じちょうするように空笑いをした。

なんじゃよ――。特攻隊に志願したが戦争末期でね。もう機体が足りなかった。満州の方で戦ってる内に終戦がきて、武装解除して投降したがロシア兵に掴まって、そのままシベリアに三年も抑留されてしまった」

「生前、祖母に生きて帰ったら結婚しようと誓った人がいたと聞いたことがありますが……もしかしたら芦田さんのことですか?」

「ほおー、私のことを聞いておったんですか?」

「ええ、亡くなる少し前でした。祖母は海の近くの老人施設に入居していて、毎日、特攻隊で亡くなった人を供養くようしていると……」

「えっ? 供養ですか? オカシイなあー、実は戦後二度ほど会ってるんですよ」

「えーっ! まさか? それ本当ですか!?」

 その言葉に私は心底驚いた。

 特攻隊で戦死したように、私には話していたくせに……戦後、二人は再会していたなんて……。いったいどういうことなんだろう?


「シベリアから日本に帰ってきて、すぐに探したんです。空襲で私の生家も千鶴さんの家も跡形なく焼けてしまっていました。あっちこっちに尋ね歩いて、やっと千鶴さんを見つけたら、すでに結婚してお子さんも二人おられた」

 祖母は最初に長男を生んで次に長女が生まれた。おじいさんが見た二人の子供とはこの子らのことだろうか。

「あれは晩秋ばんしゅうだったなあー、庭先で七輪ひちりんに火を起こして秋刀魚さんまを焼いてなさった。背中に赤ん坊を背負って、足元には小さな男の子が遊んでおった。垣根から私が覗いていたら、こっちに気づいて私の姿を見た瞬間、まるで幽霊を見たように凍りついておられた。いやはや、私が死んだとばかり思っていたので、千鶴さんはさぞ驚いたことでしょう」

 おじいさんは一人ごちて、懐かしそうに語っている。

「じゃあ、その時に祖母と顔を合わせたんですね?」

「ええ、生きて帰ってきたことを告げました。そして、生家の近くで時計屋を始めたことも話しました。私の家は代々時計屋だったんです。封建時代は商家は卑しい身分だといわれて、それが原因で千鶴さんの親に結婚を反対されたくらいですから……」

 どうして? おばあちゃんは『芦田時計店』のおじいさんが死んだことにして、私に話して聞かせたんだろう。

「二度会ったとおっしゃったけれど……」

 なんか腑に落ちないことばかり……。

「そう、あれからひと月くらい後にね。千鶴さんの方から私の店に訪ねられました。戦後でまだバラックの建物でしたが……。この南京虫なんきんむし分解掃除ぶんかいそうじしてくれと頼まれた、昔の腕時計は一年に一度くらいメンテをする必要があるんです」

 そういって、祖母の時計の裏ぶたを見せた。そこには『昭和二十三年 芦田時計』と記してあった。

「――たしか、三歳くらいの可愛らしい男の子を連れておられたが、あの子もずいぶんいい年になったことでしょう」

 一緒に連れていたという子供は、たぶん亡くなった長男のことだと思う。

「長男は三歳でチフスで亡くなったと聞きましたが……」

「そうでしたか……」

 おじいさんは神妙しんみょうな顔をして頷いた。

「そのせいかなあ? 実はこの南京虫の修理が終わっても、千鶴さんは引き取りに来なかった。一週間経っても、ひと月経っても、まだ来ないので直接届けにいったんですよ。実は千鶴さんに会いたくてね。……それが家の中に人影が見えたけれど、私が呼んでも出て来なかった」

居留守いるす?」

「きっと、会うのがたばかれたのだろう」

「近所の目もあるから――」

「さあ? それで仕方なく、郵便受けに時計を入れて帰りました」

「きっと芦田さんのことが好きだから会うのが怖かったのかも知れない」

「いや……あははっ」

 若い娘に冷やかされて、おじいさんは照れ笑いをした。


 おばあさんは供養していると言っていたが、死んでもいない人の供養をなぜする必要があるんだろう?

 あっ! その時、私の頭の中で一つの仮説が浮かんだ。

 たしか、長男が死んだのは芦田さんと会った時期と重なる。もしかしたら、昔の恋人と会うのに長男を連れていって、その子がチフスに罹って死んだから、おばあちゃんはが当たったと思い込んで、罪悪感を持っていたかもしれない。

 浮ついた気持ちのせいだと後悔して、芦田さんとは二度と会わないと決心したのだろうか。――だとしたら、おばあちゃんらしい。

 そういえば、この南京虫を人前で付けているのを一度も見たことがない、遺品整理するまで知らなかったし、きっと過去を封印したかったんだ。そして自分の心の中では、芦田さんは特攻隊でということにして幕を引いたのだ。

 ――根拠はないが、そう思えて仕方ない。祖母はちょっと変わった人だったから……。 


 しばし自分の思考に没頭ぼっとうしている間、おじいさんはルーペで祖母の南京虫を点検していた。

「一週間後に取りにきてください。年のせいで、めっきり目が悪くなって根を詰めて修理ができなくなってきたので……」

 祖母と同じくらいだとすると、おじいさんも相当な高齢だろう。

「この南京虫は出征する前夜に千鶴さんに手渡した。シベリア抑留中は再会できることを生きがいにして、飢えと寒さと過酷な労働に耐えて生き延びたんだ……じゃが、日本に帰ったら人妻になっとった。あはは……」

「す、すみません」

「いやいや、恨んではおらんよ。当時の娘は親の決めた相手としか結婚できない時代じゃった。今みたいに自由恋愛なんぞ、滅相めっそうもないことだ」

 昔の人は見合い結婚が当たり前で、自由結婚は堅気かたぎの娘がすることなかったらしい。修理を頼んでお店を出ようとすると、

「あんたは若い頃の千鶴さんにそっくりじゃった」

 おじいさんが嬉しそうに手を振って笑っていた。

 その言葉にちょっと照れながら、私は『芦田時計店』のドアを閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る