第85話 異世界 to 異世界


 いつ以来だろうか。これほど自分が無力だと感じたのは。まさか自分が人質に取られるなんて……だって、こうならないために力をつけたつもりだったから……

 それなのに、目の前でユウスケが敵の刺突を食らって吹き飛んでいる。全て私の所為だ。また足手まといになってしまった……


「ユウスケーーーー!」


「動くな!」


 歪な形をした剣の切先きっさきが頬に食い込む。


 許せない。許せない。許せない。こんな卑怯な手でユウスケを……


「やっと片付いた。あとは――」


 ユウスケに刺突を食らわせた女が視線を向けてきた。


「許せません。絶対に許しません」


「黙れ。お前もこれから後を追うんだ。やれ!」


 女は青い剣を振って命令する。

 多分、私を捕まえている者に命じたのだろう。

 しかし、今度はこっちに流れが傾いてくれた。


「そうはさせんちゃ」


「ラティ!」


「ちっ」


 カタールの一撃を剣で弾いたことで拘束が緩む。

 このチャンスを逃す訳にはいかない。


「ホーリーシールド!」


「くそっ」


 シールドを展開して、女を突き飛ばす。すると、敵との間にラティが割って入った。


「マルセル、大丈夫なん?」


「ありがとう。ラティ。でも、ユウスケが……」


「大丈夫。ユウスケがそう簡単に死ぬわけないんちゃ」


「はい。直ぐに癒せば……でも、アヤカが」


「任せるんちゃ。うちが何とかするんちゃ」


 ラティは表情を和らげて頷いてくれた。

 しかし、次の瞬間、目にも留まらぬ速さでアヤカを拘束する女――キラナに攻撃を仕掛ける。

 そんなラティの前に新手が現れる。


「だ~め。やらせないよ」


「くっ」


「遅いぞ、リンデル」


「ごめんごめん。それより、メルガ。状況は?」


 割って入った少女――リンデルが涼しげな表情でラティの攻撃を躱しながら、私を拘束していた女に問いかける。どうやら、メルガという名前らしい。


「上々だ。そろそろ、作戦に入るぞ。サミア、開始だ」


「ぐがっ!」


 ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべたメルガが合図を送ると、先程までユウスケと戦っていた少女が呻き声を上げ、その場に倒れる。

 腹部から流れる血の量からすると、致命傷かもしれない。


「リルレラ! 貴様、何をやっているのだ。どういうつもりだ、メルガ!」


「ん? 命じられた作戦を実行しているだけさ。というか、お前も邪魔だよ。アレージュ」


「なんだと! ぐふっ。かはっ! ニニル、お前もか」


「は~い。そうで~す。でも、今頃になって気付いても遅いで~す」


 背後から胸を貫かれたアレージュの背後に、新たな少女が出現していた。

 アレージュが憎々しげにしているけど、ニニルと呼ばれた少女は全く気にしていないみたいだ。ニコニコとした笑顔を崩さない。

 その態度で追及を諦めたのか、アレージュがメルガに視線を戻す。


「これはどういうことだ!? どういうつもりなんだ」


「くくくっ。悪いな。これも命令なんでね」


「命令!?」


 苦しげなアレージュが眉をひそめると、メルガは勝ち誇るかのように笑みを浮かべる。


「そうだ。命令だ。お前等を始末して、創造の力を持つこの女を連れて来いとさ」


「なんだと! そんなことをしても世界は良くならない。なぜ、そんなバカげたことを――」


「くくくっ、あはははは、あはははははははは」


 何が琴線に触れたのか、メルガは腹を抱えて笑い始める。

 もちろん、アレージュにとって愉快な状況ではない。それどころか、眉間の皺が深くなる。


「何が可笑しい!」


「あ~、すまんすまん。お前、本当にマナの枯渇がこいつらの所為だと思ってるのか?」


「そ、そんな……そんなはずはない。神託があったではないか」


「神託ね~。それって、神様が現れて告げたのか? 神託の信憑性はどこにある?」


「まっ、まさか……教皇が……」


「くくくっ、やっと気づいたか。だが、遅い。お前等は見限られたんだよ。いや、利用されただけさ。ああ、奴等にとって、最強聖騎士なんて邪魔なだけなんじゃないのか? 今頃、あの神子しんしも亡き者にされてることだろうし、さあ、ここで散るがいい」


