第8話 怪談!蠅帳(はえちょう)
「おはっつあん、食べていきんさい」
小学校三年生の夏。
お盆がすぎると、ツクツクボウシから、
鈴虫のリーンリーンとした鳴き声がきこえる。
緑色のうず状の蚊取り線香が煙たい。
捥いだばかりの茗荷の
シャキッとした香りが鼻にツンとくる。
当時の田舎屋らしく、
勝手口から入ると、
橙色の小さな裸電球が、
だらりとぶらさがって、
土間をまだらに照らしていた。
土間から運動靴を脱いで、
たたき台にきちんと並べた。
あがると煤だらけの板場があった。
小さな茶色い卓袱台(ちゃぶだい)が
ちょこんと置いてあり、
薄い四角い灰色に変色した座布団べたッと置いてあった。
醤油サシや小鉢、
箸置きをオレンジ色に、
薄暗くぼんやりと照らしていた。
板場の右手には、昭和の時代には、
どの家庭にもあった蠅帳(はえちょう)
の食器棚があった。
蠅帳というのは、食器棚の一部に、
蚊帳がはられており、
そこの残り物や食べ物を保存するのだ。
「蠅帳のおはっつあん、食べていきんさい」
叔母は、蚊の鳴くような声で、もう一度囁いた。
「おはっつあん」というのは、
「初物」。つまり、ご飯やおかずなど、
少しとって仏壇に供えるのだ。
私にはこの蠅帳を開けるのが、
気持ちが悪くてしょうがなかった。
青と黄色カビがはえ、
食べかすのこびりついた醤油小皿。
モトのおかずがなんであったかわからないほど、
真っ黒なカビがはえた小鉢。
どれも、これもがかび臭く、
気持ち悪く吐き気をもよおしてしまうのだ。
この日の夜は、蠅帳から異様な臭気と物音が聞こえるのだ。
クチャクチャと、何物かがモノを喰らう音が聞こえるのだ。
恐る恐る、蠅帳をゆっくり開けて、そっと覗いてみた。
すると、蠅帳の中で、小さな子供が、
体を小さくまげで、両手でつかんで、
腐ったご飯を喰らっていた。
痩せこけた顔に、大きな目をギラギラさせて、喰らっていた。
ついうっかり、その子供と目があってしまった。
ピシャリっと、蠅帳を思い切り閉めてしまった。
「ギャッ」
叫んだのは、私なのか、その子供だったのか。
指を挟んでしまったのだろうか。
恐る恐る、蠅帳を開けてみる。
何もいない。
あれは一体なんだったのだろうか。
田舎の寺で説法を聞いたとき、
住職に見せてもらった餓鬼の絵に似ていた。
「ほうら。ホトケさんが、ちゃんとおはっつあん、喰うとるけんなぁ」
叔母のシワだらけの顔が、クチャクチャになって笑った。
<おしまい>
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