あなたの吐息は甘く切なく

ザ・にゃんこ

第1話 恋は泡沫の夢となりて

 俺はサイダー。

 どこにでもいる平凡な炭酸飲料だ。

 特徴といったら、少しばかり甘くて、さわやかであることぐらい。

 だけど、そんななけなしのアイデンティティも、今となっては過去のもの。

 俺の身体は夏の強い日差しに打ちのめされて、ほとんど気が抜けてしまったのだ。

 俺から炭酸と冷たさをとったら、後に残るのはぬるくて甘ったるい砂糖水。

 こんな俺にかまってくれるのは、彼女くらいのものだ。


「ふーっ、ふーっ。」


 彼女の柔らかな唇から甘い吐息が吹き出されるたび、全身に電撃が走ったかのように、身体が震えて、泡が出る。


「ふーっ、ふーっ。」


 俺の身体と彼女の唇をつなぐ架け橋まがるストローは、女神の小さく形の良い唇から湧き出る命の息吹を、余すことなく地に降ろしてくれる。


「ふーっ、ふーっ。」


 ぽこぽこと愛らしい音が響き、俺の身体から、炭酸ガスによるものではない尊い泡が、生み出されては、消えていく。


「ふーっ……はぁ、はぁ。」


 息を吐き続けた彼女は、疲れてひとやすみ。

 困ったような円らな瞳も、額にうっすらとしみ出た汗も、なにもかもが美しい。


「これで、少しは。」


 何かを期待するような面もちで、彼女は、再びストローに口をつけ、今度は、吸う。

 心地よい引力とともに俺の身体の一部がストローを昇っていき、彼女の喉へ旅に出る。


「……だめだぁ。」


 彼女は、がっくりと、丸く小さな肩を落とす。


「もう一度。」


 一息ついたあと、彼女は再び、ふーっ、ふーっ、と、息を吹き込み始める。

 しばらく続けると、疲れて休憩し、一口飲んで、だめだと唸り、再チャレンジ。

 彼女のその努力はしかし、徒労に終わると、炭酸飲料である俺は知っている。


「水と二酸化炭素の、はずなんだけどなぁ。」


 炭酸水は水と二酸化炭素から成る。

 彼女はその科学知識をもとに、気が抜けた俺に二酸化炭素を吹き込み、炭酸のシュワシュワを復活させようとしているのだろう。

 だが、単純に息を吹き込むだけで、そう上手く二酸化炭素を溶かしこめるはずはない。

 むしろかき乱された俺の身体は、残り少ない炭酸を、刻一刻と失っていく……。


「ふーっ、ふーっ。」


 でも、それでいい。


「ふーっ、ふーっ。」


 炭酸なんてどうでもいい。


「ふーっ、ふーっ。」


 彼女がこうして、かまってくれれば。


「ふーっ、ふーっ。」


 たとえ、想いが届かずとも。


「ふーっ、ふーっ。」


 炭酸が戻らずとも。


「ふーっ、ふーっ。」


 今際いまわきわを彼女と過ごし。


「ふーっ、ふーっ。」


 最期に、彼女の喉の奥へ。


「ふーっ、ふーっ。」


 消えていければ、それだけで……。




















「あー、飽きた。」


 疲れた彼女は、俺の残りを流しに捨てた。

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