「くっ、レレアラまで……」


 話の内容が全く理解できない。そもそも、襲われた理由も定かではない。ただ、敵が内輪もめを始めたのは理解できる。それに、アヤカが狙われていることも。


 仲間割れしているこの機に、なんとか状況を好転させたいのだけど、敵の数が多過ぎる……


「恨みはないですが、ここで死んでくださいで~す。最強聖騎士アレージュ、異世界で眠るで~す」


「くそっ!」


 打開策を考えている間に、ニニルが剣を振りあげる。

 でも、最早、アレージュに戦うことはできないだろう。それほどに深い傷を負っている。


それならば……


「エリアヒール!」


 瞬時に判断した。ここは彼女達に戦ってもらうしかない。


「き、傷が……もしかして、お前が……す、すまん。消えろ! ゲスども!」


「うぎゃ!」


 傷が癒されたことに気付いて、アレージュがこちらに視線を向けてきた。

 とても賢い方のようだ。直ぐに私の魔法だと気付いたのだろう。

 彼女は一言詫びると、即座にニニルに向けて青い大剣を振り切った。

 その一撃は、ニニルの身体を横に二分する。恐ろしく鋭く力強い斬撃だ。


「ニニル! ぐあっ」


「隙だらけだよ。サミア。これは細やかなお返しだよ。裏切り者は、その命を以て償うんだよ」


 リルレラが持つナイフが血濡れている。

 それは自身の血ではなく、喉と胸を赤く染めたサミアのものだ。


「ニニル! サミア! くそっ」


「まずいよ。メルガ。このままだと――ちっ、この女、しつこい」


「うるさいんちゃ。お前達は、ウチが倒すんちゃ」


 リンデルの表情は、これまでと違ってかなり辛そうだ。どうやらラティが優勢なのだろう。これなら何とかなるかもしれない。


「こうなったら仕方ない。キラナ、発動だ」


「はいはい。開け鏡よ!」


 キラナが命じた途端、背後に人が入れそうなほどの大きな鏡が現れた。

 もしかして、逃げるつもりなのだろうか。だけど、アヤカを連れていかれる訳にはいかない。

 焦りが募り始めた時だった。待ちに待った声が耳に届く。


「いって~~~! マジで死ぬかと思ったぞ」


「ユウスケ!」


 どうやら、エリアヒールで回復できるぐらいのダメージだったみたい。本当によかった。


「ほら、問題ないんちゃ。ユウスケがそう簡単に死ぬわけないんちゃ」


「き、きさま、なぜ生きている」


「もしかして、死神って不死なの? 節操がないよね」


「やかましい! それよりも、どういう状況だ?」


 喜びを露わにするラティに続き、アレージュが驚愕し、リルレラが呆れて肩を竦めている。

 彼はいつものようにふてぶてしい態度でリルレラを一蹴するのだけど、直ぐに視線をキラナに向けた。


「呑気にしている場合じゃありません。ユウスケ、アヤカが」


「ちっ、急げキラナ。リンデル、例の奴だ」


「はいはい」


「あいよ。絶対障壁!」


「逃がさんちゃ」


 まずい。障壁を展開されてしまった。いつもならユウスケの空牙で簡単に破れるのだけど、今は固有能力が使えない。

 こうなったら、障壁の向こうに残ったラティだけが頼りだけど……


「おいっ! こらっ! 綾香をおいていけ」


「はいはい」


 ユウスケが走り寄る。だけど、キラナがアヤカを引き摺って鏡の中に入ってしまった。

 それを見て、メルガが勝ち誇る。というよりも、嘲りの笑みを見せる。


「あほかっ! はいそうですかと頷くわけがないだろ。あばよ」


「くそっ、この女……え~い、ままよ」


「絶対に逃がさんけ~ね」


「ラティ!」


 メルガが鏡の向こうに消えると、リンデルも慌てて鏡の中に逃げ込んだ。

 それを追って、ラティまでもが鏡の中に入る。その途端、障壁が消え、鏡が掠れるように消えていく。

 恐らく術者が居なくなった所為だろう。


「くそっ、行ってくる」


「私も行きます」


 癒しも済ませてあるし、後のことはエルザさんに任せましょう。


 急いで鏡に突入するユウスケの手を取る。次の瞬間、空間が歪み、視界が暗転してしまった。









 乾いた風が頬をくすぐる。

 ただ、それは心地の良いものではなく、どこか味気なさを感じさせる。


