隴を得て蜀を望む 其の三

 果して、その夜――。

 斎姫は敗戦国の姫として、敵の君主に蹂躙じゅうりんされるという恥辱を味わうが……命が助かっただけでも善しと思い、どうせ女の身ゆえ、男の言いなりに生きるしか術がないのだと諦めて……父の仇に、その身を任せた。

 まだ若くけがれを知らない斎姫をことのほか劉操は気に入り、自分の後宮へ連れて帰った。

 その折り、側仕えの侍女たちを十人ほど連れて行きたいと所望された。娘みたいに若い斎姫には、さすがの劉操もすっかり甘くなって、なんでも望み通りに許した。

 後宮に入ってからも、劉操の寵愛が特別に深いので、誰も斎姫に手だしが出来なかった――。

 元々、呂晃の娘という名家の出でもある。

 おまけに側仕えの侍女たちは皆、腕に覚えのある女傑ばかりだ。惷蘭亡き後、正室はまだ誰も決まっておらず、後継ぎの男児もまだ生まれていない。もしも、斎姫が懐妊して男児を産んだら……間違いなく、劉操の正妻になるであろう。

 そのような事態を考えて、後宮の女たちは皆こぞって、斎姫のご機嫌を取るようになっていた。

 ――そして、期待通りに斎姫はすぐに懐妊し、を出産した。


 劉操は待望の跡取り、男児誕生に歓喜して国を挙げて祝った。

 生まれた息子は劉晃りゅうこうと名付けられた。当然、斎姫は劉操の正妻になり、名実ともに後宮の支配者となった。

「劉鳳ゆかりの姫を大事にしているので、惷蘭の呪いが解けたのだ」

 劉操はそう考えた、斎姫にしか男児は生まれないと思い込み、いっそう大事にした。戦のない時には、後宮に入り浸って生まれたばかりの赤子と斎姫を愛でていた。決して口には出さないが……実は劉操は……劉鳳と惷蘭と娘たちを死なせたことを、心の奥で深く後悔していたのだ――。

 やがて配下の小国同士の小競り合いから戦いが勃発した。両国を制圧するために、劉操は戦地におもむくことになった。ようやく首が据わり、日に日に愛らしくなる我が子と若く美しい妻と離れるのは、劉操にとって辛かったが……君主たるもの私情で任務を拒んではならぬと、斎姫にうしろ髪を引かれながら、馬上の人となった。


 殊のほか、戦が長引いて……かれこれ半年近く劉操は戦地に居る。留守の間、斎姫や跡取りの劉晃は達者だろうか心配だったが……戦火が治まらず、ズルズルと半年の月日が経ってしまった。

 自国の国政も気になるので、一度、国元へ還る決心をした。わずかな、兵士を連れて劉操は帰還した。先に使いの者が知らせていたので、後宮では劉操の帰還を祝う華やかな宴が行われた。半年ぶりに見る、斎姫と我が子に目を細める劉操。赤子の劉晃は半年見ない間に、見違えるほど成長していた。劉操が抱こうとすると、人見知りをして大声で泣いた。半年も会わないのだから仕方がないかと、劉操は思ったが……やはり寂しかった。

 酒を呑み、美味い料理を食べ、傍らには斎姫と跡取りの劉晃。久しぶりの宴に、すっかり気分が良くなった劉操は《自分は貧しい村で生まれたが、今では、こうして一国の君主である。ここまで、やってきた自分は幸運な人間だった》と、つくづく思った。

 戦地から帰ってきて、緊張が解れたせいか、劉操は強烈な睡魔に襲われて、不覚にも眠ってしまった。


 なにか……鼻を突くような臭いで、目が覚めた。その臭いは今まで幾度も戦火に塗れた劉操のよく知っている臭いだ。

 ――血だ、血の臭いが鼻を突いた!


 ゆっくりと目を開けて、劉操の見たものは――。夥しい人の死体だった。宴の客たちが皆殺しされていた。後宮の女たち、子どもたち、踊り子や楽隊、警備の兵士たちも……皆、血を流して死んでいた。

 ……いったい、自分が眠っている間に何があったのだ?

「斎姫……劉晃……どこだ?」

 やっと我に戻って、劉操はふたりを探した。立ち上がろうとしたが……足が痺れて立つことが出来ない。意識はあるが、身体が動かないのだ。毒を盛られたかも知れない。

「だ、誰かぁー居らぬか?」

 かろうじて、声だけは出るようである。すると人の気配がした――。

「お目覚めですか?」

 部屋の隅の暗がりから、若い男の静かな声がした。

「誰だ、おまえは?」

「お忘れですか?」

「いったい誰だ? 名を名乗れ!」

「あはははっ」

 いきなり男の嘲笑がした、そして暗がりから蝋燭ろうそくの灯りの元へ。

「我が子の顔をお忘れですか? 父上様」

 灯りに浮きあがった、その顔に劉操りゅうそうは目を見張った! そこに立っていたのは……死んだはずの我が子、劉鳳りゅうほうだった!

「お、おまえは死んだはずでは……?」

 亡くなった惷蘭に面影がよく似た、成人した劉鳳の姿だった。

「劉鳳は死んでいません! 呂晃殿が殺すのは不憫と許されました」

「しかし……おまえの遺髪、切り取られた耳が届けられた」

「わたしのではない! あれは病気で死んだ子どもから切り取ったもの。わたしは表向き死んだことになっていますが、呂晃殿の城の奥でこうやって生きていました」

「なぜ、知らせをくれなかった?」

 意外な事実に劉操は狼狽した。

「いずれ劉操が降伏したら、その国を与えると呂晃殿は誓ってくださった。なのに……あなたの卑怯な戦略で呂晃殿は殺されてしまった」

 深く嘆いた声で劉鳳は言う。

「――だが、生きておったなら、この国の後継ぎは劉鳳おまえではないか!」

「あなたは罪もない母上惷蘭を惨い仕打ちで死なせてしまった! そのせいで憐れな妹たちも後を追ったと、わたしは聞きました。父上、あなたは自分の欲望のために、大恩のある祖父李硅や窮地を助けてくれた呂晃殿に恩を仇で返した外道げどうだ!」

「そ、それは、悪かった、許してくれ……」

 劉操の謝罪の声を遮るように、激しい怒りの声で劉鳳が叫んだ!

「父上! 貴方を許さない!」


「その男を早く殺して!」

 劉鳳の後ろから、女の声がした。その声は……?

斎姫さいき!」

 斎姫は劉鳳の傍らにぴったりと寄り添った。腕には劉晃を抱いている。その背後には、血の付いた刀を持った十数人の女傑たちがずらりと並んだ。

「父上、劉鳳と斎姫は二世を誓った仲です。斎姫は貴方のものになる前に、すでに、わたしと契っていました。――劉晃はわたしの息子だ」

「ええー!」

 劉操は驚愕した。

「すでに孕んでおったのじゃ! 呂晃の城でわらわを殿の前に引っ立てた兵士の顔をお忘れか? あれは劉鳳殿じゃあ」

「なんだと? おまえらはかったなぁー!」

「あはははっ」

 高らかに斎姫が嗤った!

「軍略家の殿が騙されるなんて……お終いですわ!」

「父上、皆の恨みです。死んで頂きましょう」

「待ってくれい! お、俺は……なぁ! 聞いてくれ……」

 さすがの劉操も、この後に及んで敵を欺く術が見つからない。


 ――そして『稀代の軍略家』の首に刀が振り落とされた。



                  ― 完 ― 

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