「ここは? そうだ。綾香! ラティ!」


 綾香が連れ去られ、ラティがそれを追った。それを追いかけてきたんだ。

 だが、周囲を見回しても二人の姿はない。マルセルが傍らにいるだけだ。


「くっ。ユ、ユウスケ、ここは?」


 マルセルも目を覚ましたみたいだ。頭を押さえているが、特に怪我はなさそうだ。


「わからん。ただ、見慣れない景色だな。強いて言うなら、デトニスの荒野みたいなところだ」


 そう、まさに荒野だ。雑草の一本すら生えていない。


「確かに、生気の抜けた場所ですね」


 マルセルも頷くが、それよりも気になるのは、綾香とラティだ。


 マップは生きてるな。だが……


 マップに二人の印はない。

 マップの有効範囲は二十キロだ。正常に動作しているとすれば、二人は別のところに転移したということになる。

 確か、奴等は俺の所為で世界のマナが枯渇していると言っていた。それが本当なら、ここは別の世界のはずだ。

 きっと、あの鏡が別世界への転移装置なのだろう。

 おまけに、時差まであるようだ。向こうでは夕方が近かったのだが、こっちは早朝みたいな雰囲気だ。

 マップの時刻では午前九時となっているが、一日が二十四時間とも限らない。


「これからどうしますか?」


 マルセルは自分達しか居ないことを理解して、今後の行動が気になったようだ。彼女の表情には不安が浮かんでいる。

 ただ、苦痛で気を失っていた俺としては、あの時の状況を知りたいところだ。


「なあ、俺がくたばってる時、なにがあったんだ?」


「それが、私にもよくわからないのですが、仲間割れを始めて――」


 暫しマルセルの説明に耳を傾ける。

 彼女の話からすると、どうやら俺に刺突を食らわせたアレージュという女が騙されていたようだ。

 俺が原因でマナが枯渇して世界が破滅するとか言っていたが、それも嘘だったようだし、この世界はこの世界で色々と問題がありそうだ。


「ん?」


「どうしたのですか?」


 マルセルが心配そうな表情で見上げてくる。彼女には悪いが、その顔もなかなか可愛い。


「マップの表示がな。例の雰囲気なんだ」


「例のというと、盗賊ですか?」


「ああ。この速さからすると、なにかの乗り物かな。かなりの数に追われているみたいだ」


 数に関してはマップで分かるが、実際に追われているかは判断できない。


「そうなると、もちろん――」


「うむ。この世界のことも知りたいし、ちょっとお邪魔するとしようか。よいしょっ」


「きゃっ。はい」


 マルセルを抱き上げると、少し驚いたようだが、直ぐに嬉しそうな表情で頷いた。とても可愛い奴だ。


 少しばかりほっこりしながらも、一気に空に上がり、急いで目的地に向かう。

 マップの様子からして、本当に追われているのであれば、かなり切迫しているはずだ。

 ただ、移動を始めたところで、マルセルからの念話が届く。


『あの~』


 モジモジしているところを見ると、話し辛い内容なのかもしれない。

 念話で話しかけてきたのは、高速飛行中だからだろう。


『どうしたんだ?』


『えっと……ごめんなさい。私が人質になったばかりに……』


 どうやら、自分の所為で俺がやられたと、勝手に責任を感じているようだ。

 しかし、人質については、少なからず要因ではあるが、原因は自分自身の甘さだ。


『気にするな。俺自身の甘さが招いたんだ。お前が悪いわけじゃない』


『ですが……』


『いや、謝るのは俺の方だ。色々と心配をかけたな』


『そんな、そんなことはないです。私が悪いのです』


 マルセルが慌てて首を横に振る。このままだといつまで経っても終わりがなさそうだ。

 どうしたものかと頭を悩ませるが、丁度良いタイミングで目標が見えてきた。


『とりあえず、それは後だ。目標が見えたぞ』


『は、はい。あれですね』


『ああ。マルセル、取り敢えず結界を頼む。ただ気を付けてくれよ。どっちが悪者か分からないからな』


『ふふっ、それなら大丈夫です。私達が悪者ですから』


『あははは。こりゃ一本取られたな。違いない。それじゃいくぞ』


 先頭を走っているのは、変わった乗り物だった。

 そう、日本でいうところの三輪スクーターに似ているかもしれない。前に一輪、後に二輪の乗り物だ。

 そんな乗り物を危なっかしそうに運転しているのは、ローブを着た存在なのだが、フードを被っているので人相は分からない。

 後を追うように走る乗り物の方はと言えば、車のような四輪だが、外装らしきものがない。オープンカーみたいな感じだ。

 一台あたりに六人が乗車し、乗り物の数は四台だ。合計で二十四人が一人を追っている。

 まあ、マップが教えてくれるので、数える必要もない。


「あっ、先頭の乗り物が……」


「おっと、こりゃ拙いな」


 道なき荒野を走っているのだ。三輪車が不安定なのも道理だろう。

 ひび割れに車輪をとられたのか、乗り物がつんのめり、ローブ姿の運転手が放り出された。

 すると、待ってましたとばかりに、四台の乗り物が止まり、同じ格好をした者達が降りてくる。

 その雰囲気からして、どうやら兵士のようだ。誰もが帯剣している。


「いい加減諦めたらどうだ? 神子様しんしさま


「そうそう、大人しくしていれば、命まではとりませんよ」


「まあ、それ以外は保証しかねますけどね」


 神子様? もしかして巫女のことか? ということは、あのローブは女なのか? なんか嫌な予感がする。いや、それよりも、どうして悪党って似たような台詞ばかりなんだ? ほんと、ああは成りたくないな。つ~か、言語取得の能力が威力を発揮しているみたいだな。まあ、こんな下種たちの下品な台詞は聞きたくないが……


「くっ……卑劣な。恥を知りなさい」


 苦痛に呻きつつも神子と呼ばれた女が罵るが、どうやらそれは逆効果だったみたいだ。

 男達の瞳の輝きが、より一層増したように思う。


「いいですね~。連れて帰るまえに、少しお仕置きした方がよいかもしれませんね」


「確かに、ここでしつけをしておけば、少しは従順になるだろうし」


「賛成! でも、やり過ぎると、教皇から叱りを受けるかもしれんぞ」


「最悪は死んでも構わんと言われてるんだ。大丈夫さ」


「それじゃ、いただきま~す」


「こないで! 近寄らないで!」


 下種な男共が近寄るが、女は怪我をしたのか、立ち上がれないようだ。上半身を起こした状態で腕だけで後退りする。

 男共からすれば、まさに恰好のエサだろう。だが、世の中って、そんなに甘くないのだよ。


「いやで~~~~~す。ぐがっ」


「チチラエラ! 貴様っ」


 今まさに襲い掛かろうとしていた男の頭を着地点にする。

 当然ながら支えきれるはずもなく、男は新聞紙で叩き潰されたゴキ〇リの如く地に貼りつく。


「マルセル。予定通りに」


「はい」


 お姫様抱っこしていたマルセルを降ろす。

 もちろん、彼女は自分の役割を理解している。すぐさま動けない女のところに駆け寄る。

 そして、クズな男達の相手は俺だ。


「空からだと」


「誰だ! お前は」


「クズに教えてやる義理はないと言いたいところだが、特別に教えてやろう。俺は悪者だ! 少しばかり痛い目に遭って、自分の行いを反省しろ」


 異世界にきた途端から殺生というのも気が引けて、女一人に群がる二十四人には、暫くベッドの上で過ごしてもらうことにした。









 追われていた女が、丁寧な仕草で頭を下げる。


「どなたかは存じ上げませんが、危ないところをありがとうございました」


 ローブを脱いだ彼女は、驚くほどの美人で、思わず返事が遅れてしまう。

 その態度を不思議に思ったのか、彼女はコテンと首を傾げている。


「うぎゃっ」


「いつまでも見惚れていてはダメです」


「す、すまん」


 ただ、マルセルに見透かされているようだ。思いっきりお尻をつねられてしまった。

 そんなやり取りを目にしたせいか、首を傾げていた女が微笑む。


「ふふふっ、仲睦まじくて羨ましいです」


「仲睦まじいなんて……」


 言葉とは裏腹に、マルセルはとても満足そうだ。

 どうやら彼女も言葉が理解できるようだ。恐らく綾香が作った指輪の効果だろう。なんたって、ありとあらゆる能力がふんだんにもりこまれているのだ。その詳細は俺ですら知らない。

 それはそうと、彼女の礼に応えるべきだろう。


「いや、たまたま通りがかっただけだ。気にしなくて――」


「もしかして、あなたはレレアラさんではないですか?」


「えっ!? どうしてそれを……」


 俺の言葉を遮って発したマルセルの問いかけは、彼女に驚きと警戒心を抱かせる。

 それまでの笑顔が消え、彼女は一歩後ろに下がった。

 ああ、こけた時の怪我については、マルセルが既に癒している。


「あっ、すみません。私達はあなたを害する気はありません。ただ、神子と聞いて、アレージュという方とメルガという人の会話に出てきたものですから」


「アレージュを知って……まさか」


 レレアラはさらに警戒心を深め、そそくさと距離を置く。まるで忌み嫌う者から離れるかのような素早さだ。


 おいおい、まるで病原菌扱いだな。つ~か、何となく見えてきたぞ。


「じゃ、騙されてた神子ってのは、お前のことか」


「えっ!? 騙されてたって、どういうことですか」


 恐らく彼女は状況を把握していないのだろう。

俺から説明しても良いのだが、それも面倒なのでチラリとマルセルを見やる。もちろん、説明して欲しいという願いを込めて。

 それに気付いたのか、マルセルは納得の表情で頷く。


「私達は、あなた達が元凶と呼んでいた存在です」


「えっ!?」


 マルセルが話し始めると、彼女は思いっきり顔を引き攣らせた。

 その二人を放置し、既に説明を受けていた俺は、思いつく手段で色々と確認してみる。


 エルソル~。聞こえるか~。覗き魔エルソル~。変態エルソル~。う~ん返事がない。唯の屍のようだ。

 屍は冗談だとして、エルソルとは交信できないみたいだな。だったら、次は――


『ラティ、綾香、聞こえるか!? 聞こえたら返事をしてくれ』


 無反応か……そうなると、百キロ以上離れているということだな。それなら――


『ぷるる~ぷるる~、はい、綾香です――』


「綾香――」


『ただいま電話に出ることができません。お急ぎの方はピーという発信音の後に――』


 やっぱりだめか……つ~か、この待ち受けは初めて聞いたな。いったいどういう仕組みなんだ? まあいい。そんなことよりも、ラティは携帯を持ってないから、エルザだな。


『おかけになった携帯は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていません』


 エルザもダメか……というよりも、電波も電源も使ってね~だろ。おそるべし綾香……


 思わずデコ電を放り出したくなる。それを自制していると、話が済んだのか、マルセルが視線を向けてきた。


「どうでした? 誰かに連絡できました?」


「いや、だめだった」


「そうですか……」


 マルセルは残念そうに肩を落とす。

 その横では、レレアラがやたらと申し訳なさそうにしている。


「すみません。どうやら、私達は踊らされていたみたいです。色々とご迷惑をおかけして、どう詫びれば良いのやら」


「というか、俺達の言葉を信用しているのか? 騙されているかもしれないんだぞ?」


 呑み込みが良いのはこちらも助かるところだが、あまりにもすんなりいきすぎて、逆に不安を感じてしまう。

 ただ、彼女が俺達を騙しているようにも思えない。ああ、これは飽くまでも俺の勘だ。


「それについては大丈夫です。あなたやマルセルさんから嫌なを感じませんから。これは神子としての直感ですが、きっと間違えていないでしょう」


 彼女は笑顔で頷いた。その雰囲気からすると、何やら察する力を持っているのだろう。

 本気で俺達を信用しているようだ。


「信用してくれるのであればありがたい。俺は連れ去られた仲間を助けたいんだ。悪いが協力してくれるか?」


「はい。喜んで……」


 レレアラは快く頷いてくれるのだが、なにやら物言いたそうにしている。

 ただ、それについては取り合わない。彼女の言いたいことが予測できたからだ。


「あの~」


「ダメだ。悪いが、仲間を助けたらお別れだ」


「そうですよね……」


 そう、彼女はこの国のことを何とかして欲しいと思っているのだ。

 だが、それに応じる義理はない。こちとら被害者なのだ。責め立てられないだけでもありがたいと思って欲しい。

 度量が狭いかもしれないが、もう揉め事はごめんだ。


「とにかく、ここに居ても始まらない。街に向かおう」


「はい……」


 ションボリとするレレアラを見て罪悪感を感じながらも、移動を始めることにした。









 ヒンヤリとした空気が肌にまとわりつく。

 それは、決して心地よいものではない。それどころか、鼻を突く悪臭が堪らなく不快です。


「ひやっ! あれ? ここは? 確か、無限フリスビーで……」


 頬に落ちた雫の冷たさで目を覚ましたのだけど、ここが何処なのか全くわからない。


「というか、どうみても牢獄のような気がするんですが……まさかね」


 取り敢えず現実逃避に走るのだけど、三方が石の壁で塞がれ、一方には鉄らしき格子がある。誰が何と言おうとも、これは間違いなく牢獄だろう。


『そのまさかなんちゃ』


「えっ!? その声はラティ?」


『アヤカのバカ! 声を出したらダメなんちゃ』


『うっ、バカ……いえ、それよりも……』


 バカと言われて、少しばかり悲しくなるが、いまはそれどころではないと自分に言い聞かせる。

 ラティはパーティーアイテムを使った念話で話しかけている。

 ここが牢獄だからこそ、気を遣ったのだと思ったのだけど、それは少し違ったみたい。


『ラティ、どこにいるの?』


 そう、どこにもラティの姿はない。それを不思議に思うのだけど、彼女の居場所は直ぐに判明した。


『ここなんちゃ。下を見るんちゃ』


 言われた通り視線を降ろすと、そこに一匹のネズミが居た。真っ白なネズミで、後ろ足で立った姿がめちゃめちゃ可愛い。


どうやら固有能力で変身しているみたいね。いえ、それよりも、現在の状況が気になるところですね。


すぐさま思考を入れ替えて、状況把握に取り掛かる。というのも、悪臭が酷くて鼻が曲がりそうです。


『いったい何があったのですか?』


『アヤカが気絶している間に連れ去られたんやけど……う~ん、説明がめんどうなんちゃ。それよりも、とにかくここから逃げるんちゃ』


 とても残念なことに、私の疑問はめんどうの一言で切って捨てられてしまった。

 でも、彼女がそういうのなら頷く他ない。だけど、どうやって逃げ出せばよいのだろうか。いや、アイテムがあるはず。

 アイテムポケットを調べてみると、何一つなくなっていない。ポケットの中にいれていたデコ電はなかったけど、どうやらこっちは気付かれなかったようだ。まあ、私以外が使えないようにロックしているから、当然と言えば当然だけど。


『じゃ、派手にやりましょうか。うきゃ!』


 ロケットランチャー片手に景気づけしたのだけど、ネズミ化したラティがもの凄いジャンプ力で鼻を蹴飛ばしてきた。


『何をするんですか、鼻が曲がったらどうする気ですか!』


 痛む鼻を押さえてクレームを入れてみたのだけど、ネズミ姿のラティはサラリと流してしまう。


『そんなことはどうでも良いんちゃ』


 どうでもいい……私の大切な鼻が、どうでもいい……


『それよりも、多勢に無勢なんちゃ、ここは大人しく脱出するんちゃ』


 愕然とする私を他所に、彼女は淡々と話を進める。

 彼女の判断は間違っていない。ただ、大人しくと言われても、見つかってしまえば終わりだ。


『でも、どうやって?』


 当然の疑問を伝えると、ネズミがぐったりと脱力した。

 なんか、バカにされているようで、正直ムカつく。

 ただ、彼女の雰囲気からすると答えを持っていそうなので、我慢して返事を待つ。

 すると、彼女は小さな指を私に向けてきた。それは私の左手を指している。


『少しは頭を使うんちゃ。変幻の指輪は、アヤカが造ったんよね?』


『あっ、そうか。変身して逃げればいいんだ』


『はぁ~』


 それがラティと知りつつも、ネズミに溜息を吐かれて少しばかり気落ちしてしまった。

 それでも、取り敢えずこの淀んだ空気から逃げ出すべく、気を取り直してネズミに変身することにした。

 きっと、私が変身したネズミ姿は、恐ろしく可愛いはずです。

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